第24話 まるく

 夕方、交番に近くにいたとき、スマートフォンに着信があった。

 ひさびさに仕事が早く終わり、帰宅途中のことだった。相手の番号は非通知とされている。仕事先からの可能性もあったが、そのまま出ずに対応を留守番電話にゆだねた。必要なら折り返そうという判断だった。

 直後、リョウガの後頭部に何かがぶつかった。しかし、すぐに人工的な力学を察知し、その何かはぶつけられたものだと気づく。それが襲撃だった。

 降り返ると、学生服姿のヒメがそこに立っていた。眉毛は逆『八の字』になっていた。リュックを背負い、手には紙袋を持っている。

 不意をつかれリョウガは茫然としていた。突如として現れたヒメを前にして、かたまり、ただ見返すばかりだった。

 ヒメも不動で見返しているだけだった。

 静と静で対峙し合う。

 やがて、近くにあった交番からその様子を見ていた中年の制服が、いぶかしげな表情をしながら、二人に近づいて来た。

 そして、声をかけようとしたとき。

「きょうだいゲンカです!」

 警察官へ、もはや凛々しいまでの表情を向け、きっぱりとヒメが言い放つ。

「ハードなケンカしてました! でも、ごめんなさい、いま、すぐ、やめます!」

 敬礼を添えて、ハキハキとした口調で言う、迫力さえあった。リョウガも唖然としてしまう。

 すると、迫力に圧され警察官は「あ、ああー………ちゃんとしないよ」と、ふわりとした注意をして、帽子のすき間から指を入れ、頭をかきつつ交番へ戻っていった。

 リョウガはそんな警察官の動きを見ていたが、ヒメの方へ視線を戻す。

 相変わらず、両の眉毛は外側斜め上へ向かって伸びていた。そうして、ようやく口に出来たのが「なぜ」という二文字だった。

 しかし、ヒメは紙袋を持ったまま腕を組んで、睨み返して来るだけだった。

「………ここでなにを」そして改めて問う。

「バームクーヘンであなたをなぐった」

「なぜバームクーヘン」

「おみやげ」言って、ヒメは紙袋を押しつける。リョウガは反射的に受け取った。「うち母さんからのアドバイス、ほら、バームクーヘンって、丸いでしょ? だから、まーるくおさまる、って意味で、あやまるときに持ってくおみやげにいいって」

「………どうやって」

「ん、なに、どうやってあなたの居場所を突き止めたか、ってか?」

 突き上げるような眼差しに変えていう。想像通りの反応に満足しているようでもあった。

「きほん、おまわりさんにきいた」

 そう答えられ、リョウガは交番を見る。ついさっき近づいてきた警察官は、まだこちらを気にして見ている。もしかしたら、ふたたび危うい兄妹間の何かが起こるのではないかと疑っているふしがある。

「………でも、どうやって?」

 けっきょく、リョウガは発見された理由が想像すらできず、バームクーヘンを腕に抱えたまま、無力にも同じ言葉を口から漏らすのみだった。きほん、おまわりさんに聞いた。その意味がいったい、どういうことなのかまったくみえてこない。それに、おそらく、ヒメも悪戯を込めてわからないように言っている。

 すると、ヒメが眉毛の緩め、元に位置へ戻した。それから、あさっての方を向いた。

「まず親に怒られてきた」

 そして奇妙な言い回しで、何かを過去系の発言をした。

「あの朝」

 と、短いその言葉だけで、すぐにはじめて出会った朝を思い出す。光景が頭のなかで再現された。

「あなたは、怪獣ショウで死にかけてたわたしを助けてくれた。ひっぱりだしてくれた。まー、あの後、病院からわたし逃げたが。なんせ、ぜったいに親にバレたなくって。で、逃げ切れたし、ラッキーって思った、ケーサツにもわたしがどこの誰だがバレてなかったし、このまま親にもいろいろバレないと思った。で、みごとに作戦は成功。外泊くらいなともかく、怪獣にやられかけてたなんて、親に話せないし」

 あの朝。といわれ、それが、ひどく遠い日のように思えた。実際は三か月くらいまえだが、数年以上が経っている感じがする。それに、知っていたはずなのに、こんなに小さく、細い少女だったのかと、いまになって驚いている、間抜けな自分がいた。

「いや、そりゃあ、外泊だって、そんな、ホイホイせんよ」

 なんらかの印象を付けられることをさけるためかそれを補足する

「ああ」と、返事をしてみせると、ヒメは数秒ほど無表情で顔を凝視してきた。それから視線をあさっての方向へ外す。

 交番の方ではまだ制服警官がこちらを薄く監視している。業務に忠実といえなくもなかった。

「ケーサツに謝りにいった」

 目を見ないまま言う。そして続けた。

「ごめんなさい、わたしが病院から逃げたオンナです、って。もちろん、あの朝のこと、ケーサツに、病院から逃げたことを謝りにいったの、父さんもお母さんの一緒に来てくれた。それと、これとおなじ、バームクーヘン持ってね」言われて、リョウガは無意識に手にした紙袋を一瞥した。「ケーサツの人に謝って、病院にも謝った。むろん、バームクーヘンもって。あー、しかしまあ、なんかみんないいひとだったなぁ、まじまじ、ニンゲンさ、あんなに優しくしていいのかねえ? こっちが不安になるくらいだった、きみたち、もっとしっかり怒りなさいよ、って思ったし、きびしくしなきゃ、いかんよ、わたしには、ってさ」

 腕を組み、現場でのことを思い出して、いない相手に注意をする。自ら進んで滑稽と化しているようだった。

「ぜんぶに謝って、それでケーサツの人にあなたのことを教えてもらった、連絡先とか。命の恩人に、お礼したいって言ったら、あなたのこと教えてくれた」

 そこまで来てようやく、ヒメがここにいる合点がついた。

 が、まだわからないことはあった。

「でも、ここは駅だ」

「まちぶせした」

 ぽん、とそう言って返される。

「最寄り駅はここしかなさそうだったしね。それに、わたし、ショウの追っかけだから、待ちぶせとかなれてる、根気がすくすく育ってる、なりたってる」

 そういうものなのか。よく知らない世界なので、納得するしかなさそうだった。

「待ってたら、あなたが見えたから、電話かけて、電話に意識をとられてるスキに、バームクーヘンで殴ってやった」

「………謝りに来たのでは?」

「ケーサツ対応のためのたてまえと、瞬間に炸裂するホンネはちがう」

 対義語として不備のありそうな使い方だったが、堂々と言い放つので、指摘する気にさせない。

 気にさせないが、リョウガはなんとなく交番の方へ顔を向けてしまう。さきほどの制服警官はすでにそこにいなかった。

「待ってたって。おれがいつここを通って、どうしてわかった」

 今日はたまたま早く仕事が終わっただけだった。だから夕方、ここを通り過ぎた。

「だから、ずっと待ってただけ、そこでね。言ったでしょ、わたしには根気がある、そして、しつこく、つよい思い込みが味方だ」

 弱点と思しきものも混ぜて、武器のように列挙してゆく。あまりに堂々と言うため、口を挟めず、観客となるほどだった。

「どれくらい待ってた」

「二週間」

「………ずっとか」

「トータルだよ、あわせて、がっさんだよ、がっさん。サボった日も多々あるしね、わたしにもビジネスがある、ああ、バイトのことね。なーに、だいじょうぶだって。あなたのために青春すべて注いでないから、あなただけのために生きてる私の人生じゃないから」

 軽い口調でかわすようにいう。だが、リョウガの内部は解放されず「けど」と聞き「でも、なんでそこまで」と続けた。

「そりゃあー………じぶんのためだよ、あなたのアプリ削除攻撃にイラっとしたのを解消したくて。勝手に音信普通にしやがって、あんにゃろう。その、黒っぽいこころざしが動機の本体。いま、こうしてここにいる理由………ってね、まあー、そうね、そりゃあ、探せばね、こまごまとした理由もある、他にある………でも、それ、話すのがめんどいし、それは、そっちで適当に想像しといて。ほら、人生は、ときにセルフ力がいる、それをつかっといて」

 飄々として言い放つ。そこにヒメの強い生命力を感じた。

 そして、またふと思い出す。彼女と最初に出会ったとき、瓦礫の下で息が絶えかけているように見えた。だから、生命力が弱まっている者に見えた。だから、勝手にヒメは何か生きてゆく上で堪えがたいことがあり、それに引きずられて、見動きがとれなくなっている。そう思っていた。

 だが、ただ、偶然あそこにいて、巻き込まれただけ。ファンだっただけ、問題などなかった。

 気づいていなかった、彼女を救おうとしていた。彼女は弱っているから、連絡が来たとき、なんとか元気づけるように話をした。けれど、それはちがっていたらしい。

 ずっと、彼女が救おうとしていてくれた。

 なんのために救おうとしていたのか。それはきっと、彼女が正義の味方みたいな人間だからだった。

 いや、ただの勘違いかもしれない、けど、そう思えてしまう。そして、たとえ間違っていたとしてもそれでよかった。これが、つまらない独り人間の夢や幻だったとしても、ひと時の間、そういう人に出会えた。この惑星のどこかにいて欲しいと願った人がいた。信じたいひとを、信じてよかったと思える、瞬間。

 ここにその瞬間を迎えた。

 そして、とたん、今度は別の種類の瞬間に襲われる。

「どうしたの」

 ヒメが問いかける。町には陽が沈みかけていた。

 程へて、リョウガが口を開く。

「なにを証明したいんだ」

 無表情のまま、まるでヒメという生命以外のすべてに対して問いかけるような様子だった。

「………なんのこと」

 反射的に打朗、救わねばとしたのか、ヒメが問いかける。

 リョウガは目を見て言った。

「おれがだよ」

 すると、しばらくしてヒメはいった。

「なぐりに行きなよ」

 誰をとは名言せず、その許しを与える。

「いいよ」はっきりと、堂々と告げる。それからもう一度いう。「なぐりに行きなよ」

 生きた年月の差を越えて、手持ちにしてもかすかしかないが、せめて持てる光りを向かい合う相手の闇へ投げ与えんとする。

 役立てるかどうかはわからない、けれど、ほとんど捨て身に近しいものを、うまくやろうとするよりさきに、ただ何か少しでもあげられるものをあげようと。抱いた願いを叶えるのは不可能に近いのはわかっている、それでも、せいいっぱいの言葉にかえて与えようと。

 そんなものが見えた。光りに近いもので見えた。

「それであなたが生きていけるなら、わたしはいいよ」

 その声、言葉は深く、肉体の最深部まで行き届き、血の赤み蘇らせんとした。

 そして、最新化された血は、心臓を新しく動かしはじめる。

 人はこれをなんと呼ぶべきだろう。

 リョウガはそれを想った。

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