第14話 くつ
店の端に設置されているショーケースのなかには古いソフトビニール人形が並べられていた。
その足元にはそれぞれのキャラクター商品設定された手書きの価格が提示されている。ケースの内側に並んでいるのは、少なくとも十年以上まえにテレビ放映が終了し、商品自体の生産も中止になっているキャラクター商品ばかりだった。どれも特撮アニメのキャラクターで、価格の札には保存状態のランク分けも書き込まれている。
狭い店内には同様のショーケースが立ち並んでいた。ガラスの向こうに、商品が並べられている。しかし、時折、光りの反射で、鏡のように自身の顔が見えた。
リョウガはケースのなかに飾られた、キャラクターのひとつをじっと見ていた。スーツ姿で、手に巻かれて包帯の量は減っていた。
見つめる先に立つ。全身、銀に黄色のラインが混ざった人型のキャラクターがいる。アーモンド形の目には、瞳孔がなく、開閉不能と思しき口元には、ただ薄く歯型のような溝が刻まれていた。ソフトビニール人形は背を真っ直ぐしてそこに立っていた。大人向けのコレクション用に生産されたものではないらしく、子供が手に持って遊ぶことを想定して生産されているためか、手は長く、足は短く、胴の部分は長くつくられ、人型としての全体のバランスは、やや不自然に保たれていた。
既存のキャラクターの二番煎じを感じざるを得ないデザインだった。他のキャラクターたちに囲まれて陳列されていた。その存在感はケースの中では完全に埋没している。そこから消えたとしても、ケース内部の華やかさには、微塵の影響もなさそうだった。価格は他の商品とほぼ横並びだった。
いっぽうで、店の入り口付近、通りに面したショーケースには近年の人気キャラクター商品が並んでいた。どれも最新のカラフルさを持ち、商品を傷めないよう調整された輝く光に照らされて陳列されている。リョウガが見ているケースとは異なる舞台にあった。
それでもリョウガはじっとそのキャラクターをみつめていた。
まったく知らないヒーローだった。見た記憶がない。
時折、リョウガの近くを他の客が通りかかる。動いて道をあけ、通り過ぎると、またそれへ視線を戻す。
どれだけ眺めていても動くはずもない。古い商品のため、塗装も剥がれも、綻びもあった。大きな傷はない。以前の持ち主は、あまり、遊んでいなかったらしい。それでも、小さな傷はある、変色は起こしていた。
それでもまだ、凛々しくあろうという様子にも見える。
と、いつの間にかそう見ようとしている、そんな自分に気づき我に返った。
そして、我に返ったとき、むしろ我を失っていた自身にも気づく。
なにも整っていない。自身を総合してそれを感じる。まったく、整っていない。なにが整っていないのか、うまく説明できないが、整っていないことだけはよくわかる。
とたん、気は深く落ち込みゆき、止められる目途がつけられない。自分が手に負えない。
そのときスマートフォンが振動した、相手はヒメだった。
ちいさく鼻を啜った後、通話ボタンを押して耳に添えた。
『黒い、なにもみえない』
ヒメは開口一番そういった。やがてリョウガは気づき、スマートフォンを耳から離す。画面にはヒメの顏が映っていた。
「動画での通話だったのか」
『そこ、どこだ』
「なぜ、毎回動画で通話をするんだ」問いに答えず、逆に問う。
『なんかさ、離れてるのに顔が見て話すって、得した気がする。最先端の文明を消費している感じも捨てがたい』と、ヒメは自分の質問は無視されたことなど気にもせず、そう答えた。『あ、でも、同意は求めてない、わたしの哲学は、しょせん、わたしに最適化された哲学なわけだし』
いって画面のなかで顔を左右に振って見せる。部屋着なのか、着ている灰色のパーカーの生地の草臥れた具合いは、生活感と生活圏内に身を置く油断も感じられた。
『で、どこ、そこだ』
ふたたびそれを問う。
『後ろにおもちゃの棚が見えるね』
指摘され、リョウガは後ろを振り返り、それから画面へ顔を戻した。
『もしかして、自分のうち?』
「店だ。会社の帰りに寄ったんだ」
話声はおのずと小さくなる。ここ営業中の店内であり、店員や他の客を気にしたためだった。
『あ、おちゃ屋か、そっか、おもちゃ屋さん。なんかおもしろそうだね、どこにある店なの? あ、あ、ねえ、どんなのが売ってるかカメラに映してみてって………ってー、それはダメかぁ。店に迷惑かけるし、やっぱやめやめ、やらないでいい、いい』
頼み、すぐに実行を取り消す、ずか数秒のなかでそれをされる。
「店を出る、待っててくれ」
告げて最後にもう一度だけ、アーモンド形の目をもつ、銀色のソフトビニール人形を見た。
店から出る途中、店内の狭い通路で自身より二回りは年齢が上と思しき中年男性の客と、暗黙のまま、互いに身体を反らして合い、通り抜けた。
そこは年季の入ったショッピングモールだった。中は現代的な店舗が並ぶ、どうしても天井のデザインだけは当時のままで、無意識に視界に入ってしまい、時代の流れを感じてしまう。通りの左右にはそこの似たような店が延々と連ねていた。どこか縁日の露店めいていた。各店は通りに面してショーケースを構えており、歩きゆく人々は、それらを眺め、ときに立ち止まる。そのまま視点を固定して熱心に見つめる者もいる。
「落ち着いて話せる場所まで移動する」
告げると『うん』と返事が聞こえた。
求められたわけではないが通話は接続させたままにした。そして求められたわけでもないが、カメラを進行方向へ向けて歩いた。まるで警察手帳を掲げながら歩くような感じになる、不審者っぽくなり、むしろ警察に連れて行かれる側に身を置いている気もした。
カメラの向こうでどう映っているのかはわからない。移動のライブ中継はやったことがないため、動画の品質は運任せだった。
スマートフォンの向こうにいるヒメは大人しかった、話しかけてこない。
そのまま人通りのなか、歩き進み、誰もいない階段の踊り場までやってきて足を止めた。
「いま移動を終えた」
『あ、うん』
声をかけると何かに気をとられていたのか、一呼吸おいた返事がなされる。
ヒメは画面の向こうから見て来た。
『また暗いところにいったね』
「ここなら迷惑かからなそうだし」
そう答えた。すると、互いになんとなく遠慮してか、どちらとも話しを促すことをしなかったため、沈黙が生まれた。
『それでさ』
先に口を開いたのはヒメの方だった。
しかし、声をかけてから何を話すか考えたらしく、ふたたび間があいた。しかし、今度は短い間だった。『そうだ、わすれてた。だいじなこと言うの』
画面に映るヒメの眉毛が真っ直ぐになった。
「だいじなこと」
『覚悟とか、いいかい』と、先に何かの前置をした。むろん、リョウガがわかるはずもないので、黙っていると『覚悟いいかね』と、ふたたび前置をした。
リョウガは正直に「どんな種類の覚悟を持てばいい」と訊ねた。
『さあ』
と、ヒメはかるくいなす。
『あのね、写真が出回ってる』
そして、かるくぶつけるようにそう言った。
『いや、さいきん、写真を発表してる人がいるの。怪獣ショウで壊した場所の写真を撮ってる、専門のひと。あー………、プロなのかな? 知らないけど。ショウが終わるたびにいつもネットに写真をあげてのる。怪獣が壊した跡をカメラで撮ってるひとみたい』
そう聞かされたが、しかし心あたりがない。少し記憶も探ってから「知らないな」と答えた。
『その人、最初の怪獣ショウから写真を撮ってるわけじゃなさそう。ショウが始まってからじゃなくって、途中からっぽい、と思う』ふと何かを考えたのか、少し間をあけて『そう、たぶん最初からいた人じゃない』といった。
伝えようとその人間の実態について、ヒメも決して詳しく知っているわけではなさそうだった。それでもヒメは持っている情報を提供しようとしてくる。
『ええっと、そりゃあ、まあ、怪獣が壊した跡ばかり写真に撮る人はけっこういるんだよ。わたしだって撮ってるし。でも、その人の写真は他とは少し違う………感じ、かな? その人は怪獣が壊した場所を見てる人を撮るの』
「見てる人を撮る」
リョウガは最後の言葉を、そのまま口に述べた。
『うん、その人の写真は怪獣がいなくなった跡を見てる人を、専門に撮ってるみたい』
不思議な種類の情報を与えられた印象を受ける。だが、しだいにリョウガは理解した。
「そうか、そんなのがいるのか」
『で、あなた、写真めちゃくちゃ撮られてるよ』
「そうなのか」
『うん、今日はそれを教えてあげようと思って連絡した。ぜったい知らなさそうだし』
ぜったいと言い切られるところに、どこか情報弱者扱いされていない印象も受ける。じっさい、それには心あたるもある。
だが、いまは、そこは深追いをさけた。
なにより、たったいま伝えたれた事実に、果してどう組むべきか、その判断が難しい。写真を撮られた、その写真をネット上にアップされた。これが何を意味するか。何もみえない。
「おれは、写真を撮られているのか」
あげく、自らの状況を言葉で発することしか出来ない。
『うん、あなたの許可とかなく、とられてるんだろうなあ、って思って。ああ、この写真とか、ネットに勝手に顏入りの写真アップされてんだろうなあ、って。で、ぜんぜん気づいてなかったんだろうなあ、って』
「………そうか」
きいて考え込む。
スマートフォンを持ったまま無意識に腕組みをしていた。とたん、画面の向こうから『おい、天変地異が起こったぞ』と、落ち着いた声が放たれ、すぐにスマートフォンの位置を戻した。
カメラを正面に据える。
「失礼」
『次はない』
ヒメは淡々とそう告げる。
いったい、次は何がないのかについての説明はなかった。
『あとでその人のアカウントのリンクの送ってあげる、誰でも見れるような発表のしかたしてる。じつはわたしたちの間では、さいきん、有名な人だから』
「それは助かる」
『いや、せいかくには、もう写真アップされてるから助かってない、コウゲキを喰らい終えてるんだ、手遅れさ』
意地悪なのかあさっての方を向きながらいう。
『あなた、いろんな場所でいっぱい写真撮られるよ。しかも、いつもおなじ格好だから、完全におなじ人ってわかるレベル、こりゃあもう、どこかで勝手にあだ名とかつけられている危険性があるねえ、うん』
そこまで言われ、静かに息を吐いた。正直に、まだ与えたれた情報の重要度がどれほどのものなのか判断しかねている。だが、これから先になにか影響ありそうな予感もする。
『でさ、ここから先が、今日いまイチバン話たかった話ね』
考え、油断していたところへそういわれ、リョウガはきょとんとしてしまった。
『その人の撮った写真で気づいた。あなたのクツ、死ぬほどボロボロだったよ、道に落ちてるクツよりひどいよ、そろそろ買い替えなさいな』
靴の買い替え提案。
リョウガは静かに視線を自身の足元へ落とした。
とうぜん、視線を足元へ向けたリョウガの視線の動きを画面の向こうのヒメも見ているに違いなかった。
指摘の通り靴はボロボロだった。もとより草臥れた靴だったが、これまでの怪獣ショウの無策な追走のせいで、滅びはさらに進んでいる。おそらく、なにか些細なきっかけで、靴底がはがれるか、靴先がワニに口のように開く、その寸前にあった。
もし、ワニだとしたら、ひん死のワニといえる。
静かに視線を画面に戻すと、ヒメが待ち構えていたように『ね』といって、眉毛を動かした。
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