第11話 いっぽいてき
二日前。
怪獣は二十年以上まえに廃業となったリゾートホテルに出現した。
ホテルには隣接するようにドーム型の多目的ホールが建設されていた。怪獣は最初に、ホテル棟を壊し、次にホールを前足で破壊した。
ホテルは二十二階建てで、最上階には展望レストランがあり、これまで行なわれた怪獣ショウのなかでも、もっとも高い建造物だった。高層建築のため、強度が高く、爆破での解体は法的許容範囲から逸脱していることを指摘する専門家もいた。それでもみえない怪獣出現し、破壊して二日経っても摘発されることはなかった。摘発ない だけなの、摘発されていないだけかは、いまのところ不明だった。
舞台となったホテルへと続く唯一の車道は立ち入り禁止にされていた。
ショウから二日後、リョウガは夕方に現場へ到着した。そして立ち入り禁止の看板のまえに立つ。
顔にはいくつかの擦り傷があり、左目の回りに青あざがあり、右手には包帯を巻いている。
やや負傷の状態だった。
そこは、かつて、スキー場と温泉が収入の主戦力とした町だった。現在、スキー場は閉鎖されている。温泉宿も町にわずかに残るだけだった。もとより、町に降る雪の質はわるく、スキー場はいつもアイスバーンのような状態だった。スキー場は、スキーにはひどく不適切な地につくられていた。開始当初こそ、来場者もそれなりにあったが、それもやがて途絶えた。
みえない怪獣が出現したホテルへ向かう道は立ち入り禁止となっている。リョウガはしばらくその場に立ち尽くしたが、程なくして踵を機微返す、元来た道を戻りはじめた。右を足は少し引きずり気味だった。
歩いて麓の温泉街へ着いた頃にはすっかり夜になっていた。温泉街といっても、ほとんどの宿や土産屋も廃業し、町はかつての面影を残すばかりだった。それでも、町の中心部へ近づいてゆくと、淡い明りの連なりが見えて来る。
神社で縁日がひらかれていた。鳥居の向こうでは参道の左右に露店が並んでいる。そう多くはない人々が行き交っていた。なかには近くの宿に宿泊していると思しき浴衣姿の見物客もある。宿が減り、町全体の明りも弱まっているせいか、境内にともされた淡い明りは際立って見えた。
リョウガは神社へ近づき、鳥居をくぐった。縁日はどこか粛々と行われていた。露店の店主たちには落ち着きがある。行き交うに不自由ない人通りの量だった、
粉物や、練り物を売る店があり、当たりくじ屋、用途不明の奇形なビニール風船を売る店などが軒を連ねる。客の希望を受けて、その場で飴細工をつくりあげている店もあった。それらに混じって、手づくりと思しき小さな雑貨を売る店もある。参道は長く、奧に行くにつれ、まばらとはいえ人波と夜の闇で奥は見通せず、行き先にあるだろう社もみえない。
リョウガが行き交う人を避けつつ、眺めながら奥へと進んだ。
やがてふと立ち止まり、思いついたようにスマートフォンを取り出した。動画はなしで通話ボタンを押した。
即座に通話は相手から拒否される。
その直後、今度は向こうから、動画ありででかかってきた。
着信ボタンを押すと、画面にヒメの顏がうつった。
『ちょうどいま時間あるよ』
こちらがしゃべるまえにヒメはそう告げて来た。青いパーカーを着た上半身が映り、背後の景色から会議室のような場所にいることがわかった。
『どうしたの、その顔?』
リョウガの擦り傷や青痣を目にして、問いかけてくる。
『もしかしてまた山賊やたれたの、そういう特殊な理由の負傷?』
「山賊にはやられてない」
顔の状態を見られることに対し、やりづらそうにし、手で頬を描いた。だが、無意識のうち包帯を巻いている手でかいてしまう、少し痛んだ。
『いや、てか、手もどうかしてるし』
「しまった」
指摘され、リョウガは顔の怪我も、手の怪我も秘密にしようとしていたことを思い出す。慌てて隠すも、もはや、意味はなかった。それでも、つい、隠してしまう。
動揺だった。
最初にカメラ映像ありでの通話することを避けたのも、怪我をみられないためだった。
『だいじょうなの、総合的に』
画面に映るヒメの太い眉毛は少し曲げて問いかけてくる。ヒメの顔立ちは、少し眉毛をひそめただけでも、感情が大きく動いてるようにみえた。
「最近、習いはじめたんだ」リョウガは表情こそさほど変えなかったが、照れるようにいった。「格闘技」
『わあー………マジかー』
ヒメは前回のスマートフォン越しの会話で、自分がそれをごく軽く勧めたことを思い返す。そして、実際にリョウガがそれを実行したこの状況、どう捉えるべきか、迷うような表情した。
だが、悩むのはやめ、ぱき、っと。
『空手とか』
と聞いた。
「コンバット・サンボだ」
『なんだそれ』
「寒い国の軍が使っている格闘技」
『おー』と、ヒメは感嘆風な声をあげ、続けた。『で、ふたたび言おう、なんだそれ』
いぶかしげに問いかける。
「とにかく家の近所の雑居ビルでやってたんだコンバット・サンボ教室」そう、言い切った後で「月謝が手ごろだった」と、続けた。
『ああ、そう』
金額が安価だという部分でそれなりに納得至ったのか、ヒメはもう攻撃性のある深追いしない。
代わりに問いかける。
『で、つよくなったの?』
「わからない。ただ、授業中、いつも気がつくと関節技を決められている。あと、人は、人から顔を拳で殴られると、しばらく落ち込むということがよくわかった」
『超ヤブっぽいね、その教室』
「でも、しばらくは信じて続けてみる。まだ判断がつけれられない」
『すごい、我慢とか努力とかできる人だったんだね』
ヒメがそういうと、リョウガは唖然した。
「我慢、努力………そうか。そういえば、おれはその二つぐらいしか持ちものがないかもしれない」
指摘され、リョウガはそれを認め、カメラから視線を外して、しばらく黙った。
そこへ『ところでさ』と、沈黙の間を回避するようにヒメはしゃべりかけた。『なんでかけてきたの、用事? わたしに?』
このやり取りの目的を訊ねる。
『あと、さっきからずっと気になってるんだけど、そこ、どこ? ほわほわした明るそうな場所、まさか、天国とか?』
問われて、リョウガが我に返ったように視線をカメラへ戻す。
それから周囲を見回した。
「さあ、わからないが、どこかのお祭りだ」
『なんでお祭り』
「今日、二日前に怪獣ショウがあった場所にいったんだ。今日というか、さっき行ってきた」
『あいかわらず出遅れてるんだ』
画面のなかでしかた無さそうに言い、薄くあきれて眉毛をゆがめた。
リョウガはその眉毛をついじっと見てしまったが静かに目の焦点を外す。
「現場の近くまで行ったら、中が立ち入り禁止になってた。それでけっきょく現場には入れず、引き返して来た」
『へえ、そうなんだ。そんなことあるんだね』
ヒメは純粋に教わった感じを醸す。
「そういうわけで、今回はきみに現場の映像も写真も送れない。代わりに偶然みつけたこのお祭りの映像中継でも送ろうと思った」
リョウガがそう説明し、対してヒメはひととき黙った後だった。
『発想は褒めとく』
言ってうなずき、唇を横一文字に絞めた。
『ということは、実際にショウあった場所は観てないんだ。やっぱり、今回も、今日とかにそっちに着いたんだね、手遅れなの、わかってて』
「仕事が終わらせられないんだ、まだまだ実力が足りない」
『そんなにむずかしい仕事してるんだ………なんか、それって、どんな感じなのか想像がわかない、学生としては』
それでも想像を試みながら話していたのか、ヒメはゆったりとした口調になった。
『そっか、入れなかったんだ、へえ、まあ、少しは見たかったかな。あ、そうだ、ねえ、二日前にショウをやったその場所、怪獣が壊したホテルの隣に体育館みたいな建物あったじゃん。コンサートホールみたいなの』
思い出しながらそれを話し出す。
『なんか、あのホテル、むかしはふつうのホテルだったんでしょ、でも、つぶれる少しまえまでは、よくわからない宗教の施設になってたって』
「その話しはきいた」
『いまはもうとっくに、あの建物はなんにも関係なくなってたみたい。でも、そのことがすごい話題になってるの。もしかして、なにか、意図があって、ショウはあそこを怪獣に壊させたんじゃないかって』
「なにかって、なんだ」
リョウガは真っ直ぐに問い返した。
『しらない』ヒメは拒絶も含んだように答えた。『どうせ、大人はみんなショウの悪口を言いたいだけだし、遠慮なしなんでよね、わかろうともしないで、ショウのこと』
露骨ではないが、大事なものを攻撃されることへの怒りがみられた。
「どうしてきみは、そんなアレに魅かれるようになったんだ」
リョウガが訊ねると、ヒメは見返し、そして視線をかすかに外した。
『偶然だったさ』
まず、ひと言そう告げた。どこか、壁にボールに投げるような言い方でもあった。
『まえにね、ショウがうちの近くに来たの、近所にあった、つぶれたまま、ずっーと放ってかれてた、工場を、怪獣を壊させた。わたしね、あの日、それを偶然みたの。まだ、ネットでもいまみたいに大きく騒がれる前だった。学校の帰りに近くを歩いてたら、いきなりみえない怪獣が現れて工場を壊した。みえない怪獣は壊してそのままどこかにいちゃった、わたしにはホントにそうみえた。みえない怪獣がいるように見えた。あのね、その工場ってむかし、この町を支えてたんだって、おじいちゃんに教えてもらってた。けど、ずっとまえにつぶれて、ずっとそのままにされてた。それからは、よくありがちなはなし、あそこはあまりよくない人たちにたまり場になってた。で、あるとき、起こっちゃたんだよね、事件』
話が途切れた。程経て、再開される。
『なんか、ある子………そこに連れてかれて………それで、とか、すごく嫌なこと、そんなことがあったの。だから、町の人からしたら、もうはやく消えてなくなって欲しい場所だった。ショウは、それをみえない怪獣で壊していった………ねえ? なんか、すごいってそう思わない? わたしね、その日、みえない怪獣も、ショウ本人も見たの、あの人、カッコよかったよ。わたしがいままで出会った人のなかでも、誰もくらべものにならないくらいカッコよかったの、泣けるくらい、カッコよかった、きれいだった』
話し、伝えようしているうちにヒメの表情からは怒りは消えていた。代わりに、記憶のなかにあるその日を愛おしむような様子をみせた。
『はじめてみたショウは、あのひとは、人とは思えないほどきれいだった、世界もきれいになったようにみえた』
好きなことを語る。その表情には普段使いの防御さえも取り払われていた。
が、数秒ほど経た後、我に返り、防御も戻された。
『………いや、だめだ、いま思い出したよ。そういえば、そっちはショウを殺そうとしてたんだった』
表情に険を浮かべ、眉毛も大きくゆがめて睨んだ。
『このやろ、おぼえてろよ』
やがてヒメはそう言い放ち、一方的に通話を切った。
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