第7話 うたがい
告知通り、廃校となった大学のキャンパスは爆破された。残された現場は巨大な怪獣が通過した。
五回目になる、みえない怪獣の出現だった。
その大学を、みえない怪獣が破壊した三日後。
夕方、リョウガはキャンパスの正面口の前に立っていた。前回と同様、安価なスーツを着て、靴を履いている。キャンパスは、山の中にあった。
その足を、キャンパスへ踏み入れる。そこには怪獣が出現し、通過し、破壊した光景が広がっていた。
制作側の思惑通り、作品化された景色が広がっている。巨大な足がキャンパスの建物を踏みつぶして歩いたようにみえる。
現場に、他者の姿はなかった。地面には粉塵に覆われ、それは吹く風で、かんたんに舞い上あがった。歩くと、スーツの靴に纏わりついた。
無造作に積もった瓦礫の傍を歩く。至る所で倒れた鉄柱が地面に横たわっていた。中央広場設置されていたらしいオブジェは、土台だけが残されている。破壊の跡で、まるで、みえない怪獣の進路がわかるようだった。無事な建物もあるが、人の出入りができないように、どれも窓にベニヤ板が貼られていた。
動いているのは自分だけで静かだった。砂に混じって薄く焦げたにおいがする。頬の内側が、ずっと錆びているみたいな味がする。静電気を帯びた髪に、粉塵が付着してゆく。
敷地の中央位置で来て足を止めた。三階建ての校舎は、左右だけが残り、中央部分が三階から一階部分まですべて崩れて去り、向こう側の山と空がみえた。半壊した校舎の内部がのぞけ、内臓がこぼれるように無数の机と椅子が散らばっていた。
しばらく、その場に立っていたが、やがて上着のポケットからスマートフォンを取り出す。最新式の機種だった。リョウガはスマートフォンのカメラで、目の前の光景を撮影した。一枚だけ撮り、続けて操作し、写真を添付して相手へ送信する。
まもなく通話の着信がきた。相手は『ヒメ』と表示されていた。
リョウガは通話ボタンを押下してそれに応じた。
「はい」
『いったのね』
ヒメの声だった。
「うん、いま着いた」
『いま?』ヒメはくぐもった声を放った。『今日?』
「うん」
瓦礫を見ながらうなずく。すると、少し間があいた後『………いまなのかい?』ふたたび、似たような問いを重ねてきた。
「約束通り現場の写真は撮って送ったぞ」
『ああ………そう、ありがとう、というか』礼を述べて、すぐに音調を変えた。『怪獣来てかれら三日過ぎてるじゃんか。終わった後にいってどうするの』
「仕事があったんだ」
『うわ、最低ランクの言い訳だ』と、ヒメはいってつづける。『だから、三日後にいっても、いまそこにショウがいるワケないじゃんか』
あきれた口調で指摘する。
リョウガは黙っていた。
すると、ヒメは『あー、いや、まてまてまて、これってアドバイスになるぞ? ああー………ショウを殴ろうとしている相手にわたしがこんなこというのはおかしいぞ、不整合が!』自問自答を入れた。だが、すぐに『けど、でも、だってさ!』と、勢いで気を取り直す。
電話の向こうで顔をあげるような気配があった。
『つい、いってしまうことってあるでしょ、人生、人類、人は、つい、やってしまう、言ってしまう、いまわたしの言動はー………そ、そういうことだ!』
強引に、何かを乗り越えようとする。いっぽう、リョウガは何も刺激するようなことは口にしない。
黙って聞いていた。
『でさ』そして、ヒメは話続ける。『三日後にそこにいったのって、どういう作戦なの?』
「あいつがまだ、ここにいるのかな、って思って」
『無策』
指摘でも注意でも感想でもなく、二文字だけをヒメを放つ。
『いるワケがないじゃん、三日前だよ』
「可能性はゼロではない」
『ゼロだよ』ヒメは躊躇なく言い切った。『あるのよ、この世界に可能性ゼロってものが』と、続けて言い切る。
すると、リョウガは少し間をあけてから口をひらく。
「きみは当日ここに来たのか」
『いけてないよ』とたん、ヒメは不機嫌そうな声になった。『お金そんなにないの。だからお願いしたんじゃんか、もし、あなたが怪獣ショウに行くなら、写真撮って送って欲しいって』
「そうだ、写真は送った。出来はどうだ。きみの言う通り新しい機種に変えたんだ」
リョウガは破壊された校舎へ視線を向けつつ、近づいていった。
「すごいな最近のカメラ、努力なしで、かなり綺麗に写真が撮れる、努力の居場所がない」
リョウガ崩れた校舎の中に落ちていた椅子をみつけた。それを取り出し、地面に据えて土埃を払った上で腰をおろす。
『いや、写真はだから………まあ、ありがとう、どうも………けどね、それはそれとして、もとの話に戻るけどさ』
「もとのはなし」
『無策の話しだ。怪獣ショウから三日も過ぎて、ショウがそこにいるはずないって、ふつう気づかないかい、そこの社会人、社会人さんよ』
「可能性はゼロではないと思っていた。けど、まずいないだろうなとも思っていた」
取り扱いに窮したのかしばらく沈黙された。だが、リョウガが大人しく黙して待っていると、根負けし、あきらめた口調でしゃべりだした。
『もしかして、このまえも、次の日に現場にいた理由って、当日が仕事だったからかい』
「うん、仕事が終わってから向かった。最短で、あの翌日の朝だった」
『休みもらえばいいのに。わたしだったら休み貰うよ、いや、状況によるけど、でもなるべくもぎとる』
「おれは今年会社に入社したばかりで、まだ三か月しか経ってない、仕事もまだロクにできないから、そういうのは人の役にやってからもらいたい」
『けど、権利はあるぞ』
「権利だけがあるわけじゃない、と思ってしまうんだ、相手がいてはじめて権利ってものが成り立つわけだし」
説教か、説得か。いずれにしても、ぎりぎりのそうならないような領域に調整している口調だった。
『ブレーキがかかる体質なんだね』
「それに仕事に就いたおかげ、こうしてヤツを追えるようになった。ヤツを倒すために追うに、お金かかる」
『自由になるお金か、それは、ちょっとうらやましいかも』素で言った後『あ、うらやらましいってのは、お金がそれなりにお金が入るようになった、って、ぶぶんだけだからね、ショウに危害を加えようとしていることは、まだまだ、こっちは現役で敵視しているから、緩和する気ないよ』そう補足した。
ききながらリョウガは崩壊した校舎の向こうで沈みはじめた陽を見ていた。
『そういえば、歳っていくつなの』
ふと、急にそれを訊ねてくる。
「二十二歳」
『なら、今年大学を卒業した感じだね、それで就職かい』
「その通り」
『へえ』
短く反応してヒメは口を閉じる。そのまま、しばらく会話は途絶えた。
『………ねえ』
「ああ」
『ほんとに、いま、そこにいるんだよね』
「いるよ」
リョウガは崩壊した校舎へ視線を向けながら答えた。
『少し疑ってる』それを宣言して『ここはいっそ、動画で話そう、そっちに切り替えるからかけなおす』相手の許可なくそう決めてしまった。
画面上にカメラの起動許可を求めるポップアップが表示される。リョウガはそれを指で押した。すると、画面上にヒメの顔が移った。ベースボールキャップを頭に乗せ、エプロンをしている。
どちらにも、見覚えのあるドーナッツのロゴが入っていた。
『うつってる?』
問われ、数秒ほどして「ドーナッツ屋なのか」そう問い返していた。
『バイトしてるの、いまは休憩中』
相手の予想外の状況に、リョウガはふしぎな動揺を起こし「あー、ドーナッツって、いいよな、きっとこの惑星でいちばんの食べ物だ」と、ふわふわしたことを言ってしまう。
『いや、なんの目的で褒めてのかがわからない。というか、べつにいいよ、その褒め行為。あ、ねえ、せっかくだし、ショウの怪獣あと、ちょっと映してみせて』
「みたいのか」
問いかける、が、反応待つことなく、リョウガはスマートフォンのカメラを自分以外へ向けた。はじまりかけた夕陽のなか、崩壊したばかりの新鮮な廃墟が広がっていた。
『きれいね』
と、ヒメはいった。心の底から言っているようだった。
そのままリョウガは黙々とカメラを回し続ける。映像に、自身の言葉はくわえなかった。
『ありがとう、もうだいじょう、わたし』
声をかけられ、リョウガは「では、このあたりで」通話を終えようと操作する。
『あ、ちょっとまって、一瞬、顔、そっちのうつしてみせて』
求められるまま、リョウガはカメラを自分へ向けた。すると、画面の向こうからヒメが凝視してきた。
『まえから思ってたんだけど、その髪がなんか、ばさばさだよね』
脈絡なくそこを指摘してきた。
『髪どこで切っての?』
「家の近くだ、千五百円で切ってくれる」
『いや、せっかくなんだからさ、美容院で髪切りなよ』
いったいなにが、せっかく、なのか。その部分についての説明はないままヒメはつづける。
『あのさ、わたしが知ってる店教えといてあげる。男の人の髪切るのが上手い人がいるの、けっこう男前な女の人なの、その店の場所とか送っとくからさ、せっかくだし』
また、せっかく、といった。やはり、なにが、せっかく、なのかについての説明はなかった。
『ごめん、わたし、まだ、まかないドーナッツ食べてないの。休憩もなくなっちゃうから、切るね、ばあーい』
リョウガが返答するまえに画面のなかのヒメはかるく手を振り、一方的に通話を終了させた。スマートフォンにはシステム画面が表示される。
リョウガはしばらくその画面を見ていたが、やがて電光表示も消えた、そのまま黒い画面に浮かび写る自身の顔を目にする。
やがて、リョウガは視線を前髪へ向け、もう片方の手で、ぼさぼさの髪に触れてみた。
その直後、背中につよい衝撃を受ける。
何者かに背中を蹴り飛ばされ、大きくまえへ倒れた。
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