第4話 りゆう
線路脇にあった雑草のなかへ手を入れ、スマートフォンを拾いあげる。すると、そこに、綿毛状態のたんぽぽがあり、拾いあげるとき、手の甲がそれに触れて綿毛が数本ほど飛んだ。
スマートフォンに目立つ外傷はなかった。
そこは下車した無人駅からは近い場所だった。線路の片側は雑草が生えていて、その向こうは雑林がある。反対側は崖になっていて、川が流れている。見渡す限り、民家の類は見当たらない。そこにある、線路だけが、人類の文明として際立って、まっすぐに前後にのびていた。
「ごめん」
背後から謝罪される。
紙袋で顔を隠しながらヒメが謝罪した。紙袋のシワが、太陽光に反射し、悲しんでいる人のかおのようにも見える。
もしくは怪人にも見える。
「けどさ」
顔を隠していた紙袋をずらす。
現れたのは鋭い睨みだった。安全性は感じない。
その演出に対し、リョウは無表情のまま身体だけ、少し、びく、っとさせた。
「敵だ」
と、宣言をぶつけてくる。
リョウガは動かず、その場に立っていた。
雑林の傍で線路わきに病院のスリッパ履き少女からそう言われる。この奇妙な体験をまえにして、リョウガは無表情のまま静かに窮していた、手立てをみつけられず、正解の反応もわからない。
そして、時間を経て、返す反応を選び出す。
「もうしわけない」
ただ謝った。
それから、一度、視線を外して、戻す。
「話題をかえよう」
あげく、じつに下手に、露骨に場の雰囲気を変えんとそう提案した。
「ためしに替えてみてよ、話題」
ヒメは根拠不在の優位な立場からそう促す。
しかし、リョウガに微塵も気分を害した様子はない。むしろ、なにか、画期的な話題転換はないかと真剣に考え出す、神妙な面持ちだった。
「なければ別にいいよ」
相手からの許しは素早いといってよかった。それがリョウガの優れない様子を見かねての優しさか、興味がないだけか、それか期待放棄か。いずれにしても不明だった。
「それは、たすかる」
リョウガにしても、やはり、この件で必死になってまで発揮させる自尊はないらしく、かるく許しへ飛びつく。
「さえないね」
「よく言われる」
「誰から」
「無差別に」答えて、駅の方を向いた。それから「思わぬ途中下車だ」ナレーションめいたものを口にした。
線路を見て雑木林を見て、川を見る。
線路の片側な林で、反対側が川でなければ、進行方向を見失いそうだった。そして、やはり人の気配はしない。ただしきりにどこかで山鳩の鳴き声がきこえている。
「生命はある」
と、なんとなくリョウガはつぶやく。
それはヒメにはきこえなかったらしい。
代わりに「わかい女と、誰もいない場所でふたりっきり」そんなことを言い出した。「よくお互い、素性もわからない同士の、わかい女と、男が、林の中の線路の上で、マンツーマン」
真顔で言い放つ。そのため、おもしろがって言っているのか否かの判断がつけづらい。
リョウガの方は「そろそろ電車が来る、駅へ戻ろう」と、いった。
けっきょく、少女の発言をほとんど無視に近い間合いでそう言い、次には、相手の反応を待つこともなく、駅へ向かって線路沿いを歩き始めた。
ヒメはしばらくその場に留まっていたが、やがて、最初だけ小走りにして後を追う。
安定感のないスリッパは、歩くとペタペタ言う。
「靴が欲しい」
自身の足元のスリッパを見ながらそう発言した。
「どっか靴屋ないかな」いって、いまだに手放していないリョウガのスマートフォンで検索しだす。「うわ、だめだ、森の力に電波がはばまれてる、きっと。大自然、つよ」
自由な発言を放つ。
一方、リョウガの視線は川にあった。やがて、つられてヒメも視線を向ける。
川にはカモが水面に浮かび、ながれに身を任せている。たいして刺激ない光景だった。それでも、不思議といつまでも見ていられる。
しばらくして、ヒメはリョウガのスマートフォンで撮った。一枚撮ると、無意識のまま線路や林も撮る。
撮った後で、こんな写真を撮ってどうしようというんだろうか、わたし、と。この写真の行く末を少しだけ考える表情をみせたが、それもすぐに消した。
それから、線路沿いを病院のスリッパで歩きながらリョウガへ訊ねた。
「まっすぐに答えてほしい、なんであの人を殺すの」
「復讐」
リョウガはそう答えた。視線は相変わらず川にある。
「殺すって、ショウのことを殺すつもりなんだよね」
殺す。
とんでもないことを訊ねている。しかし、いっぽうでヒメは、こんなことを、じつは淡々ときいている自身を発見する。誰かを殺すということに、現実身がないせいだろうか。
と、そんな自分を複雑に思う。だが、複雑に思う自分に対して、無意識にいまは考えないようにもしている。
もしくはリョウガの発言など信じていない。
そういうことでいこう、という、そんな様子もあった。
「復讐ってなに、どうして殺すの」
同じことを問い返す。
だが、今度は聞いて立ち止まる。
「あ、ねえ、ごめん、ちょっとまって。こっちから、聞いといてあれなんだけど、どうしてそんなこと、その、ショウを殺すとか、今日会ったばかりのわたしにそんなこと教えるの」
とたん、そちらについて不信感を抱く。露骨に表情へも浮かばせる。
「ショウを殺すとか、そんなの、なんでわたしに教えるの」
「理由はある」
警戒するヒメに対し、リョウガは変わらずの淡々と答えた。
「相手におれの存在を知らせるためだよ」
「あいてに、そんざいを、しらせる?」
「この世界に、いま、お前を狙ってる者がいるぞ、って。こうやって誰かに話せば、いずれ、あの男の耳にも入ると思って。これを、ファンの人に話しておけば、より可能性はあがると踏んでる」
「あ、わたし、利用されようとしているぞ、これ」
「そうなる」
「それ、ヒドい」ヒメはいって、歯を見せて言い返す。「人でなしだ、わたしを利用しようなど、ふてぇやろうだぞ」
クレームを返す。
すると、リョウガも立ち止まった。
「あ、そうか、ごめん」
言われるまで気づかなかったらしく、リョウガは素で謝った。
「しまったな、キズつく人がいるのか」
片手で口元を覆い、ついには、その場で真剣に悩み出す。
総合すると、始末が悪い状態だった。
そこへヒメは告げる。「プラス、そんなことしてたらケーサツにつかまるよ」
「警察の人には言ってない、緊張したが黙秘も出来た」
我ながら良い作品をつくったかのような口ぶりだった。
ヒメはため息をはき、それをくだきにゆく。
「いや、ケーサツの人に言わなかった、じゃなくって、もしショウが、いま自分へ殺害予告が来てる、とか知ったら、フツーにケーサツに通報して、フツーに捕まると思う」
「その方面の可能性も、あるのか」
少し時代性を鑑みれば小学生でもわかる指摘にもかかわらず、リョウガは晴天の霹靂寸前の驚きをみせる。
ヒメはあきれた。
「マジで、つかまるよ。ショウを殺すとか言って、伝言ゲーム的に、誰かがネットに書き込んだりしても終わりだよ」腕を組んで、顔を左右に振る。「あ、ねえ、いったい、いままで何人くらいにその話ししたの」
「きみがはじめてだ」
「あ」言われてヒメは、声を漏らした。「そう………かいな………」
「ああ、きみなら、すぐにでも然るべきところに情報を漏洩してくれそうな気がして」
信頼できないという部分を信頼した。
そう、きかされたヒメは少し考えて、よし、これは不快に思っていいんだな、としたのか、まずはスマートフォンをスカートのポケットに押し込み、林に入ると、落ちていた手ごろな枝を拾い、次に無言のまま振り上げ、リョウガを襲撃しに向かった。リョウガは無言のまま走って逃げ出す。しかし、追いかけた。だが、スリッパではどうしても優れた追跡速度は出せなかった。さらに踏みだすたびに、かかとがぺたんぺたんと鳴った。足元の影響か大きいのかリョウガにはぎりぎり追いつけない。
ただ、リョウガがその速さで逃げている理由は、ヒメが無理してスリッパ履きで速度をあげて走り、あげく横転する可能性を考慮してのものか思えた。
そして、玩んでいるようにみえなくもない。
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