第3話 ひめ
怪獣ショウ。
白い画面の中央にその文字列だけが表示されている。シンプルなデザインだが、ただ投げやりにつくられたレイアウトではなかった。白の色味や、書体や字体の大きさ、ピッチ幅も、発信した側の明確な意思が組み込まれていることがわかるものにはわかる。
おそらく金と、才能が投じられていた。
小さな所作だけで、その道の達人かどうか、お前たちにみつけるだけでの能力はあるか。試されている感じもあった。
小癪だった。
リョウガは警察署の待合室所に腰かけ、スマートフォンに浮かんその文字を凝視していた。左の親指で画面をタッチしたが、画面に変化はない。少し時間を置き、もう一度、親指で押す、今度はタッチではなく、画面ごと文字をわるように、過剰に強く力を込めた。だが、すぐにやめて、スマートフォンを上着の外ポケットへおさめた。椅子から立ち上がると警察署を後にした。
署の出入口に立って警備していた警察官へ、反射的にごく小さく会釈をする。敷地内を出ると、国道に出た。
左右を見て、方向を確認し歩き始める。
すると、上着のポケットで振動した。画面には、携帯電話からではない、見慣れぬ番号が表示さている。
通話ボタンを押して出る。
『ああ、さっきのわたしです、警察のおじさん』
聞き覚えも新しい声だった。そのままさっきの対面で行った話しの続きのような温度で話しはじめた。
『あの、なんかねえ………ええっと、ね』
考えながらしゃべっている様子がある。さらに言葉を選んでいる様子もあった。
なにか、言いにくいことでも言うつもりか。
『ああ、そう、あの、あなたがねえ、助けた女の子からさ、もしー、もしね? 個別にあなたに連絡とかあったら、警察に教えて欲しいの』
助けた女の子。そう言われ、朝の光景が脳裏によみがえる。
金髪が途中から黒髪になった少女のこと。
だが、瓦礫から引っ張り出した、少女の連絡先など知るはずもなかった。だいたい、どこの誰かも知らない。
リョウガはただ「はい」とだけ返事をした。
『うん、あの、もしね、もしもだよ、女の子から連絡とかあったらのね、もしも、あったら、連絡が、ね。いいかいな、そういうことで、うん、じゃ、そのときは、よろしくね。ま、それだけのことなんだけどさ、ああー、ごめんごめん、時間とらせちゃってね、じゃ、これでほんとに失礼します、はーい』
かけて来た時と同様、一方的に会話を切り上げにかかる。
そして、向こうから通話を切ってから、こちらも耳からスマートフォンを外す。
スマートフォンの画面を眺め、警察署を振り返った。入口で警備に立っている警察官はこちらには一瞥もくれない。こなすべき職務に、かたく徹しいていた。
警察官から視線をスマートフォンへ戻す。画面を操作して、いまいるこの場所から最寄り駅までの経路を検索した。
その検索結果を経て、駅へ向けて歩き始める。途中、反対車線にバス亭をみつけた。少し離れ場所にあった横断報道まで行き、信号を待って反対側の歩道へわかる。バス停に並んだ。やがてやってきた最寄り駅行きのバスへ乗車した。人は他に乗っておらず、開いている席へ座った。
バスのなかで、警察署でもらったペットボトルの水を残作業的にほとんど一気に飲みした。スマートフォンを取り出し、ほとんど操作もせず画面を眺める。そこには怪獣ショウと、表示されていた。
乗車して十分ほどして、バスは駅へと到着した。駅舎の前のコンパクトなロータリーにはタクシーが二台ほど客待ちをしている。空になったペットボトルはゴミ箱へ捨てた。
駅舎へ入る。電光掲示板で次の電車の時間を確認した後、中にあった小さなコンビニ・エンスストアでペットボトルの珈琲と菓子パンを購入した後、改札を抜けた。
日曜日の昼、ホームで電車を待つ人は誰もいなかった。
ベンチに座って、菓子パンを齧りつく。
昔は灰皿が設置されていたのか、近くの地面にはその撤去跡と思しきものが残っていた。それを眺めているうちに、菓子パンを食べ終わった。
キャップをひねりあけてペットボトルの珈琲を仰ぎ飲む。ついさっき、ペットボトルの水を一本飲んだが、まだまだ、飲めた。身体がひどくかわいていたらしい。
そのとき、左の目の端がなにか違和を感じた。
それから気配。
かと思うと、次にはホームの上に山なりに投げられた紙袋が、どさっ、と落ちて来た。
リョウガは蓋を開いたペットボトルを手にしたまま、ベンチに腰掛け、動きをとめていた。視線だけ動かすと、ホームと外界を隔てる鉄のフェンスに、なにか青白い、ひらひらしたものがよじ登ってくる、それは頂点までゆくと、ホームへ向かって飛んだ。青白いなにかは、一瞬、空中で風を孕み、それは短くも、翼のようにみえた。
着地し、そこにいたのは入院着を着た少女だった。
両足に履いている古いスリッパには、病院名がプリントされていた。長い黒髪は、肩のあたりで金色に変わっている。眉毛が太く、目は大きそうだが、その目は本来の大きさまでは、ひらかていそうにない。まだ、目の大きさに余力を感じる、そんな目だった。
少女は着地すると、ふらつきながら立ち上がり、がしゃんと、乱暴にフェンスへ背をあずけた。わずかに息があがっている。顔や素の手足に、細かなかすり傷や赤みがかった箇所がある。
風が吹き、少女の髪や入院着の端々がかすかに揺れた。リョウガは瞬きもせず、口をかすかにあけたまま、少女を見ていた。すると、少女が顔をあげた、髪がはらり踊った。頬には汗か涙か、薄く結露めいたものが張り付いている。空を見て、やがて、その空を見た目で、リョウガを見た。
最初はどうでもいいように、だが、やがて目を大きくひらき、そのままじっと凝視しくる。
リョウガは蓋のあいたペットボトルを手にしたまま、ベンチに腰掛け、動きをとめていた。
やがて、少女の唇が動いた。
「無茶したぞ」
かすかに乱れた呼吸の合間から、そう告げてくる。
すると、リョウガは視線を少女へ定めたまま、ゆっくりとペットボトルを足元へ置いた。上着のポケットからスマートフォンを取り出す。
警察への通報を目的とした挙動だった。
途端、少女の目の色が変わった。リョウガへとびかかる。不意打ちに驚き、反応が遅れ、持っていたスマートフォンは見事少女に奪われた。奪った少女は素早く数メートル離れ、手早く画面の操作を始める。
獣のような動き、そんな印象だった。
スマートフォンの画面には、ついさっき見ていた怪獣ショウのページが表示された。
少女は一瞬、動きをとめたが、すぐにリョウガのスマートフォンの操作を再開した。両手の親指が素早く動き、残影がかかっている。画面をみつめる表情は真剣なものだった。
「なにこれ」
とたん、少女の眉間にしわが寄せた。
「ぜんぜんつながんない」
クレームをうったえ、リョウガへ顔を向ける。
はじめ、リョウガはなにを言われているか、わからない様子だった。
やがて、答える。
「弱い契約だから、そのスマホ」
「よわい、ケーヤク」
「うん」
うなずいてみせる。
すると、目を細められた。ついには、睨みに近いかたちで見返される。
真正面から見ると、少女の顔には擦り傷やうちみになってかすかに変色しているのがわかった。髪も本格的には洗ってないらしく、艶がない。
さきほどの動き同様、獣よりの外貌だった。
「………ケチなの?」
眉間にしわを寄せたまま訊ねてくる。
たんなる屈辱だった。しかし、リョウガは慌てず、少し、間をあけてから応じた。
「あまりつかわないんだ」
「そういう問題じゃない」
回答に対し、顔を背けて、好き勝手そう言い切る。
リョウガは黙して見返すだけだった。
「いや、まって、ちゃんと返すから、このスマホ、マジで。だからちょっと待ってて。そこにいて。そこにいつつ、とりあえず近づかないで、ほんとちゃんと返すから」
ふしぎな態度をぶつけてくる。
そのうえで、少女は奪ったスマートフォンを貪るように指で操作した。
スマーフォン中毒だった人間が、刑務所から出所したとたん、久しぶりスマーフォンを手にしたような勢いがある、猛然だった。
「ダメだこれ、どこの機種だ」あきれた口調によってダメだしをされる。「けしからんぞ」
言いたいことを、我慢した気配がない。
少し考えた後、リョウガは「古いからね」といった。「おじいさんみたいなスマホだから」
「買い替えなよ」少女があきれた口調のまま言う。「じんせいソンしてるよ、おおはばに、だいたんにソンしている」
文句を言いつつ、少女は、まだねばってスマートフォンを操作し続けた。
その間に、リョウガはいまいちど少女の装いを観察した。白昼のホーム上に入院着はひどく目立つ、幸い、電車を待つ人はまばらで、それぞれ距離もあり、この現場へ好奇心ありげな眼差しを向けてはいるが、近寄ってまで来ようとする者はいない。当事者はお断りらしい。うち数人は、スマートフォンのカメラで撮影したいのを、耐えている感じがある。
いずれにしろ、この状況を変化させる刺激は、外部に期待できそうにない。
どうしたものか。考え、刺激し過ぎないように「戸惑っているんだが」と、刺激をしてみた。
正直な吐露ともいえる。
「いや、わたしのスマホは壊れたから」
少女は自身のその情報を返すのみだった。スマートフォンは返さない。
「壊れたのか」と、リョウガはそんな返ししかできなかった。
「スマホはわたしを助けてくれなかったしね」
さらにどういう意図か、それも告げて来る。
リョウガは無表情にささやかな困惑を添えた表情で、その場から少女を見返す。
すると、ホームにまもなく電車の到着を知らせる音楽が流れはじめた。リョウガがホームから線路のくだりをのぞくと緩やかな曲線を描く線路の向こうから電車がやって来るのが見えた。
そして、自分のスマートフォンを操作し続ける少女へ顔を向けた。
しかし、スマートフォンを返却しようとする気配はない。がっちりと握りしめられている。
けっきょく、返してもらう名案は思いつけず、そのまま待っていると、ついに電車はホームに到着した。ドアがひらき、車内からまばらに客が下車してきた。降りてくる客は、みな、ホーム上にいる入院着を纏う少女を、一様に不思議なものを見る気にしたが、少し振り返る程度で、立ち止まってまで気にする者はいない。
停車しほどなくして、発車を知らせる音楽が鳴った。
リョウガは「これに乗るんだ」と、伝えた。
だから、スマートフォンを返して欲しい。と、そのメッセージを込めて。
「わかったわかった」
応じた少女だったが、ぞんざいな返しだった。
スマートフォンは手放さず、ホーム上に放り投げていた紙袋を片手で拾い、そして、出発寸前の電車へ乗り込んでゆく。そして、誰も座っていない四人掛けへの席へ腰をすとん、と落とした。そこで、スマートフォンの操作は継続させてゆく。
リョウガはホーム上からその様子を見ていた。すると、少女は窓を開いた。
それから「やっぱ、ぜんぜん繋がんないんだけどコイツ」と伝えてくる。やがて発車は間近となる、エアコンプレッサーが鳴いた。リョウガは我に返って、閉まる間際のドアから車内へ滑り込んだ。
背後でドアが閉まると、電車は走り出す。
その車両内に他の乗客はいなかった。
車両はホームから剥がれて行く。その様子を少しの間、車窓を見ていたが、やがて、リョウガは少女の座っている四人掛けの席まで行った。
「これさ、ほんとぜんぜん繋がんない」
少女はリョウガを見てそういった。
ずっと、同じことをいっている。
「その意見はさっき聞いた」
答え、リョウガは少女とは通路の反対側の四人掛け席の窓際へ腰を下ろす。
いつのまには流れる車窓の風景は山間となっていた。民家はほとんどなく、しばらく緑ばかりになり、次に電車と並走するように流れのよわい川が流れて見え始める、空はひどく青かった。
「こんなんで困んないの? 機種と契約かえなよ、こんなんじゃ、ふつうにやってけないよ。維持できないよ、ニンゲン関係とか、情報弱者になるよ」
「こまったぞ」リョウガは頬をかいた。「やり方がわからない」
いま、すべての感想を漠然とした言葉でまとめた結果の発言だった。
「だろうね」
少女は窓際へ身体を預け、片手でスマートフォンを操作しながらいった。その構えは、ついさっき手にしたばかりの他人のスマートフォンにもかかわらず、もう何年もそれを使い続けているような手練れ、それにみえる。素早くも相棒と化していた。
「あなたの名前ってこれでしょ」
ふと、少女が端末に登録されたリョウガの個人情報画面を見せながら訊ねて来た。
「なんて読むの」
「リョウガ」
「おっ………ああー………これ、リョウガって読むんだね」画面を見直しながら言う。「わかりにくいね」
「昔からよく言われる、わかりにくいって」
リョウガがしゃべると少女は見返してきた。見られると、もう少しなにか応じなければならないと感じたのか、リョウガは少し考える間をおいて、さらに口を開いた。
「名前については子供の頃からずっとわかりにくい、むずかしい、って言われ続けた」
「子どもの頃から?」
「うん、あ、そうか」しゃべっている途中で、リョウガは何かを発見した。「しまった、だからか。そういえば、子供の頃からこの名前の件でずっと、わかりにくい、むずかしいって、会う人会う人に言われつづけせいか、なんとなくその感想に引きずられて、おれはいつの間にか、名前だけじゃなく、自分自身もわかりにくい、むずかしい人間なんだって思うようになった感じがあるな」
「なにそれ、急なじぶん発見?」と、少女はといかける。「もしくは、呪い、みたいな?」
「そこまで立派でもない」
見返すと目が合い、間が生まれた。
さきに視線を外したのは少女で、それは興味なさそうな表情によってなされたものだった。そして、ふたたび間が発生する、と思われた矢先、不意に少女が立ち上がり、金色のなごりのある黒髪を降って、車両の前後を見回し始めた。
「着替えるから外でも見てて」
唐突に宣言し、リョウガが反応するまえに入院着を脱ぎ始める。ほとんどテロ行為だった。リョウガは慌てて窓の外へ顔を向けた。窓ガラスに少女の挙動が写っていた。すると、リョウガはさらに嘆息しながらふかくうつむいた。車内の床一点を見つめる。床は法則性のない傷でいっぱいだった。
揺れる車両の音に混じって、着替えにより発生する、細々とした音がきこえた。
「おわったぜ」
放り捨てるような報告がされる。リョウガは、もう一度嘆息し、それから五秒ほどあけて、顔をあげた。
椅子に座り、スマートフォンを手にしたカタチはそのままに、衣服だけが入院着から黒いニットと、くすんだ赤いスカートへ変わっていた。リョウガがみつけたときとは違う服装だったが、趣向は同じ印象しかない。靴だけはスリッパのままだった。いままで着ていた入院着は紙袋へ叩き入れるような不完全な形式でおさめられ、椅子には手でちぎって切り取ったらしい値段のついたタグが落ちていた。
変貌後を見てくるリョウガに気づくと、少女は不機嫌そうにいった。
「あせって買ったからこんなのしかなかったの、そこのスーパー」
身に着けているものに対するセンスの言い訳だった。あまり、当人が目指す印象として、記憶に残って欲しくない姿らしい。
少女は「あ、そんなことない、よく似合うよ、とか、そうカタチだけの慰めとかいらないから」と、そういった。
すると、リョウガは「いそがしいんだな」と、いった。それが適切な返しだったのか否か不明だったが
「そういえば、わたしは名前、名乗ってないか」
ふと、少女が思い出したように話題を戻す。
すると、少女は考え込みだした。
「あ、でもさ、わたしも自分の名前は好きじゃないかもしれない」
やがて、そう告げて来る。
ただし、リョウガは別に、自身の名前が気に喰わないということは発言していない。だが、少女はまだ何か続きを言いたそうだったため、最後まで黙って聞こうとし、指摘をせずにいた。
「だって、わたしが生まれたとき、知らないところで人から勝手につけられた名前だし」
「勝手につけたれた、って、親につけてもらったんじゃいのか」
「そう、親が勝手につけた」
「どういう名前なの」
「いいたくない、自分のなまえ嫌いだから」
「なら、きみをなんて呼べばいい」
「わたしのこと知ってどうするの、知る必要もないと思うし、だったら名前なんかどうでもいいでしょ」
不機嫌そうな表情で見返してきた。
だが、眉間に寄せたシワがすっと消え、視線を斜め上へ向けた。
かと思うと、今度は、ぱっと、顔を明るくさせた。
「あ、じゃあじゃあ! わたしのこと、ヒメって呼んで!」
じつに会心の思いつきのようにそう指示した。
「ヒメ、さん」
ただ言っただけのリョウガは口調では、どこか呪文のように聞こえた。
「ヒメだけでいいって、さんづけはいらない」
「申し訳ない、人を呼び捨てるのは慣れてないんだ。さんをつけないよう呼べるまでには、きっと、かなり時間がかかる」
「いや、じつはなんでもいい。いまこうして話してんのも、どうせくださらない会話だし。あ、ねえ、もしかして東京に住んでるの」
ヒメと呼称を求める少女はリョウガのスマートフォンから遠慮なく個人情報を探り、訊ねてきた。
「うん、子供の頃からずっと」
「わたしも東京だよ」
異郷であった同郷者に対する親近感を表情に乗せて見返してくる。
が、それも長くは持たず、ふっと表情から消えて元の距離感になった。
「そっか、あなたも怪獣ショウを観に来たのね。そりゃそっか、あんなところにいたんだし、あ、ごめん、そういえば、命の恩人だった。ありがとね、たすかった」
すらすらとしゃべる様子から、少なくとも致命傷は負っていないことはわかった。
「あ、ねえ、もしかして刑事………とかじゃないよね、あそこでスーツとか、あやしいし」
安直な想像によって、遠慮せずに訊ねてくる。
「ちがうよ」
リョウガは落ち着いて否定した。
「なら、あなたもショウのファンなの?」
続けて質問を投げかける。リョウガは口を開いた。
「あの場所に着いたのは今朝だよ、昨日の実際に爆発は観てない」
「そんなの、ライブで観なきゃ意味ないよ、ショウを」
ヒメは星々でも見上げるかのような眼差しのままいった。
「それに昨日は、あの人もあそこにいた」
「そうか、やっぱり来てたのか」
「うん、あの人は必ずいるよ、」
なぜか、得意げにいう。
「怪獣が現れるところに、かならずいる。行けばあの人に会える」
「ショウ」
リョウガはそれだけをつぶやいた。
「あの人は確実にこの世界を救ってる」
スマートフォンを握りしめ、微塵も濁りなくそう言い切る。
「だから、わたしも救われるの」
このいまの気持ちをとにかく誰かに聞いてほしい、しゃべるヒメにはそういう様子があった。いっぽうで触れていい場所が不在の状態にもみえる。盲信めいたものがそこにあった。
「あの人に会ったことある?」
問われてリョウガは顔を左右に振ってみせた。それから補足した。「本物は見てない。実際の現場に来たのは今日がはじめてだった」
「わたしあの人が好き」
それは目の前にいる相手へ教えるとより、ほとんど自己完結的な宣言に近しい。迷いもない。
リョウガは少しの間、黙していたが、やがて訊ねた。
「爆弾を仕掛ける様子も見たことがあるのか」
「え? うん、あるよ」我に返ったように答える。
「現場に来て、自らあの爆弾を仕掛けるのかい」
「いるよ、いて、来て、スタッフの人に指示してる。なんだか指揮者みたいでかっこいいの。ホンモノなんだ。いつも遠くからしか見れないけど、こっちを見てくれたりするの、ほら、手とかは振らないでしょ、あの人、作業しているときは真剣なの。けど、映像には写ってないけど、じつはね、あの人、はじまるまえにいつもその場で見てる人たちにすごく丁寧にお辞儀するの、見てると、わたしたち、なんだかあの人にすごく大事されてる、ってわかる」
饒舌になって伝える。自身の持てる言葉によって臨場感を再現させようする、勢いがあった。
「わたしは、いままで三回見に行った、怪獣を。三回ともあの人いた。いつもあの人はかっこいい、あんな綺麗な顔の人、他にはいない」
想いを馳せ、それによって多幸感に包まれつつ、躊躇なく言い切る。真から、その人物の他に、同等の高みの人間など存在しない、と思っているようにしかみえない、そこには危うさがあった。
そして、他者の言葉によって、そこから引きはがすことは難しそうである。
ヒメはつよい陶酔を維持してリョウガへ顔を向けた。
「リョウガも、あの人のファンなんでしょ、どこが好きなの」
まるで同性、同世代の友人へ対するような口調で問う。
「ショウ」
リョウガはふたたび、それだけをつぶやき、一度、口を閉じた。
「あれをやっている、ショウっていう男を」
顔をあげた。
「おれはそいつを殺す」
目を真っ直ぐに見ていった。
言われたヒメはしばらく無反応のままだった。だが、やがて、持っていたリョウガのスマートフォンを走る車内の窓から微塵の迷いなく外へ放り捨てた。
その光景を目にリョウガは「ヴぁ」と、短い濁音を放った。
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