第2話 なまえ

「あのね、勝手に助けてしまうってのはね、いかんのよね。シロウトがやったらあぶないのよ」

 おそらく五十歳がらみと思しきその制服警官が言う。

「あーいうときは通報してよ、ね、お巡りさんたちに、ね。そりゃまー、あなたもね、あんなところに入りこんでから通報しにくかったってっのもあんろだろうけどさぁ、でもさぁ、まずはケーサツに通報して欲しいわけよ」

 机の上に表示したパソコンの画面を眺めながら、やや粘り気のあるしゃべり方で話す。ノートパソコンの画面には、決まったフォーマットに沿って、目の前に座る男から聞き出した名前や住所、職業などが入力されていた。備考欄には、なにも書かれていない。

 その部屋が応接室なのか、応接室風の実質取り調べ用の部屋なのか、判断はつけづらい、ソファは固く、調度品は一切かざられていなかった。ドアは開け放たれたままで、時折り制服の別の職員が通り過ぎるのが見える。密室化はされていない。

 制服警官はふたたび向かいに座したスーツ姿の男へ視線を向ける。

 男は地顔か、疲れているのか判断のつきかねる表情で座っていた。出されたペットボトルの水は封を切っていない。

「あとさき考えず、あの子を強引にひっぱりだして運んだんでしょ? ああー、わかるよぉ、わかるんけどさあ、でも、んんとね、ああいう場合、下手に動かしてもいかんのよ、刺激で、上の瓦礫とかが、どどど、って崩れたりとかさ、あるからね。そりゃあ、ねえ、みんな、あわててやっちゃうんだけどんさ。でも、動かしたらもっと状況が悪くなっちゃったりと、頭とかうってたりするとねえ、ほら、もし、じゃあ、そうなったとき、きみは責任とれか、とか、そういう話しになっちゃうんのよね。ま、しかたないんだよね、そういうー、なんかね、世の中の流れってのがー………あ、流れってのもヘン? ああ、にしたって、な、わたしの言ってること、わかるでしょ?」

 理解したことへの同意を求める。そして、向かいに座ったスーツ姿の男が何か反応するまえに、制服警官はさらに口を開いた。

「まー、まーまー、けっかはね、けっかだけだと、きみが助けたってことで、いいよ。いいワケだけどさあ、これって、あくまでけっかだけの話しだから、ね。もちろん、いまこの状況も逮捕じゃないよ? うん、たぶん、そういう話しになんないと思います、はい。ただー、感謝状とかってのはー、ないなー、ない可能性が高いねえ、あなただって、やっぱ、どうしても入ちゃいけないところにいたワケだし、いかんよ、ほんと、今回はたまたまだ、セーフってだけで、とにかく、勝手にあんなところをうろつちゃダメね、何度も言うけど」

 そう話している途中、開け放たれたドアの向こうから一見まだ高校生にも見えかねない外貌の若い男の制服警官がさも用ありげな挙動で部屋のなかをのぞき込んで来た。

それに気づき「ん、なに、こっちの件?」と、訊ねたか動かしたが、若い警察官は顔を左右にふった。

「あー………べっけん、そ、ま、じゃま、こんなところだね」

 どうやら、いつでも話は切り上げれたらしい、話しは目の前の警察官の匙加減によって、切り上げられた。

「じゃま、はい、なかなか長い時間になっちゃったけど、お疲れさまです。もしかしたらまた、後日、こっちから連絡するかもしれないので、そのときよろしくお願いします。電話には必ず出てね。はい、今日は、もう帰っても大丈夫です」

 小学校の教師めいた口調でそう告げると、男の退室を許可した。

 男は静かに椅子から立ち上がり、そして、一礼した。

「はい、おつかれさんね。あ、その水さ、あげるから、持って帰って、うん。あ、あ、あとあと、この件は」警察官は口に人差し指を当ててみせた。それから「ね」と、短くいってくわえた。

 それからあらためて退室をうながす。男は出口を一瞥して、それから制服警官へ視線を戻し、ふたたび頭を小さくさげた。ペットボトルを見下ろし、手にとる。ドアへ向かって歩きだした。

 部屋から出る際、若い制服警官とすれ違う。その際も、相手へ小さく頭をさげた。

 目と目があった。だが、目があっただけで、どちらも、めぼしい反応はしなかった。

 若い警察官は男の背中を見送りながら部屋に入ってゆく。

 すると、時間差で、男のことが気になったらしく、首を傾げかけていた。

「で、なに?」

「え? ああ、ハンコっす。ハンコください、これ、まだ電子化されてない書類なんで、ハンコいます、ハンコ」

「ああ、そういえば、そうだった、それは」

「ですから、伝統のハンコをここに」

「あー、はいはい」

 書類を受け取りつつ、自然と嘆息している。

 一方で、若い警察官はノートパソコンの画面に表示されていた男の情報へ視線を向けた。

「この名前って、なんて読むんですかね」

「ん、なまえ、読み方か? なんだと、そんなのふりがな、読めってば」

「書いてないっす」

「え、あ、そうか、忘れてるな、俺」

「あいつが、あの女の子を助け出した、って奴ですか」

「おーい、市民に向けて、あいつ、とかいうな、奴、とか」

 口調をわずかに変えて注意する。

「あ、すいません、なんか雰囲気で」

「善意の、市民だぞ」

 露骨に区切ってそういった。

「何者なんですか」問いかけながら、若い警察官はあらためてノートパソコンに画面へ入力されている男の情報を目で読む。「会社員か」

「おい、勝手に読むな」

「パソコンの画面ロック、ちゃんとかけておいた方がいいっすよ。決まりですし」

「ああそれさぁ、なんか手順書みてもやり方わからんのだ。あとで教えてくれ」

「会社員………会社員か………」

「気になるの? だいじょうぶだよ、だいじょうぶ。東京にある小さな会社だったよ、実在の。まだ新入社員らしいぞ、今年は言ったばっか、IT関係てのか? あやしい会社じゃなさそうだし、ホームページもある」

「東京から昨日の騒ぎの見物に来たっすか」

 若い警察官は気掛かりを拭いきれない表情で言う。

「だろうな。怪獣だか、なんだかわかんないが。はぁ、この町をバカにしやがってからに。金があればなんでもできると思ってんのかね、ああいう手合いは。あんなのは、ダメだぞ、心ってものがなんだいよ、心が。ああいうのは上がしっかり動いて、さっさと捕まえさせてくれりゃあいいんだよ」

 意見というより愚痴っぽくいう。

さらに繰り返す。

「どうやって稼いでんのか知らんけど、金があればなんでも出来ると思いやがって。マジでダメだな」

「たしか、あのつぶれた遊園地を買いとって爆弾、仕掛けたんですよね」

「爆弾ってか、ダイナマイトだろ。ああー、なんか、いままでもいろんなところで似たようなことやったってんだろ? やっぱ似たようなつぶれた遊園地とか、つぶれた美術館だとか、映画館とか。どこにどんだけ金があるのかねえ。わざわざそういうダメになった場所を買い取って、爆発して吹き飛ばしてんだってな。それを配信してるんだろ? 見たくもない。なんか、頭のいい弁護士かなんか雇ってて、法定的にはクリアしてるって」

「よく知ってますね」

「ネットの生地で読んだ、というか、うちの町に来るなよ」

「昨日、見物客も多かったようですよ」

「法律をクリアしようが、けっきょく、おれたちの仕事が増えるだけなんだよ」

「あの、そもそも、うちの町の遊園地がつぶれたのっていつ頃なんですか。おれが生まれた頃には、もうやってなかったですけど、あそこ、すっかり骨みたいになってました」

「え? ああ、つぶれたのはー、ま、ずいぶん昔だよ。いや、出来た頃は、国中どこも景気がよかったからさぁ、よくお客も入っててー、とはいえ、おれたちは公務員だからあんまし関係なかったけど、景気。いや、あの頃は、民間の会社員になった同級生から給料の話しばっかりされてイヤになったものよ」

 タバコが置いてあればいまにも吸い出しそうな様子だった。

 そして、愚痴っぽく続ける。

「しかし、私有地って理屈で爆弾仕掛けて、まる、みえない怪獣がいるみたいに、破壊したみたいにみせる? それ、ホントに面白いと思ってやってんのかね、あの爆発は芸術だ、みたいなこと言い張ってんだろ、センスがねえってんだよ、あんなの、やりたい放題やってるだけで。やる方もやる方だし、見て喜ぶ方も喜ぶ方だよ」

「あ、でも、おれは、ちょっとわかります」

 若い警察官が言うと虚をつかれたような表情をした。

「いえ、ちょっとだけですよ。べつに爆発とか、モノを壊れるのが好きにわけじゃないですよ、オレだって、アートとか言われてもよくわかりませんし。ただ、おれたちよりさきに生まれた人が、作りっぱなしで放って置かれていったものを、自分たちの世代で、自分たちのために………なんとうか、自分たちなりの方法で片づけるというか」

 自然と若い警察官は署内から見えるはずのない旧遊園地の方をみつめるように言う。

だが、中年の警察官の凝視に気づき、わずかに焦って話しを切り替えた。

「あ、いや、あの…………にしても、さっきのあいつ」

「さっきのあいつがどうした」

 自身が注意した、あいつ呼ばわりを無意識でおこなっている。若い警察官は気づいていないふりをして、続けた。

「あの人、今日の朝、町に来たんですよね。騒ぎが終わってから来て、で………なんかその、なんでしょうね………んー、なんか、なんか………」

「なんだよ、気になるなら言ってみろよ、どうせたいしたことじゃないだろ」

「さっきの男って、ふつうのサラリーマンに見えましたか」

「どうみたってふつうのサラリーマンだろ、どこもでもいる感じだよ」

「そうっすかね…………」

「ああ、いっとくけど、お前も同じようにみえるよ」

「え、オレってどんなふうに見えるんですか」

「なんにも考えてないようみえて、じつはお祭り好き」

 言われた若い警官は複雑な表情をしたが、立場への意識が働いたか、言い返すことはとどまった。

 すると、今度はドアの向こうから、女性の警察官が覗き込んで来た。その後で、ノックした。

「あのー」

「なに、また俺ぇ?」

 中年の警官が自分の顔を指さした。

「はい、お電話が入ってて」

「あー、はいはい」ノートパソコンを雑のパタンと閉じて立ち上がる。「つか、閉じれば画面ロックと同じか」

 と、いった。

「ところでさっきの名前、けっきょくなんて読むんですか」

 そこへ若い警察官がふたたび訊ねた。

「ふりがな読めよ」

「だから、書いてなかったっす」

「おっと、そうだった」

 指摘され、ノートパソコンを開く、まだ画面の入力フォーマットは表示されていた。そこへふりがなを入力する。

「リョウガ」

 若い警察官は読んでその名をつぶやいた。

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