みえない怪獣

サカモト

第1話 かいじゅう

 空にはまだ、水色のペンキで塗ったような色が残っている。

嘘っぽい色だった。

 爆破は予定通り起こった。土曜日の午後五時半きっかりに、最初の爆発が起こった。大きな音とともに、地面が大きく揺れた。

 やがて、地上で七つの爆破が順々に起こされる。そこにあった建物がつぶれるように吹き飛び、瓦礫となった。七度、爆発音がなり、七度、地面が大きく揺れた。

 そして、八度目の爆発が起こる。それが最後の爆発だった。

 爆発したのは観覧車の中腹に仕掛けた爆弾だった。

 これまでの七つの爆発とは比にならない大きさだった。その爆発で観覧車の至る場所が弾け、鉄の破片が雨みたいに地上へ振った。巨大な鉄骨が、まるでプラスチックの玩具のように地面に跳ねた。爆発の音と、瓦礫が地面へ刺さる音、鉄骨が跳ねる音が混じって、なにかの咆哮のようにきこえる。

 そこは廃園になってから、二十年以上が経過した遊園地だった。観覧車があり、その麓には、遊具や童話的な印象を受ける建物が生えるように建っている。それらは、いま、粉々になった。

 湖畔に添えるようにつくられ、手入れはされておらず、施設のすべては長い間、そのまま放置されていた。雨風にさらされ、風化し、あらゆる色は落ち、錆つき、それでもコンクリートで固められた設備はまだ当時の印象こそ失ったが、かたちだけはかすかにとどめていた。

 そして、いま観覧車は残存するそれらへ向けて倒れてゆく。

 巨大な怪獣が倒れるようだった。爆破され、観覧車の連結部品がはじけ飛び、鉄骨が歪んだ。それは、重力に弾かれ、ひどくゆっくりゆっくりと、西の光りへ向かって倒れてゆく。倒れ切る途中、観覧車の中心部であたらしい起爆がされた。八度目の爆発で、最後の爆発だった。新生の衝撃は、怪獣の最後のひと足掻きのように観覧車を跳ねさせた。また、部品が分離し、やがて、地面へ倒れた。そこにあった施設を押しつぶす。地面がひときわ、大きく揺れた。膨大な粉塵が舞い、突風が吹いた。まるで雪崩のように、土煙が周囲を包み、衝撃が一帯の突起物を薙ぐ。弱いものは、吹き飛ばされて、原型を失った。

 静寂が訪れるのは早かった。テレビの音声を、オフにしたような、静かさだった。

 舞い上がった粉塵はその日の陽の光が、西の彼方へ沈むまで、ずっと空と地上を薄く包んでいた。吸い込むと、濃い砂の味と、鉄の味がする。

 粉塵が落ち着く頃には、完全な夜になっていた。それでも風には砂が混じっている。

 夜の間に、しばらく、つよい雨が降った。その光景を否定するような降り方の雨だった。

 やがて朝が来た、空に陽が登り始める、暖色が地上を照らす。

 その光景の中、瓦礫の傍に佇むひとりの男が有った。

朝陽で、人型の影が、ながく伸びている。

 男は安価な合皮製の革靴で瓦礫の上を歩く、泥水の上を歩く。細身を包むスーツもまた、生地の繋ぎ目の柄のそろわない、つるし売りの安物だった。生地もよわく、すれた箇所には、てかりがある。唇は渇いて、ひび割れていた。髪は丁重な手入れがされている様子がない、荒い砂の混じった風に好きになびかせている。その風に吹かれることによって、よりひどくなることを厭わない。

 年齢は二十代後半に差し掛かる当たりか、ひとたび都会を歩き、行き交う人々の紛れてしまえば、誰も気づけなくなるような存在感だった。一度会っただけでは、覚えきれない、希薄な印象しか与えない。大きく分類すれば、無害な生命にみえた。

 男は破壊され、瓦礫となった場所に立つ。

 そこから、景色を見る。

 倒された観覧車の鉄骨たちは、わずかな風でも軋んできいきいと音を鳴らしていた。絶命目前の怪獣の細い呼吸のように聞こえる。夜に降った雨で濡れたものは、まったくかわいていない。瓦礫の端々から絶えず滴が落ち、それらは朝の日差しを受けて一斉に輝いていた。

 あらゆる整いを失った光景が広がっていた。

 男は立ち止まり、折れてはじけた観覧車へ視線を向けた。残骸と瓦礫は、絶えず少しずつ、どこかが崩れている。虫の息のようであり、いまにも大きな崩壊が始まってもおかしくなさそうだった。数秒先の予想もつかない領域だった。

 男はスマートフォンを取り出す。古い型の機種だった。砂のついた指で画面を操作し、自身の視線の高さに持ち上げる。画面には、目の前と場所の動画が流れていた。画面の中では観覧車がまだ立っていた。数秒後、地上で七つの小さな爆発があり、間をあけて観覧車本体が爆発され、画面上の観覧車は倒れてゆく。

 先行した七つの爆発は足音のように感じられ、あくまで画面上に生産されたその光景は、見えない巨大怪獣が観覧車をなぎ倒したかのようにも思える。

 その映像レイアウトと、含有する情報量は、撮影者の確実な意志を持ってコントロールされていることがわかる、作品と呼べた。徒ならぬ作品だった。

 画面の中で、八つめ最後の爆破音が鳴る。

 映像が終わると、男はスマートフォンをポケットにしまった。どこかでキイキイと鉄骨がなっていた。微塵の刺激もないのに、瓦礫の端々が崩れる。最後に粒となったそれらは弱い風でふたたび舞い上がり、だが、男の足元あたりまで留まっていた。砂が霧のように、もうもう、と地面を覆っている。

男は足元の濁った霧を巨人が蹴散らすように男は歩いてゆく。両手はポケットから出したままで、進む。

 すると、小さな音がした。

 男は歩みを止める。

 薄く表情の変化があった。聴覚が何かを捉えた。そばにあった瓦礫の方へ視線を向ける。数秒ほど凝視した後、瓦礫の方へと近づいてゆく。

 その瓦礫の山の前まで来て動きを止めた。

 しゃがみ込み、瓦礫のすき間をのぞいた

 入りこむ朝陽に照射され、人の手がみえた。力なく伸びた指さきからは、昨夜ふった雨か、朝露か、雨の雫かのいずれかがしたたっていた。手のつけ根の先に、人の頭部がみえた。子供のようだった。顔は伏されていてわからない、腰から下は瓦礫に覆われ、挟まれている。

 滴を垂らす指先がわずかに動いた。

 男は辺りに落ちていた観覧車の残骸から鉄柱をみつけると瓦礫に差し込んだ。梃子の原理をつかって、上蓋になっている瓦礫を持ち上げにかかる。瓦礫はかんたんに動かなかった。歯を食いしばる。逆に男の細身の身体がくだけてばらばらになりそうだった。やがて、じりじりと隙間が開き、なかに陽ざしが差し込んでいった。

 より歯を食いしばる。奥歯が砕けそうになる。鉄柱を押しながら隙間を覗き込む。入りこんだ新しい光を浴びて、今度は頭や肩が動いた。伏していた顔があがる。やはり子供に見えた。よく見ると二十歳ぐらいの女性だった。眉毛が太い。頬や唇は砂と 泥水が張り付いている。一部はかたまっていた。

 男は鉄柱を片手で支えながら、もう片方の手を隙間に入れた。ひどく無茶な態勢と、片手では出力不足のため、持ち上げた瓦礫がゆらゆらと揺れた。

 女性は虚ろな目で男を見ていた。伸びた指先は、わずかに動いていた。それ以上動けないのか、動かないのかはわからなかった。

 男は女性の手首を掴んだ。 

「無茶するぞ」

 告げて男は女性の手首をひっぱった。

 重なった瓦礫の奥から引きずりだす、女性の身体はうつ伏せのまま瓦礫と地面ですれた。

 男の腕の筋は、いまにも弾け切れんばかりにのびきった。

 少しずつ、少しずつ、女性の身体は瓦礫の隙間から抜け出してゆく。雨で泥水になっているせいか、ひっぱり出す際の抵抗は減少された。いっぽうで梃子につかった鉄柱は歪み、瓦礫の端々で小さな崩壊が絶えずに起きていた。男の消耗も激しく、無理をさせた身体の各分で痙攣がはじまる。

 やがて、女性の体は瓦礫の間から完全に抜け出た。身体すべてを陽の下へとひっぱり出す。肩まである髪は黒く、途中から金髪になっていた。泥水に濡れた髪は、それでも太陽の光りに、反射してひどく輝いた。

 そこで男は持てるすべてをつかい尽くした。重力に奪われるように鉄柱から手が離れる。瓦礫は大きな音をたてて、数秒まえまで女性がいた場所を完全に押しつぶした。

 女性は倒れたままだった。男は戦争の終わりを聞いたかのように、その場に座り込み、次に仰向けに倒れ込んだ。

 息があがっている。無茶苦茶に吸い込んだ酸素には、砂が混じっている。ここにまともな、空気はなかった。それでも、必死に吸い込む。肺へ送り込む。

 そして、男が掴んだ女性の手はいつのまにか強く握り返され、繋がっていた。

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