嫉妬


 夜遅く辻村から電話があった。


「沙羅、今から会えないか」


 今日は誠が仕事で、辻村からはCM撮影の仕事があると聞いていた。

 あれから辻村の部屋へ時々行っていた。一夜の過ちで終わることはなく、何度も抱かれ、その度に罪悪感に悩んだ。


 せめて離婚してからと思っても誠が離婚に応じることはしばらくなさそうで、新しい部屋を探してはいるが、まだ別居すらしていない。

 誠が先に裏切ったとはいえ、世間では完全に不倫だった。まさか自分がそんなことをしてしまうなんて思いもしなかったが、寂しさと恋情に抗えずに墜ちていく。


「もう遅いよ」


 誠はまだ帰宅していない。もう家庭内別居も同然だったが、夜抜け出すのは勇気がいる。


「少しだけ。近くにいるから出てきて」


 酔っているのか、いつもより声が甘い。普段沙羅に無理を言わない辻村だけに、強く言われて驚いた。


「どうかしたの?」

「ん。あとで話すよ」


 いいとも言っていないのに、辻村は強引にタクシーで沙羅の家の前まで来た。

 仕方なく乗り込むと、いきなりキスをされた。


「部屋、来て」


 耳元で囁かれ、その切迫した様子に、沙羅はなにかあったのかと心配になった。

 部屋に着くと、すぐに寝室に連れていかれベッドの上に押し倒された。


「ま、待って。なにがあったの?」

「今日の仕事、沙羅の旦那さんの会社のCM撮影だったんだ」

「え? どういうこと?」


 辻村と仕事で関わるなど、夫から聞いていない。


「旦那さんと話した。沙羅とこれから子作りするって」


 嘘だ。離婚届は渡してある。それに自分から辻村に話しかけにいくなんて、沙羅は名前すら出していない。


「嘘だよ」


 酔っているのか、乱暴に衣服を剥ぎとられる。


「ごめん、嫉妬してる。優しくできない」


 今頃、誠は一人で沙羅のいなくなった部屋に帰宅しているだろう。


「私……」


 気持ちは辻村にもっていかれてていても、まだ沙羅は誠の妻であることに変わりない。そしてこの関係に溺れるということは、終わった時に仕事も失うということだった。

 

「怖い」

「なにが?」


 人を好きになること。信じること。愛を交わすこと。

 本当なら尊いことでも、また傷つくと思うと怖くなる。離婚したところで、辻村とずっと一緒にいられるとは限らない。

 父のように、夫のように、いつか沙羅のもとを去る日が来るかもしれない。


 考えるほど臆病になる。普通の幸せの脆さを痛いほど知ってしまった。


「どうしたらいいかわからない」

「わかるまで一緒に考えよう」


 夫への不信感に苦しんだ辛い日々にペタルアトリエでの仕事や辻村がいなかったら、とても一人では耐えられなかった。


「ん」


 唇を重ね合って、現実から逃避する。これは一種の麻薬のようなものだとわかっても、誘惑から逃れられず、辻村の背にしがみつく。


「好きだよ、沙羅。もう誰にも渡したくない」


 その囁きは傷ついた心から痛みを取り除いてくれる。だが、一時的な鎮痛剤のようなもので、原因を取り除いてくれるわけではない。


 でも今はこの甘い囁きに抗えず、身を任せるしかなかった。


※カクヨムでは朝チュン仕様にしております。他サイトではこの先も公開しています。

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