嘘 誠視点
麗香とのお別れ旅行から帰った誠は、様子のおかしい沙羅の機嫌を取るのに必死だった。
「土曜日、沙羅が行きたがってたイタリアン予約してもいい?」
「ごめん、仕事入れちゃって」
最近土日にシフトがやたらと入っている。土日が忙しい接客業だし、仕方がないと思いつつ、沙羅らしくないと思う。
以前なら夫婦の時間を優先したし、それができない仕事ならそもそも始めてないと思う。
それになんだか心ここにあらずだった。急に不安そうな顔をしたり、かと思えばぼんやりして話を聞いていなかったり様子が変だった。
『奥さん、パート先で不倫してたりして』
いつか麗香が言った言葉を思い出す。沙羅に限ってありえないと思いつつ、そろそろ不妊治療とも向き合わなくてはいけないと思っている。
麗香と別れたのもそのためだ。
「じゃぁ、平日は? 仕事帰りにデートしよう。合わせるから」
今まで少し麗香にかまけていたぶん、沙羅に時間をかけようと決めていた。沙羅がおとなしいから、少々ないがしろにしすぎてきたことを後悔していた。
「母が入院したから、説明を聞きに行かないといけなくて」
突然知らない事実を聞かされ、愕然とする。
「なんだって?」
「土曜日に倒れたの」
麗香と旅行中の話だ。まただ。怪我といい、タイミングが悪すぎる。
「なんでそんな大事なこと言わなかった?」
「なんでだと思う?」
まっすぐな目で見つめられ、居心地の悪さに思わず目を逸らす。
「山口麗香さん」
突然沙羅の口から出た名前に鼓動が跳ね上がる。
「前にうちのお店に来たの。最初誰か思い出せなかったけど、あなたの会社の子だって最近気づいて。私が本店に移ってからも一度来たの」
沙羅が気づいていることに、誠は今気づいた。女の勘を侮るなよ、前に友人に冗談で言われた言葉を思い出し、冷や汗が出てくる。
「沙羅、誤解だよ」
「私はなにも言ってない。ただ山口さんが私の職場に何度か来てるって教えただけ」
麗香に沙羅の仕事の話はしたが、まさか会いに行っているとは思わなかった。初めて女二人を追い詰めていたことを知る。
「聞いてくれ。なにか誤解してるのか。彼女とはなんの関係もない」
「聞きたくない。母の病気が落ち着いたら話し合いましょう。今は考える心のキャパシティがないの」
それだけ言うと、寝室へと向かった。沙羅を追いかけ部屋に入るがそっぽを向かれてしまう。
淡々と家事と仕事をこなしていた沙羅だったが、大分前から不倫に気づいていたのかもしれない。
「一緒にお義母さんの病院へ行こう」
「休みが合わないから」
取り付く島もない。
浮気を素直に認めて謝罪しやり直すか、沙羅の勘違いだとシラを切り続けて機嫌を取るしか道はないが、認めたらもうおしまいだと思う。
あまり深くは聞いていないが、父親が愛人のもとへ出て行ってしまって、辛い子供時代を過ごしたのは聞いている。
自分はそんなことはしない。
ただの一時の火遊びで沙羅の父のように家庭を捨てる気などなかった。
ベッドに並んで座る。
「なぁ、沙羅。なにを怒っているのかわからないけど、俺はやましいことはしてない」
「だから私はなにも言ってないでしょう」
「怒ってるじゃないか」
「……」
「山口さんは前に妻が仕事をしている店がとてもいいらしいって話題に出したから、店に興味があっただけだと思う。それに彼女には婚約者もいるんだよ」
「婚約者……?」
「そうだよ。もうすぐ結納だっていうから、結婚式のブーケでも見に行ったのかもしれない」
ここまで不機嫌になるからには、他にもなにか疑う事情があるのかもしれない。
「ごめん。沙羅が不安になるなにかがあったんだな?」
「バーのレシートを見たの。女性しか飲まないようなカクテルがあった。それからメッセージカードも」
決定的な証拠でないことにほっとしつつ、レシートの件は迂闊だった。メッセージカードは鞄の奥に入れてすぐに処分したつもりだ。疑っていなければ鞄の中を見ることはない。
「山口さんが婚約する前に、どうしたらうまくいくか相談されたんだよ。男の気持ちがきいてみたいって。二人で飲んだのは悪かった、もうしないから。メッセージカードはただ出張先での接待の料理が楽しみって話で」
「……そんなふうに思えない」
「本当に仕事だよ。部下の田中に聞いてくれ」
沙羅の性格的に本当に田中に問い合わせる可能性は限りなくゼロに近い。一度ついた嘘は付きとおすしかない。
無言の沙羅を抱きしめる。
「不妊治療の件も逃げててごめん。自分に原因があったら沙羅が俺から逃げてしまうと思って怖かったんだ。ちゃんと検査もするから」
「……私もごめんなさい。追いつめて。でも治療はしばらくいいの。子供は寂しさを埋める道具じゃないし」
罪悪感と一応納得してくれたことに安堵する。
幸いもう麗香とは別れることになっている。これからは部下として付き合うだけだ。ただの恋愛ごっこで沙羅を失いたくはない。
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