お見合い
高級レストランの化粧室で、麗香はため息をついた。今日のために買ったワンピースも靴も無駄だった。
プライドを捨てて結婚相談所に最近登録し、顔合わせをしたのだ。
──退屈な自慢話ばっかり。
会社経営者だという30代の男性は、自分の凄さをアピールするばかりで麗香のことを知ろうとはしなかった。
「すごいですね」
「さすがです」
「素敵」
麗香は適当にこの三つを繰り返してやり過ごしている。相手は麗香が興味がないことに一向に気づくこともない。
化粧室で男性が経営している会社名を検索するも、出てくるのは法人登録しているという事実だけだった。
──本当は大した会社じゃないんじゃないの?
媚びるにもエネルギーが必要で、どうやらそのエネルギーを使うに値する相手ではなさそうだ。
誠に会いたくなる。無口でクールな課長が自分の機嫌を取る姿は自尊心を満足させた。
──独身だったらなんの迷いもなく結婚するのに。
スマートな物腰、気の利いた会話。仕事もできて、人望もある。女性に不快なことをしない。
ただそういう人が30歳を過ぎて恋人もいない独身である可能性は低い。
不倫はたまにする外食のようなもので、それだからこそ楽しんでくれている。そういう考えが時々頭をかすめると、虚しくなる。
それでも寂しい時に甘える男がいるのといないのでは、大分ちがう。
最近は特に会話の節々に本気にはならないでくれよと匂わせ、妻の存在をアピールする。
だから麗香も婚活や他の男性とのデートの話をする。
すると勝手なことに誠は嫉妬しているようだった。今日もあらかじめ男性と会うと伝えた。だからきっと今週は誠から誘われる。
──男なんて勝手だ。
だがその勝手な男にどうやら最近本気になり始めている自分がいる。
☆誠視点
沙羅に疑われていることを知り、本格的に麗香との別れを考えだしていた。
有能でかわいい部下だった。慕われて嬉しい気持ちに複雑な欲が入り混じり、これ以上続けるのはまずいとは思っている。
先日も見合いをしたと言っていたし、うまくいけば向こうから別れを切り出してくるかもしれない。
そう思っていたけれど、麗香の見合いはうまくいかなかったようだ。
多少なりともうまくいっては寂しい気持ちもあるから複雑だ。
「全然だめでした。つまらない会話しかできなくて」
「一回会っただけじゃわからないんじゃない」
「いいえ。ダメです。泉さんみたいな人といるからかな。理想が高くなっちゃった。見た目と中身がそろってる人ってあまりいないんですよ」
ちらりと上目遣いに見られ、悪い気はしない。安っぽい誉め言葉でも、自分を慕う異性からだと自尊心をくすぐる。
「たくさん男はいるんだからさ、諦めないほうがいいよ」
上から目線のアドバイスだと我ながら思いつつ、麗香は自分に熱っぽい視線を送る。別れようと思っていた気持ちが少しずつ萎んでいく。
もう少しくらいいいじゃないか。
社会の荒波に流され、心も体も酷使して働いている。だから時々息抜きするくらいは。
「麗香ちゃん、褒めてくれて嬉しいんだけど、少し会う時間を減らせないか」
「え、今だって週に2~3時間程度なのに」
会うのはもっぱらホテルだけで、外で会うことはほとんどなく申し訳なくて誕生日はデートをしたが、その間に沙羅が怪我をしてしまった。
連絡が取れなかったことで疑われたのだが、麗香にそれは言えない。
「今妻が怪我をしてて、家事ができないから早く帰りたいんだ」
「え。どうしたんですか」
「花屋でバイトを始めたんだけど、どうやら子供をかばって怪我したようで」
「子供をかばって……優しいのね。いいお母さんになりそう」
その言い方には少し嫉妬という毒が含まれていたが、あえて気づかないふりをした。
☆麗香、沙羅を調べる
麗香は誠と別れたあと、「泉沙羅」とスマートフォンで検索した。
最近人気の花屋のSNSが出てきた。スタッフとして紹介されているのと、写真の撮影者として名前が出てくる。
色とりどりの花の中で微笑む姿は、いかにも満たされた感じがして、自分の孤独を思い知らされた。
──お気楽な趣味の仕事って感じ。
写真はどれも洗練されて美しかった。センスもいい。
──こんなふわふわした仕事、旦那さんがいるからできるだけじゃない。
その写真は、思いのほか麗香の劣等感や妬みを刺激した。
結局なにかあればすぐに切り捨てられる便利で都合のいい女だから、週に一度体を重ねる。そういうずるさを憎んでいるのに、同時に誠を欲している。
──このお店に行ってみよう。
二週間後、沙羅の怪我が治った頃を見計らい、麗香はペタルアトリエを訪れた。
家からは遠く、誠の自宅からは近いその店に向かう。夕方にも関わらず店内は混んでいた。きょろきょろと店内を見回す。
──いた。
色素の薄いウェーブヘアの女性の後ろ姿を見て、誠の妻の沙羅だと気づく。
店内で客に頼まれ花束を作っている最中だった。じっと観察する。柔らかい雰囲気の大人しそうな女性でイメージ通りだった。
一度会ったことはあるが、一瞬だったし、マスクをしているから気づかないだろう。
沙羅の接客がひと段落したところで、声をかけた。
「すみません。おススメの薔薇はありますか」
「ご自分で鑑賞するためのものですか? それとも贈り物でしょうか」
丁寧に対応され、なぜかイライラする。
「自分用です。キレイな花で癒されたいなって」
「かわいらしい薔薇ならこのピエール・ドゥ・ロンサールですね。優しいピンクのグラデーションなので、上品でで華やかな印象です」
「少し可愛すぎるかしら」
「それなら、こちらのジュード・ジ・オブスキュアはどうでしょう。この薔薇の香りは、すっきり爽やかなので、癒し効果もあると思いますよ」
沙羅が麗香に花を近づける。確かにいい香りだった。
「これにします。5本ください」
「ありがとうございます」
キレイにラッピングし、おまけにカスミソウをつけて、美しくリボンでまとめてくれた。仕事のせいか手は荒れていたが、小さくて可愛らしい手だった。
薔薇を持ち、自宅へ向かう。こんなことが誠にばれたら、すぐにでも別れを切り出されてしまう。そう思いつつ、沙羅を見たいと思う気持ちが止められなかった。
☆沙羅、口コミにショックをうける
「すみません。おススメの薔薇はありますか」
そう話しかけられた先には、20代後半の仕事帰りと思われる女性がいた。
やや派手な顔立ちで、少し険しい顔をしていた。
自分用だという彼女のためにおススメの薔薇をいくつか紹介した。
若い女性が自分のために花を選ぶのは珍しくないが、花ではなく沙羅をじっと見ている気がして違和感があった。
──それにどこかで見たことがあるような気がする。
人の顔を覚えるのは得意ではない。だから勘違いかもしれない。
彼女が誰か思い出せないまま、自宅に帰り、パソコンを開く。
今後SNSにどんな写真を載せたらいいか考えていると、ペタルアトリエについた一件のレビューが目についた。
[リラックスしに来たのに、店員さんの安全管理がなっておらず、事故があった。一歩間違えば子供が怪我する重大な事故になる可能性があり、嫌な気分になりました]
口コミサイトに投稿された意見を見て、沙羅は絶句した。
あの時、お店で目撃していた誰かだろう。
事実とは異なるが、その言葉はぐさりと心に刺さる。こんなことを書かれて評判が落ちたら困ると思い、沙羅は辻村に電話をした。
「もしもし。泉です」
「どうかした?」
「この前のこと、ネットに書かれちゃって。大丈夫でしょうか」
「よほどの誹謗中傷なら対処するけど、どんな感じ?」
内容を伝えると、気にしなくていいよと言われた。
「色々なことを言う人はいるから。それに花屋なんて口コミで売り上げに影響があるような商売じゃないから大丈夫。それより、嫌な思いをさせて悪かった」
その言葉にも安心はできなかったが、他にできることもない。
傷はまだ治らず、しばらくは仕事にも行かないつもりだった。
名前も知らない誰かの言葉が、心に突き刺さる。
「それより、これからのことを話したいから、時間作ってもらってもいいかな。そっちの店舗に行くから」
「はい」
電話を切ったあとも、あの書き込みのことを思い出すと落ち着かなかった。
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