※回想 

「さらってどんな字?」


 なんとなく行ったサークルの集まりで、自己紹介を終えると、たまたま隣に座った辻村に聞かれた。風来坊みたいな、つかみどころのない人だった。

 別の友達から、あの人はバックパッカーをしていて、ヒッピーみたいな人なんだよと聞かされていた。要するに変わり者なのだろう。

 バイトでお金を貯めては、海外に旅行しているのだと言う。そのせいで2年留年しているそうだ。

普通から外れることが怖い人間は、そういった自由さを嫌いか憧れるかどちらかだ。沙羅はどちらかといえば羨ましいと思う。

 

「沙羅双樹の沙羅(しゃら)と同じ字です」

「へぇ……平家物語の一説にある。キレイだ」


 そう言って辻村は目を細めた。


「平家物語だと、無常の象徴として使われてるから、あんまり好きじゃないんです」


 沙羅双樹は、諸行無常のたとえとして使われている。朝に咲き、夕方には儚く散ってしまう。


「変わるからこそ美しいってことだと思うけど」

「私は変化が苦手なんです」


 優しくて、母を大切にしていた父は、別の女性を選び、沙羅のことも捨てた。時が経ち、人が変わってしまうことの恐ろしさは幼少期に心に刻み込まれた。


 ──私は変わらないものを求めている。


 引っ越さない友達。いつまでも元気なおばあちゃん。永久に死なないペット。心変わりしない恋人。


 ──そんな絶対的なものは存在しないとわかっている。でも……。


 人との関係に一歩踏み出すのに勇気がいるのも、過去のトラウマのせいだろう。心に根付いた深い人間不信と抑圧された憤り、失望。親という絶対的に自分に愛情を注ぐべき人間に裏切られた悲しみ。


 こういったものを乗り越えないと、普通の恋愛は難しい。

 男性と付き合うことに対しても、どこかしら斜に構えてしまって同年代の友人たちのように浮かれたり、恋愛に没頭することができない。


「沙羅双樹の花言葉、知ってる?」


 首を振る。花言葉に興味はない。


「愛らしい人、清楚な美しさ。ぴったりじゃないか」


 辻村の言葉に耳まで赤くなる。


 ──こんなこと言う人なんだ。


 どちらかといえば、口数の少ない朴訥な人間というイメージだった。


「そうだ。これ。よかったら。インドに行った時に撮ったんだ」


 そう言って、鞄からアルバムを取り出し、そこから写真を一枚沙羅に渡した。

 インドの村を訪れ、地元の人々が、沙羅双樹の花が開くのを待つという古くからの伝統行事に参加をし、一緒にこの瞬間を見ようと村の人々に加わった時のものだという。


 沙羅双樹が花を散らせ、花びらが雪のように地面に積もっている写真だった。


「本当は咲く瞬間も見たんだけどね。それは心だけに留めた」


 地上に降り積もる花びらは、まるで雪のようで、その姿は美しくも哀しい。その儚さの中に、生と死、美と悲しみの両方を表現しているようだった。


「きれい」


 辻村が世界中を旅行していることは知っていたが、まさか沙羅双樹の写真まで出てくるとは思わなかった。


 それから自分の名前を見るたびに辻村の言葉が思い出されて、名前に魔法の粉でもかけられたかのようにきらきらして見えた。



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