大切なもの
「ずばっとさ、聞いちゃいなさいよ」
電話で一人で抱えていたモヤモヤを真帆に相談してみる。
「ごめん、忙しいのに、こんな下らない相談」
「そういう卑屈なとこ、沙羅の悪いとこ! いいじゃん。私だって愚痴を言ったりするし。誠さんにもたまには感情ぶつけていいんだって」
「そうだよね」
「沙羅みたいに我慢強くて、自己主張しない子とずっと一緒にいると勘違いしちゃうんじゃな? 釣った魚に餌をやらないっていうか」
そういえば、喧嘩をした記憶がない。いいことだと思っていたが、本音をぶつけたことがないとも言える。
「仕事忙しいのにワガママ言えないよ」
「だからー! ワガママじゃないんだって。怪我したり、怪しいレシート見つけたり、どれも重大なこと。黙ってていいことじゃない」
母子家庭で育ち、母親にわがままをいったことのない沙羅には難しい。我慢がなにかもわからない。自分の希望を伝えるのはひどく勇気がいることだった。
「そうなのかな」
「誠さんが浮気してるかなんてわかんないけどさ、疑う気持ちがあるならぶつけてしまいなさいよ」
「うん」
「なんでも仕事のせいにしたら、妻をないがしろにしていいってわけじゃないし。沙羅も辻村さんのお店で頑張ってるんでしょ?」
「色々そっちも怪我で迷惑かけちゃって、落ち込んでた」
怪我の原因になった男の子の母親は、後日お店に謝りに来て、泣いていたそうだ。
お客さんにそんな思いをさせて申し訳なかった。
「たまたま運が悪かっただけだよ。人のせいにしないのはいいことだけど、自分ばっか責めるのも違うよ」
「うん。辻村さんにも心配かけちゃった」
「経営者だからね。本店の方では辻村さん目当てのファンも多いらしいよ」
お店そのものもさるものながら、辻村の独特の雰囲気を好きになる女性は多いだろう。昔からやたらモテたのも頷ける。一見飄々としているようで、さりげない気遣いも欠かさないし、大人の男らしい色気もある。
前から気になっていたことを真帆に訊いてみる。
「辻村さんて結婚してないの?」
指輪はしていなかったが手を使う仕事だと外す人も多い。
「うん。独身」
「そうなんだ」
「沙羅もさ、誠さんのことばっか考えてないで外に推しでも作りなよ。ときめきは必要だよ。辻村さんでもいいし」
「いや、さすがに知り合いは生々しいよ。推しってもっと遠い存在のがいいんじゃないの」
真帆の冗談に苦笑する。アイドルならまだしも職場の男性にときめくのは、不謹慎というか、褒められたことではないだろう。
電話を切り、一人学生時代の思い出をたどる。辻村と出会ったのは大学に入りたての18歳の時だった。
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