怪我よりも痛むのは心
頭を打ち、割れた破片で庇おうとした右手も切ってしまった。
「旦那さんに連絡しますよ」
店のスタッフが代わりに誠に電話をしてくれたが、出ないようだ。
「大丈夫。命に関わるような怪我じゃないし」
「俺が車出すよ」
「でも仕事が」
「物事には優先順位があって、間違うと取り返しがつかなくなる」
今日は雑誌の取材が来ることになっている。店の宣伝にもなるのにキャンセルするようだ。
「ごめんなさい」
「謝るのはこっちのほうだ」
そのまま辻村の車で病院へ行き、手の傷は縫うことになった。
もっと早くに気づくべきだった。そうしたら事故にならなかったはずだ。お客さんや他のスタッフにも迷惑をかけて申し訳ない。
手の傷以上に、心がじくじくと痛む。
──せっかくうまくいってたのに。久しぶりに自分が認められた気がして浮かれてたんだわ。
少し眩暈がするので、念のため頭の検査をして結果を待っていた。
「旦那さんが待合室で心配そうにしていますよ」
縫合手術を終えると看護婦が辻村を夫と勘違いして声をかけてきた。
「今日は大切な日だったのにごめんなさい」
「うちの店で起きた事故だ。俺に責任があるだろう」
「私が不注意だったんです」
怪我をせずとも、子供を危険から守る方法もあったはずなのに、できなかった。そのせいでこうして迷惑をかけてしまった。
「旦那さんに連絡はついた?」
「ちょっとスマホのバッテリーを切らしてしまって」
それもあるが、なんだか最近誠と話すのが憂鬱だった。こんな時でも意地を張っている自分がいる。心に溜まった鬱憤が鉛のように重たい。
そもそも今日は本当に仕事の付き合いなのだろうか。
「今日は仕事なの?」
「……多分」
本当に仕事かなんてわからない。あれからクレジットカードの明細もこっそり見たけれど、接待では行かないような店に行っているようだった。
考えないように、疑わないように、最近では家にいる時も仕事のことばかり考えるようにしている。
「旦那さんにも謝罪しないとな」
「私がどんくさかっただけです」
「傷、残りそうか?」
「大丈夫です。少しくらい残ったって。嫁入り前の娘でもあるまいし」
軽く言ったつもりだが、辻村が心底申し訳なさそうな顔をして、言わなければよかったと後悔した。
でも事実、体に傷ができたところでなんだというのだろう。誰かに見られることもない。誰も沙羅に興味はないだろう。夫の誠さえも。
「できることはさせてほしい」
「私こそ……これからもあのお店で働きたいんです。いいですか?」
「当然だよ。沙羅の評判はもう耳に入ってる」
無意識だろうが、昔のように名前で呼ばれ、どきりとする。
「私、本当に生きがいとかなくて、ここ数年ただ漫然と年を取るのが怖かったんです。でも今は働けて、幸せなんです」
「ありがとう」
医師には問題なさそうだが、頭を打ったので三日は安静にしたほうがよいと言われた。
「送るよ。本当は旦那さんが来た方がいいんだろうけど」
「一人で帰れます。仕事中だと悪いから、メッセージだけ送りました」
電話をして、他の誰かといたらと思うと怖かった。既読マークはついていない。
「家族なのに? 仕事より大事だろう」
その問いに、沙羅が黙り込むと、出すぎたことを言ったと辻村が謝った。
辻村の車で家に着くと、どっと疲れが出て朝まで眠ってしまった。
明け方になって誠が帰ってきた気配を感じたけれど、起き上がることもできず、結局昼過ぎまで眠り続けてしまった。
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