第5話の後

 僕と男は白いベッドを汚した。すっかり夜が明けてしまったらしく、新鮮な日差しが遠くの山々から僕たちに落ち、男の彫りの深い顔を明らかにしている。男はすっかり眠ってしまっていた。

 僕はベッドから起き上がり天井に手を伸ばしきった後、洗面台の方に向かった。ちょっと泡を含みすぎて濁ってしまった水道水が、透明なコップに注がれる。僕はそれを飲み干した。


「あぁ、貴方は私のことをよくおわかりになっているようだ」男は夜にそういっていた。

「そうおもいますか。僕はただ自分がしたいようにしているだけです」僕のその言葉に、男は沈黙で返した。もうまったく何が起きているのだ、という感じを僕に見せることもなく、むしろあぁ貴方も気がついているだろう、というように。

 僕らは夜、重なり合っていた。静かに、声を出すこともなく。猫の寝息が良いバックグラウンドミュージックになっていた。月が目をそらすように、部屋の窓へ月光が入りすぎていなかった。ほんとうにこの世界には僕と男しかいないかのようだった。もっと言ってしまえば僕と男がこの世界の全てであるかのようだった。男と僕が出会い重なり合う、その目的を果たすためだけに僕たちが作ったのがこの世界であるかのようだった。


 あまり嘘ではないかもしれないとおもった。僕はもっと苦いものがほしくなり、ルームサービスでアルコールを注文しようかと思ったが、さすがにアルコールに頼りすぎるのはよくないと考え直し、部屋に備えてあったコーヒーを用意した。香りが異様に強く、男が目を覚ましてしまうのではないかとおもったが、それでも男はまだぐっすりと寝ている。僕はコーヒーが出来上がるまで、もう一度だけ昨日の夜ことを反芻した。


 確かに僕たちは一つになった。2人でも、1人とその半分でもなかった。何かよく分からない1匹、或いは1人の生物が誕生していた。それは本当に心地がいいというよりも、自分の正しい姿を完成させた達成感や、漸く欠けていたピースを埋めることができ、完全体になった自分に生命力や幸福感が溢れているという感じだった。猫がその時の僕から吹き出していた様々な液体を味わっていたこと、それが完全体になった僕を肯定しているかにおもわれた。これでよかったのだと、つよく。


 出来上がったコーヒーを舌に滑らせた。じんと口に苦さが広がる。酒よりは上品すぎていて、朝に適しているなとおもった。すると、男が目を覚ました。コーヒーが苦すぎてしまったのだろうかと僕はすこし申し訳ないことをしたような気がしたのだが、男はむしろありがとうとでも言うかのように「おはよう。良い目覚めだ」と美しく。「チェックアウトはあと1時間ですよ」僕はいささか現実的なことを言い過ぎたかと思ったが、それでよかったらしい。「ありがとう。急ぐよ」と男は僕に伝えてきた。

 僕と男はエレベーターでフロントまで降り、チェックアウトを済ませた後、外気に触れた。僕らがホテルにいる間にもうすっかり冬になっていたらしい。小さな雪が舞っていた。人生はなんて自分勝手なものなのだろうと、僕と男はおもった。

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はだか 赤羽九烏 @Ioio_n_furinkazan

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