第3話 

 僕は頼りなくグラスの底を満たしている酒をにらんだ。グラスの底がすっかり見えてしまう頃になれば、いよいよ平静を装うことはできないに違いなかった。

 テーブルに置かれたタブレットを手に取り、酒の写真が二列に並んだページに素早く飛ぶ。今飲んでいる酒は何だったかなとおもうが、漢字を巧みに使ったから試してみてくれというようなこの黒い酒は、決して20歳の祝いに選んでいないに違いないだろう。初めての酒なのだから、やはり金色に限る。黄金色、といった方が正しいか。一方カタカナで書かれた黄金色の発泡酒は、ちょっと口に入れてもいいだろうという印象をひたすらに与えてくる。僕はそれを注文した。

 次の酒が出てくるまでこのグラスの底を見せるわけにはいかないといった感じに、グラスにキスをする頻度とそれで得る揺らぎを少なくしていかなくてはならない。そうでもしておかなければ、何もすることがなくまた男と見つめ合ってしまいそうである。何かもっと魅力的なものの方へと動いていってしまうのが生物の見るに堪えない習性なのだ。

 一口、口に含んだ。

 苦みだけが残り、静電気が走ったような刺激と、またちょっと冷えすぎていて背中の毛が一瞬逆立つ感じの刺激が、もうすっかり何処かに消えてしまっていた。落ち葉をすっかり何処かに忘れてきてしまったアルボル――木――のように。この酒もアルボル――木――のようになりつつあるのだろうか。誰かに抱かれることを期待しているのだろうか。

 もう一口、口に含んだ。

 口の中でさえ、酒は歓喜の声を上げているような感じがしてならない。こいつらを胃の中に、そして僕の温かい血液に乗せてしまったら、彼らは一体どんなに踊り狂ってしまうことだろう。

 そいつが楽しみで、或いは彼らを抱いてやりたくて、僕はうっかりグラスの中にある酒を全て身体に流してしまった。

 そういうわけで、僕はもう一つの魅力的な物事の方へと身体の全てを捧げなくてはならない。僕は周りを揺れる空気をうっかり冷やしてしまわないように息を広く吐いた後で、男の方を見る。男はやっぱり僕を見ていた。

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