すねの間をこする何か

Tempp @ぷかぷか

第1話 すねのあいだをこする何か

 たまきが不機嫌だ。

 それはもちろん俺のせい。気になる幽霊がいたからついてきてもらったんだ。俺は幽霊が見える。でも環は見えない。でも環は呪文とか色々知っていて、幽霊をなんとかすることはできる。だから俺は可哀想な幽霊、つまり俺にとって怖くない幽霊がいたら、環に相談することにしている。

「環、そんな怒んないで。なんかおごるからさ」

「お前に怒ってるんじゃない。アレがああなった原因について怒ってるんだ」

 環が言うことはたいていよくわからない。俺が見つけた幽霊がかわいそうなことになっていたのは、他の何かが原因になっているらしい。この神津こうづっていう場所は変な因縁とか因果の糸が複雑に絡まっているらしくて、環はそれをゆるく何とかしないといけないらしい。


 細かいことは聞いてもよくわかんないから聞かないけど、変なものを見つけたら知らせろといわれてる。だからなんとなく、毎回環は不機嫌になるんだろうなと思いつつ、知らせることにしている。

「まあ気にしても仕方がないな。次はきっと良いことが在るだろう」

 そう呟いて、環は肩の力を抜いた。

 環は基本的にとても前向きだ。嫌な気分を滞留させると嫌なものを呼びやすいと言う。それは俺もそう思う。いつもなるべく悪いことは考えないようにしてる。

 そんな感じで神津市内を駅に向かっててくてくと歩いていたところ、環は突然びくりと身じろぎをして、慌てたように振り返った。つられて振り返ったけれど、そこにはなにもない。けれども環は真剣に目を細める。

「環? どうした」

「まさか……智樹ともき、ちょっとじっとしてろ」

「え、何何」

 そう思っていたら、何かがふわりと脛にぶつかったから慌てて飛び退いた。

「何何? いまの。何かいるの?」

 そう思っていると、環がスマホを取り出した。多分いつも通り動画モードを起動して、ついでにボイスチェンジャーを起動したのか、環の声がデジタルじみた声に変換される。それをまるっと投げ渡されれば既にストリーミング中で、画面には環の炎の形のアバターが揺れていた。

 カメラをやれってことか。俺写っちゃうと困るんだけど。でももう既に、何人かの視聴者が入ってきてる。

「こんばんは。Batrazバトラスの不定期配信にようこそ。頂いた投げ銭は、超常現象の検証にありがたく使わせて頂きます」

 環はBatrazという名義で怪異系Vtuberをしている。主に神津市内で起こる怪奇現象の検証動画を配信して、それなりな視聴者数を稼いでいる。俺も手伝うことはあるけど、だいたいそれは入念に打ち合わせを行った上のことだ。

 だからこんな風に緊急に動画を記録することは基本的にない。さっきの幽霊のときも一応録画してはいたけど、それはあくまで記録用だし。

 だから今回は環がよっぽど気になるものがあったんだ。

 それがさっき膝にぶつかったもの、なのか?

「ねえ、Batraz. 俺は何を撮ればいいの?」

 俺の声もデジタル音に変換された。いつも変なのって思う。


「そうだな、まだ見えない。もう一度ぶつかってきたら見えるようにする」

「それは何なのさ」

「ひょっとしたら……すねこすり。これを捕まえられたらすごいぞ。動物ネタは売れるからな」

「えっと、それは何?」

 環が驚いたように俺を見た。

 なにそれ、界隈では一般常識なの?

「あと、俺は喋ってもいい感じ?」

「……まあ、かまわないよ。そうだな。すねこすりという妖怪について説明する。すねこすりは昭和10年発刊の現行全国妖怪辞典初出の妖怪だ。それによると岡山の小田郡おだぐんにいる」

「ここは神白かじろ県神津市だよ」

「俺は常々、すねこすりですごく気になっていることがあった」

 すでに俺の話は聞いていなさそうだ。

「現行全国妖怪辞典では『犬の形をして雨のふる晩に通行人の股間をこすって通る』って書いてあるんだよ」

 そういえばさっき股の下を何か通っていった。犬? 犬かな。そういや環は犬が好きなんだ。

「でもな、世界の大家のM先生がすねこすりの姿を猫で描いたから、今の常識だとすねこすりは猫なんだよ。俺は犬なのか猫なのか、それをどうしても確認したい」

「え。だって見えないんでしょ?」

「見えなくても『犬の形をした』と名言してるんだから、わかる何かがあるんだよ」

 まあ、犬っていってるならそうなのかな。確かにさっきの膝にあたったサイズを考えれば、中型犬くらいはあるのかもしれない。猫ではなく犬である特徴。鼻面の長さとか体のガッシリさかげんだろうか。

「ともかく俺は捕まえる。犬の好きそうなものって肉だよな」

 環は懐から3センチほどの謎の塊を取り出した。白っぽいそれは肉なんだろうか。てんぱった環はその様相と相まって、とても怪しげだ。思わず距離を取る。

 環はサブカルライターをしているのであまり気にしないのか、その格好はいわゆるサブカル系だ。今日も長髪に黒いロングジレをなびかせた胡散臭い格好をしている。そう思っていると、何かが俺の膝の外側を触れ、環の方に動いた。

「Batraz、そっちに何かいったかも。みえないけど」

 環のジレが不自然にたなびいた瞬間、環はいくつかの小石を周囲にばらまいた。そしてなにもないのにジレの裾が複雑に、というか何かを捕まえるようにもぞもぞと動き、その方向を追って環が透明な何かを捕まえる。

 見えない物体を撫で回す環はまるでパントマイムみたいだ。周囲に人がいなくてよかったと思う。

「それ、結局何なの?」

「耳が尖ってるからどっちかっていうと犬っぽい気がする」

「でもカラカルなら耳尖ってるし大きいよ」

 カラカルというのは砂漠にいるシュッとした感じの猫で、この間テレビ番組に出ていた。

「……透明なカラカルだと俺は食い殺されてるぞ」

 そういえば、あれは肉食のはずだ……。暴れようとしているようだけど、環に襲いかかりそうな様子はない。

「うーん。じゃあ見えるようにするから録画しろ。みなさん、今日、すねこすりと思われるものを捕獲しました。これから可視化します」

 なんだかUMAみたいなアオリだなと思っていると、環は札をその何かにペタペタと貼り付ける。札が空中に浮いているようにみえるから、これだけでも超常現象動画だと思っていると、突然その存在が空気からにじみ出るように姿を表し始めた。

 大きさは犬っぽい。それで……そこまで見て、俺はスマホを取り落として一目散に逃げだした。

 角を曲がってようやくそっと来た道を覗き込めば、ソレは既に逃げたようで、環が一人道の真ん中でぶったおれていた。まだ指が震えている。なんだあれは。あれは確かに妖怪というか宇宙人というか怪獣というか、この世のものとは思えない悍ましい何かだった。あんなものに触るなんて正気を疑う。

 慎重に周りにアレがいなさそうなのを確かめて、でももともと見えないんだよなと思いつつ環の呪符がくっついてるに違いないと思ってそれが宙に浮いていないことを確認して戻れば、環は呆然と空を眺めていた。

「夢が壊れた……」

「うん……。途中までしか撮れてないけど、これどうしよう」

 路面に転がったスマホを拾って録画を終了する。

「あんなもの、流せるわけがない。お蔵入りだ。はぁ」

 数人には断片的に見られたかもしれないけれど、動画はすぐに削除してしまえば問題ないだろう。

 手を伸ばして環を助けおこす。ぐったりと力ない。一緒に石を拾って回収する。これもなんだか傍から見ると変な光景だよな。

「今日はろくでもないな。おい、ケーキおごれ」

「わかったわかった」

「あ、でもここは岡山じゃないし雨もふってないな」

「そうだね」

 環は空を見上げた。今日はカラリと晴れて、雲もない。

「だからひょっとしたら、あれはすねこすりじゃないかもしれない」

「そうならいいね」

「ああ。まだ夢がある」

 けれどもアレがこのへんに徘徊してるなら、それはそれなりに恐ろしく夢がない。普段は見えなくてよかった。


Fin.

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