20 悪魔の研究室

 就寝時刻すぎのことだった。

 同室の子を起こさないように、私は寮の部屋を抜け出した。ギリギリまでどうするか考えてはいたがアクションを起こさないとストーリーは動かない。選択肢「行く」を選んだ私は、女子寮の階段を降りて階下へ向かった。


 カフェテリアを出た後、私のE-フォンに届いた匿名メッセージを開くとファイルが添付されていた。中身を確認すると、ぬっと画面から魔法薬が浮かび上がってきた。


『ボクお手製の性別詐称薬だヨ。男子寮にはいル直前に飲ムとイイ』


 中身が見えない真っ黒なボトルにはご丁寧に「Drink Me♡」のタグまでつけられている。それにしても悪趣味だ……。私が訪ねて来ることを微塵も疑っていないところが腹立たしい。そしてその思惑に乗ってしまう自分も愚かなのかもしれないが。


 一階まで降りると、私は一気にこの実にいかがわしい薬品を一気に呷った。半信半疑のまま、男子寮へと続く右手の階段を上がり、入り口に設置された性別判定魔法のゲートをくぐる――が、何も起きなかった。

 試したことはないからわからないが、けたたましい警告音が鳴るとか寮監がすっ飛んでくる気配はない。


「ええっと、カデンツァ先輩の部屋は……確か、四階の一人部屋だったっけ」


 カデンツァは寮内でも実験を繰り返している危険人物のため、同室になることを寮生が拒み続けているという。さすがに哀れに思ったのか、同室に割り当てられた子は別の部屋に移動し、カデンツァは一人部屋で優雅に実験三昧をしているらしい。

 いちおう、部屋のビジュアル資料はあるのだけれど主人公が男子寮に入るシナリオはなかったんだよな。


 古びた階段を軋ませながら目的の四階に到達する。

 一番奥の部屋がそうだ――が、此処に来てめちゃくちゃ緊張してきてしまった。女子が男子の部屋に夜中訪ねるって結構やばいのでは。「薔薇の誇り」はねっ、年齢指定はついてない、全年齢対象のゲームなんですっ、いちおう。


 ただこれからの私の行動により、対象区分が変わってしまう可能性がある。

 さすがにあのマッドサイエンティストと一線は超えないと思っているが、あの声がダメだ。私もともとあの声優さんのお声、すごく好みだったんだよね――とにかく冷静に、落ち着いて。

 すうはあ、と浅い呼吸を繰り返し、ノックするために拳を握った瞬間のことだった。


「……っ!」


 にゅっと扉の隙間から出てきた長い手が私を部屋の中に引き込んだ。

 あっぶねえ……悲鳴でも上げていたらどん底まで下がりきった私の評価がさらに地面にめり込んでしまう。男子寮に忍び込んだ変質者扱いされるのは絶対に、避けたい。


「やァ、こんばんハ。内緒話にはフさわしイ良い夜だと思わなイかイ――ローゼル・ベネット。ようこソ、ボクの研究室ラボへ♡」


 ビジュアル資料では見たことがあったが、実際に目にすると迫力がすごい。

 床中に積み上げられ背の高さまでに到達しそうな本、雑誌などの文献の数々。

 巨大な机にはごちゃごちゃと実験用器具と、筆記具、殴り書きした実験結果のレポートなどが乱雑に置かれ、ひとつでも動かせば絶妙なバランスが崩れて大惨事になりそうだ。

 カデンツァの背後でスモークが焚かれているように見えるのは、加熱中の大鍋からは紫色の煙が濛々と立ち込めているからだった。


「せ、先輩らしいお部屋でステキですねっ」

「ソう? ありがとう、嬉しいナぁ」


 ぎざぎざの歯を見せて、魔薬の申し子カデンツァは不気味と可愛いの中間にある笑みを見せた。

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