第7話 手料理と青春と

 母は菓子作りが趣味なのだが、俺も親父も食べないせいで、調理器具を持て余していた。ところが、奏が食いつくようになってからは一変。今では日々新作を考えては、奏にプレゼントするのが恒例になっていた。


「ところで昼食はどうするんだ?」

「ふっふっふ……。期待に胸を膨らませながら待っていてくれたまえ!」

「まさか手料理か?」

「んえっ!? ……ネタバレダメ、絶対!」


 あからさまに動揺する奏。「その態度こそネタバレじゃないか?」と笑いそうになるも、手洗いを済ませ、リビングで座して待つ。どうやら既に形は整っているようで、冷蔵庫からはフライパンが現れた。


『なるほど、これならすぐに食べられそうだ』


 手つきを見る限り、自炊は慣れたものらしい。少し前まで、「食べるのが専門!」と豪語していたのが嘘のようだ。感心していると、カウンター越しに声が飛んでくる。


「はーい目を閉じて〜、今から持ってくよ〜」

「なんだそれ、ドッキリでもするつもりか?」

「しない……よ! だから早く早く! 料理冷めちゃう!」

「……途中で転ばないか?」

「転びません!」


 仕方なく目蓋を閉じる。アイマスクこそ着けていないが、これから何が始まるのだろう。味覚テストだとしたら恐怖でしかない。


『……そんなことはなさそうだな』


 ほのかに甘い香り、食器が擦れる音、飲み物がカップに注がれる音。そして最後に少しの間を置いて、チューブが絞られるような音が聞こえた。


「……うん。もう開けてもいいよ」


 悪戯がバレそうな子どもの如く、ぎこちない声を放つ奏。……まさか本当に、味覚テストが仕掛けられているのだろうか。期待と不安を混ぜながら、目蓋を開く。


「! これは――」


 しかし予想とは裏腹に。目の前にはスープやサラダ――そして、猫が描かれたオムライスがあった。一方奏はケチャップの容器を握っており、さっきの怪音に合点がいく。


『それにしても、随分と綺麗に描けてるな』


 一切迷いのない曲線は、まるでベテランの職人のようだ。目を丸くしていると、奏は気まずそうに頬を掻く。


「えっと……何回も味見したから、多分大丈夫だと思う。けど、もし嫌だったら今からピザ頼むから安心して! その――絶対食べてとかじゃないから、だから」

「頂きます」

「!」


 早口で並べられる謙虚を無視し、スプーンを手に取る。――少し厚みがあるが、よく火が通った卵。幾らかムラを残した、鶏肉と玉ねぎ混じりのケチャップライス。


『……奏の手料理なんて初めてだ』


 こそばゆい心境を悟られぬよう、俯きがちにオムライスを掬う。口に運ぶと見た目の通り、家庭的な味が舌に広がった。だが、それ以上に感じたのは――


「……どう?」

「っ――」


 不意に目が合い瞼を閉じる。恐らく今俺はこの時をもって、“面倒くさい客”か“味にうるさい料理人”の風貌になってしまっただろう。それでも。感想を言うべく、空になった口を動かす。


「美味い。今まで食べてきたオムライスの中で、一番かもしれない」

「……ほんと? ほんとにほんと?」

「ああ」

「……えへへ、よかった! じゃあ私も食べよーっと」


 すると奏は真向かいに座り、何事も無かったかのように食事を開始する。しかしオムライスにケチャップがかかっていなかったので、適当に波を描いてした。


◇◇◇


 食後。片付けを終えた俺達は、奏の部屋で夏休みの宿題に取り組んでいた。エアコンの効いた涼しい部屋。その下流で教科書とプリントは、「余計な物は置かせない」と言わんばかりにローテーブルに広がっている。


 「まさに学生らしい光景だ。中高生が主人公の漫画なら、一度は描かれるシーンと言っても過言ではない」。そんなモノローグを脳内で語り、眼前の奏に声を掛ける。


「ほら、手が止まってるぞ」

「ん〜……」

「眠いのか?」

「ん……少し。でも、もうちょっとで終わるから頑張る……」


 実際残りの設問は二つしかなく、10分もあれば解けそうだった。しかし5分経過しても、奏は目を閉じたまま。一向にペンを動かす気配がない。


『これは無理そうだな』


 ペンを置き、帰りの支度を始める。すると物音が耳に付いたのか、奏が頭を上げた。


「あれ……どうしたの?」

「今日はもうお開きにしよう。俺は帰るから、奏は」

「……やだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トロイメライをキミに 禄星命 @Rokushyo_Mikoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ