第9話(最終話)創作道とは恥を晒すことと見つけたり

 以上、文章、イラスト・漫画、音楽、動画、Live2D、ゲーム制作、3Dと私の創作活動の遍歴を御覧いただきました。

 他にもイラストの技術を流用してドット絵やLINEスタンプ、アニメーションなども作っていますが、頻度が低いしこまごまとしているので省略します。

 これだけ幅広くやってますが、いや幅広くやりすぎてるせいなのか、この中で突出しているものはありません。

 文章は仕事にしているのですが、それでも現時点では、小説でヒットを飛ばして書籍化しているわけでもありません。

「ええっ!? 今までドヤ顔で楽しそうに創作活動について嬉々として話していたのに!?」とびっくりされるかもしれませんが、私もこれまでのこのエッセイで書いた内容を読んで恥ずかしく思っています。


 なぜこのエッセイを書こうと思ったのか。

 私は創作活動とは、自分の恥ずかしい部分を晒す行為だと思っています。

 小説で自分の妄想を書きつづって数年後、読み返して悶絶する方もいらっしゃるでしょう。

 自分が一所懸命に書いた小説を読者にコメントで茶化されて顔が熱くなり、作品ごと消して逃げてしまった経験をした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 それでも、創作活動をしている限り、自らの恥と向き合い続けるのが創作者の宿命なのです。

 私は自分の創作活動について語り、自らの失敗談も交えて、あえて恥を晒そうと思いました。失敗談は笑い話や酒の肴にしてしまったほうが消化しやすいのです。

 しかし、こうして創作活動の遍歴を振り返ってみると、案外楽しいこともあったのです。これはこのエッセイを書くまで気付かなかったので私にとっても意外なことで、書いてみてよかったなと思っています。文章にしてみて初めて気付くこともあるものですね。


 最初はうまくいかなくて他人にバカにされたりもして、悔しい思いをすることもあるかもしれません。それでも新しいことを勉強するのはいつも新鮮な気持ちで、楽しいことでもあります。私の人生から創作活動を引いたら、あとは味気ないものしか残らないでしょう。思い返せば幼稚園や小学生くらいの頃からイラストを書き始め、中学から小説を書く楽しさに目覚め、大学からパソコンを手に入れてデジタル創作の世界に足を踏み入れ、音楽や動画も作り始めて、気づけば三十四年の人生を創作活動とともに駆け抜けてきました。

 自分の絵をバカにされて復讐心で絵筆を握って、泣きながら絵を描いていた時期もあったり、一部の創作活動をしばらくお休みしてひとつの創作に集中したりする時期もあったりと紆余曲折ありましたが、人生のほとんどの時間、どんな形であれ創作活動は私と一緒に寄り添ってくれました。私は創作活動が大好きです。心の支えであり、自分のマグマとヘドロを混ぜたようなどす黒い気持ちも受け止めてくれる存在であり、私と他人との縁を作品を通して繋げてくれる存在であり、人生のパートナーとも言える存在です。

 このエッセイは私から創作活動への感謝の気持ちを込めた手紙なのだと思います。

 ……この文章も、後年になって読み返したら「何言ってんだコイツ」ってセルフツッコミを入れてしまうような恥ずかしいものかもしれませんね。それでもこの手紙を書いて渡したかった。そのくらい大切な存在なのです。


 おそらく、恥をかきたくなかったら創作活動なんかせずに読者や消費者になったほうがお得ではあります。

 創作者は場合によっては自らの人生すらも切り売りしてパフォーマンスする生きたコンテンツです。

 消費する側になったほうが自分は傷つかずに済みます。何も発信しなければ誰からも茶化されたり誹謗中傷を受けることもなく、あるいは自分が安全圏から茶化したり誹謗中傷できるでしょう。いや、誹謗中傷はダメですけどね。アウトですアウト。

 でも、何も生み出さないで消費だけするという選択が、私にはできなかった。何かを創りたい、自分の創ったものを発信して誰かからの反応がほしいという衝動に突き動かされるまま、創り続けた三十四年間でした。承認欲求の怪物と言われればそのとおりですし、私は自分本位で我が強いのかもしれません。創作者は無人島や誰もいない惑星から独りでモールス信号を送って、誰か人間がいれば運良く返事の信号が送られてくるかもしれない、という希望を心のよりどころにして生きている人種です。それで誰かと縁が結ばれて、自分の作品を愛してもらえると喜ぶ生き物です。そんな生き物が承認欲求に飢えていて、我が強いのはある意味当たり前のような気がします。


 このエッセイを読んで、「創作活動してみたいけど自信はないな……」と思った方へ。

 紙とシャーペンがあれば、いつでもどこでも、ちょっとした楽描きはできます。紙にペンでグリグリと何かのキャラクターとか似顔絵を描いて一人でフフッと楽しくなるくらいなら許されると思うのです。それで「これ、誰かに見てほしいな」と思ったら近くの友達とかに見てもらって、一緒にフフッとなったら、もう創作活動に片足を突っ込んでいると思います。ネットに上げると茶化す人やアドバイスをするふりをして引っ掻き回す人がいるかもしれませんが、もし勇気が出たら一歩踏み出して公開してみるのも一興かと思います。自分の得意な創作が分かると人生に彩りを与えてくれるでしょう。私の紹介してきた創作活動のうち、興味の湧いたものはあったでしょうか? 創作の種類によっては他の創作に応用が効くものもあります。自分だけが楽しむために公開せずに創作をしてもいいと思います。高確率で、創っているうちに誰かに見せたくなるものだと経験上思いますが。


 傷つく覚悟、恥を晒す覚悟があれば創作活動は楽しいものです。冷やかす人もいれば応援してくれる人もいます。

 私は初めてネットに作品を投稿して、冷やかしの言葉も温かい言葉も、反応としてコメントが返ってきたときの新鮮な気持ちを今でも忘れられませんし、初心としてあの光景、あの感情をずっと覚えておきたいと思っております。


『創作道とは恥を晒すことと見つけたり』。

 この言葉を胸に刻みつけて、きっと今日も私は何かを創っています。多分死ぬまで何かしら創っているでしょう。

 これからも私の創り上げたものが、誰かの心に響いたらと願ってやみません。


 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 創作者の皆様も読者の皆様も、カクヨムコンという創作小説の祭典を、どうぞ心ゆくまでお楽しみいただけますように。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オタク創作けもの道 永久保セツナ @0922

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ