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このアウストラ大国には1ゼニー、10ゼニー、100ゼニーの三種類の銅貨と、銀貨、金貨の計五種類の通貨が存在する。酒が一杯3ゼニー、果物や野菜一個が1ゼニーが相場である一般階級では、主に銅貨が使われていた。
銀貨・金貨などは主に商人や貴族―――所謂、富裕層の象徴とも呼ばれるため、一般民にとって中々お目に出来る代物ではないのだ。ちなみに価値として銀貨は1000ゼニー、金貨は10000ゼニーとなっている。
「…ま、マジでくれんのかよ?」
「私の条件を飲んでくれるならば約束しよう」
ネールは淡々とそう告げ微笑を見せた。
周囲の者たちは異様とも異常とも思えるその光景に驚きを隠せず、彼女の連れでさえ開いた口が塞がらないといった顔だ。
が、それも当然だ。こんな下らない状況を、大金を出してまで解決しようと思う人間はまずいない。余程裕福で、尚且つ金が有り余っていると自慢している貴族か商人くらいであろう。
しかし、そんな彼女の身なりはというと、二股の尖り帽子が特徴的な、旅の踊り子と言うよりは道化師に近い独特な民族的衣装で。連れ添いの男もありきたりなタートルネックの長シャツに皮の胸当て。その上に風除けのマントという、至ってシンプルかつ典型的な旅人スタイル。二人共、とても裕福な身の上には見えない。
だからこそ尚更に、ネールが突然大金を出して見せたことに皆が驚愕した。
男たちは互いに目配せし、何やら確認しあう。
「……わかった。約束してやるよ」
と、次の瞬間にはあっさり手のひらを返した。
「ほらガキ、さっさとあっちいけ」
「もう俺らに関わってくんなよ?」
そう言うと男たちは驚くほど手の平を返し、それまで唯一味方してくれていたアスレイへ如何にも彼が悪かったと言わんばかりの言動を見せた。
当然男たちから謝罪の言葉はなく、反省の素振りさえもなかった。
何とも歯切れの悪い結末だとマスターは顔を顰め、吐息を洩らした。
「んじゃあ早速、金貨を貰おうか」
が、直後。
男たちの出した掌の真横を、黄金の輝きが通り過ぎる。
「は?」
「何やってんだよ」
「俺らにくれんじゃなかったのかよ!」
出していた掌が空を握ると同時に、男たちは烈火の如き怒りをネールへとぶつける。彼女は至って冷静に男たちを見つめつつ、淡々とした様子で答えた。
「勘違いをしているようだが、私は酒代を奢る約束をしたまでで、金貨そのものをくれてやるとは一言も言っていない」
おそらくこの場にいる誰もが同じように『確かに』と、思っただろう。
するとネールは腕組みをしながら、その視線をマスターの方へ向けた。
「それと…それには私たちの食事代も含まれている。釣りは要らない…行くぞ、ケビン」
そう言うとネールは何事もなかったかのように踵を返し、困惑している彼女の連れ―――ケビンと呼ばれた彼を後目にその場から立ち去ろうとする。
しかし、このまんまとしてやられた状況を笑って許せる男たちではなく。
「待てよ!」
怒声を上げ彼らはネールを呼び止めた。
彼女は素直に足を止める。
「約束が違うぞ!」
「テメエ騙しただろが!」
わざとらしく騒ぎたてる男たちへ振り返り、ネールは呆れたといった顔を浮かべて見せ、静かにため息を洩らす。
「どう見ても私は騙してなどいない。そもそも、騙したという証拠がどこにある」
淡々と彼女はそう答える。それはまさに、先程彼らが口々にしていたような台詞だった。
謀られた、と男たちの表情はみるみる苦虫を噛み潰したような顔へと変化する。
堪らない悔しさに歯をむき出し、拳を震わせながら彼らは口をそろえてネールに叫んだ。
「女だからって調子乗ってると痛い目に逢うぞ!」
酷い剣幕で、酒場中に轟く怒声を彼らは張り上げる。
しかし、彼女は臆する様子もなく、変わらず冷淡な態度と口振りで言った。
「物事を外見で判断すると後で痛い目に逢うという事だ…良い教訓になっただろう」
その挑発的な言動にケビンは「おい」と慌てて静止の声を上げる。
が、時既に遅く。その言葉が切っ掛けとなり、男たちの怒りは頂点へと達してしまった。
「テメエッ!」
酒に酔って染まっていた顔を更に紅くさせながら、男の一人が怒りに身を任せネールへ殴りかかろうとした。掲げられた拳が彼女目掛け、繰り出される。
まさに脊髄反射のような出来事で、不意を突かれたケビンでさえ「しまった」と反応が遅れたことを後悔する。
ネールが殴られてしまうと、誰もがその瞬間。思わず息を呑んだ。
―――だが、しかし。
直後、男の体は半回転し、ネールを殴る事も叶わずその場に転がり倒れた。
ドスンという音と振動が、静まり返った酒場に響く。気が付いた時には男が仰向けに倒れていた、と言った状態であり、当人でさえ何が起きたのか理解出来ていない様子。
ただ解ることは、ネールが男を倒したのだという事実だけ。
一瞬の出来事に呆然と口を開けたままの男たちであったが、直ぐに状況を理解し他の二人が倒れている一人を起き上がらせた。
起き上がるなり男はネールの胸倉へ掴みかかろうとした。だが今度はその寸でで、ケビンによって止められてしまった。
ケビンに掴まれた腕は微動だにせず、むしろ痛みに表情を歪ませる男。
と、それまで微塵も動かないでいたネールが静かに口を開く。
「更に恥を晒したいのならば…今度は容赦しない」
先ほどまでとは違う、僅かに低くされた冷酷な声に、男たちはぞくりと背筋が凍る感覚を抱いた。
そこでようやく哀れむような周囲の目にも気付いたようで。男たちの酔いもすっかりと醒めたようであった。
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