5
「もう行こうぜ」
一人の男がそう促し、腕を掴まれていた男は舌打ちを漏らしながら乱暴にその手を振り払う。
「くそっ…」
「覚えてろよ」
男たちはそう言い残すとそのまま逃げるようにして酒場を去って行った。
最後の最後までネールの意外な言動に驚かされたマスターや客たちであったが、これでようやく解決したと安堵に胸を撫で下ろす。
―――が、しかし。
「ちょっ、ちょっと待って!」
ひと段落がつき、今度こそ店を出ようとしているネールたちを、慌てて呼び止める声。
それは今回の事態を生み出した原因である少年、アスレイであった。彼はネールへと歩み寄るなり、言葉を濁らせる。
「…その、えっと…」
大方、迷惑を掛けたことへの礼を告げようとしているが、照れくささに口ごもっているのだろうとマスターは推測する。頬を掻きながら俯く姿勢がそれを裏付けている。
すると足を止めていたネールが、ゆっくりとアスレイへ振り返った。
だが、その表情は穏やかではない。先程から見せつけている冷淡な眼差し。それを彼にも向けた。
「君は少し相手を見た方が良い」
「え…?」
思わぬ一言にアスレイは目を丸くする。彼の動揺にはお構いなしに、ネールは辛辣とも取れる言葉を浴びせる。
「夢を抱くも人を信じるも自由な事だ。がしかし…時として一歩身を引き冷静に相手を見極める能力が無ければ、全てが無駄に終わる事もある。先ほどの様な生温い態度が身を亡ぼすということを、君は知った方が良い」
腕組みしながらアスレイを叱りつけるその姿は母が子にするそれと言うよりは、さながら新人に叱咤する上官といったところだった。
確かに彼女の言葉は的を射ており、騙されかけたアスレイに反論の余地はない。
しかし、彼は眉を顰めながら食い下がった。
「だけど…どんな人であろうと信じてみたいって思うだろ。それじゃあダメなのかな?」
その口振りはネールの言葉に何故か納得できないと訴えているようで。
「ダメとは言っていない。ただ、信用の置ける相手を見定めなくては駄目だと言っている」
純粋すぎる少年への苛立ちなのか、ネールの口調は徐々に強いものへと変わっていく。賑わいを取り戻しつつある酒場であったが、また人々の視線が彼らへ向けられ始める。
一方で蚊帳の外となっていたケビンは額に手を当て、ネールへ聞こえるか聞こえないかの声でぼやいた。
「お前がもう少し信じて貰えるような言葉を選べば良いんだろうがな…」
が、ケビンの嘆きが届くことはなく。
アスレイは一向に引き下がることなく、自身の胸に手を当てながら言った。
「さ、さっきはちょっと冷静になってなかっただけで…こう見えても人を見極める目くらいは持っているよ」
心なしか自信なさげにも聞こえる台詞。
するとネールは静かに吐息を漏らし、言った。
「ならば……もしも私を倒すことが出来たなら、君が探している魔槍士の居場所を教える―――と、言ったら君は信じるのか?」
試すような彼女の言葉。
『これは嘘だ』とマスターは率直に思う。否、彼だけではない。この場にいた誰もがそれは嘘だと確信した。
仮に事実だったとしても、華奢な見た目に係わらず大の男を軽々とあしらった彼女を倒さなくてはならない。
どう見てもごくごく普通な少年であるアスレイになど、その結果は目に見えていた。
「本当に…?」
「ああ」
アスレイは暫し沈黙し、ネールをじっと見つめる。
真っ直ぐに、純粋な双眸を彼女のそれと重ねる。
と、アスレイは大きく首を縦に振りながら口を開いた。
「―――うん、わかった。信じた」
予想外の回答に、静観していたマスターは思わず「ああ」と言葉を漏らしてしまった。彼の目はどうやら相当な節穴のようだった。
提案者のネールでさえも少なからず驚いた様子で、その大きな瞳を更に大きくさせていた。
しかし、そんな周囲のリアクションを他所にアスレイは両拳を前方に突き出し構えて見せる。そのやる気に満ち溢れた気迫が、戦闘態勢にあることを告げていた。
予想外の問いかけに対し、予想以上の答えを示したアスレイへネールは短くため息をつく。それから改めて、彼を見つめた。
「後悔はするなよ」
彼女の台詞を聞いたと同時に、アスレイは地を蹴り出す。彼の手に武器といった類のものはない。相手のネールも素手であるとはいえ、余りにも直情的な、無謀な突進だと誰もが思った。
そして次の瞬間には―――。
「ぐわっ!!」
想像通りの結末。
彼はネールの腕を捕まえようとしたがするりと交わされ、逆にアスレイの方が掴まえられてしまった。
その直後。彼の身体は見事に振り上げられ、宙を飛んでいく。まるでボールのように投げ飛ばされたアスレイは、見事というほど気持ち良く壁へぶつかった。
「次からはしっかりと人をよく見て行動することだ」
崩れるように倒れていくアスレイに、ネールは淡々とそう告げる。
当人にその台詞が聞こえていたかどうかは定かではない。
「お前はな…少しは手加減って言葉を知ったらどうだ…」
頭を抱えつつ、ケビンは嘆くようにそう漏らす。その苦い表情は、ぐったりと倒れたままのアスレイへの同情も組まれていた。
と、彼女はその視線をケビンからマスターの方へと移す。一体何かと思わず身構えてしまうマスターであったが、その瞳に先程までの冷淡さが無くなっている事に気づく。
「再度迷惑を掛けてすまなかった…それと、先程の金でそこの彼に何か一品作ってやって貰えないだろうか」
相変わらずの無表情ではあったが、そう言った彼女からは何処か、暖かみのあるものをマスターは感じ取る。
「わ、解りました」
マスターがそう返答すると、ネールは今度こそとばかりに颯爽と酒場を去っていった。
「あ、おい…!」
置いていかれたケビンも慌てて後を追いかけ、二人は酒場を出て行く。
そうして、まるで嵐が過ぎ去ったかのように、酒場内には静寂な空気と騒動の痕跡―――壁に寄りかかり座り込んだままのアスレイだけが残されたのだった。
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