第5話 オルゴール

 その後、学校の帰りにバッタリ会ったような振りをして一緒に帰ったりした。桐本の話はたいていオルゴールのこと。普通なら女の話を面倒くさがる俺が桐本の話には優しい顔をして耳を傾けた。

「今日、部活に行ったら先生が大事そうに箱を出してきて私の目の前に置いたの。なんだと思う」

「さあ?」

 このくらいといって両手で長丸を作る。

「小さな家で、煙突のところに穴が空いててこれは何をするものでしょうって、薄くて小さな穴でね。お金、お金を入れる穴!って言ったら先生が嬉しそうに笑うんだ」

 桐本はそれの正体が何なのか応えて欲しそうにかなり具体的に話をした。

「それ、貯金箱?」

 俺がそう応えるとひどく嬉しそうな顔をして、

「そう!貯金箱になってるオルゴールなの」

 と、声が明るくなった。

「清里のオルゴール協会から借りてきたんだって。可愛かったな、お金を入れるとスイッチが入ってギーって鳴り出すの。そういう珍しいオルゴールを時々先生が持ってきてくれてね、音色を聞くとびっくりしちゃうよね。こんな綺麗な音の出る物あるんだって」

「お金ってコイン?」

「そう、金貨もついてるんだよ」

「楽しそうだな、俺には縁遠そうな話しだけど……」

「どうして?」

「どうしてって、男だし野球とかやってると女の子のそういう綺麗な音とか、きらきらした物とか縁遠い感じがするな」

「そう、そうかもね」

「今度の日曜俺試合なんだ。桐本は?」

 俺は試合の応援に来てくれないかなと下心ありで聞いてみた。

「私は希実ちゃんと打ち合わせ。人形劇同好会と一緒に人形劇作ろうと思ってるの。それで具体的にどうしようかって打ち合わせ」

「そうか毎日忙しそうだな」

 少し声ががっかりしていたんだろうか、

「日曜日、家に来る?」

 と、桐本に反対に誘われた。

「家ってお前の家に?」

 ちょっと早すぎるんじゃないかと一人で空回りしてどぎまぎしていると、

「うん、家の父さんと母さん二人でガラスのギャラリー作ってるの」

 と、何の意味も無いって顔でギャラリーの話をした。

「ガラスのギャラリー?」

「そう、新しい展示室でね。大きな一つの家を全部ガラスで構成して美術館みたいにするんだって、もう、ずいぶん前からそれにかかりっきり、休みもなくて、それで一人でふらふらしてるんだ」

「見ていいの?まだ制作中だろ」

「そんなのいいよ」

「面白そうだな」

 そんなことを言って俺は少し自分が卑怯だと思った。ガラスに興味があるわけが無い。

「来る?」

 でも、桐本の気楽な誘いかたは、興味なくても行ってもいいかなって気にさせた。

「うん、行こうかな」

「じゃあここで待ってるよ。道わかんないでしょ」

「ああ、わかった」

 しかし、桐本の誘いに簡単に応じた俺は、心の中に今までとは別な乾きを感じていたんだろうか?何かを知りたいと思う気持ちや、新しい物に反応してみたい気持ち。りんご農家に生まれてずっとりんご畑にいたいなあと単純に思っていた、子どもの頃の自分を遠くに感じていた。クラブが終わった後桐本と話しをしながら帰ると家に着くのが遅くなった。家族に対して後ろめたいものを感じながら、それでも一緒にいる時間が俺には大切に思えた。


 約束の日曜は、少しまとめてやっておきたい作業があったからいつもより早く起きて、ぶっ通しでやり通して、昼から待ち合わせの場所に向かった。この前約束した分かれ道の場所にあいつはもう来ていた。

「早いな」

「うん、家のことしてお昼の後かたづけしたらやること無くなったからもう出てきたの」

 俺達は二人並んで歩き始めた。

「お前買い物もしたりするんだってな」

 そういうと桐本は驚いた顔をして足を止めた。

「え?なんで知ってるの」

「マーケットで見かけた」

「え?」

「あ、見たのは俺じゃない。家のおふくろがお前のこと知ってるって前に話してた。マーケットで会ったとかなんとか」

 すると、また驚いて、

「お母さん私のこと知ってるの?」

 と、目を丸くした。

「お前ん家、家の紅玉のお客さんなんだってよ」

「え!あれ片山君のおばさん」

「そう、紅玉は俺が作ってるんだ」

 桐本は俺の顔をまじまじと見て、

「だから紅玉なんだ」

「そうそう」

 俺は余裕で頷いた。

「不思議だったんだよね。なんで紅玉なんだろうって」

「あの時班決めするまでお前俺のこと知らなかっただろう、おれはもう少し前から知ってたんだ」

「そうなの」

「紅玉って書いたのは偶然だけどな。俺あれしか思いつかなかったから」

「私りんご大好きなの。その中でも紅玉は特別。母さんずっとそう言ってケーキとか作るたびに有り難がってたから。なかなか手に入らないって大事そうにしてたの」

「最近りんご農家でも紅玉作るとこ少なくなったからな」

 俺は今までのいきさつを判じものみたいに自分に納得させるように桐本に話して聞かせた。紅玉でつながった俺達の縁を桐本も不思議がって喜んでいた。

「ここよ!父さんと母さんのお城?」

「へえ~」

 桐本の家のガラスのギャラリーは国道沿いの別荘地の一角にあった。うまい具合に雑木を残して作られていて、不思議の森に入っていくようなアプローチ。『中から時計うさぎが迷って走り出してきそうでしょ』と小道を指して桐本が言った。

『時計うさぎってなんだ…』

 入り口の扉を開けるとポロンポロンと聞き覚えのある音。ずいぶん前かすかに風に乗って校庭に流れてきた不思議な音が耳を刺激した。

「これ?」

「私の作ったオルゴール。まだ試作中なの」

「へえこれがオルゴールか」

オルゴールの音を改めて聞いてやっとオルゴールというものを認識した感じだった。

 どうぞと桐本にうながされて俺はガラスでチカチカ光る危なっかしい気のする部屋の中に入った。

 色とりどりのガラスで不思議な森の情景が描きだされている。オーケストラを演奏中の虫だとか、人間となにかの中間みたいなのの生活している様子とか、氷の世界の冷たい感じとかうまく言葉で表現出来ないけど部屋中にそんなのが続いていた。

「これはおもに母さんの作品なの小さな椅子とかテーブルは父さんが作ったんだ。まだ完成は先だって」

「そうまだ途中なのか、これ売るの?」

「さあどうかなあ」

「掃除はお前がやるの?大変そうだな」

「ふふ、おかしなことばかり聞くのね」

「この部屋は物語の部屋。母さんが良い名前が見つからないって悩んでるの」

 ガラスの色と照明の色が不思議に交差し物語に陰影をつけていた。

 次の扉を開けて進んでいくと、二つ目の部屋には食器類が並んでいた。

「すごいな。地震が来たら全滅だぞ」

 俺の反応に桐本は笑い転げて、

「もう、そうしたら父さん溶かしてまた作るわよ」

 どうして俺はくだらないことばかり考えるんだろう。桐本は平然とそう言った。ガラスは再生がきくらしい。

 最後の部屋のベネチアグラスが手が込んでいた。食器の部屋はまったく色の無い透明な世界。物語の部屋はガラスの色と照明のハーモニー。ベネチアグラスの部屋はガラス自体の色があふれていてどれも対照的だった。

 透明なガラスからはじき出される音とも振動ともわからないような不思議なものが身体の周りを包んで、しびれるような緊張を感じた。桐本の周りにある独特の雰囲気もどこかこれに似ていた。初めてふれたガラスの世界と桐本の飄々とした世界が融和する。そのさめやらぬ印象を引きずりながらその家を後にすると、広々とした芝生にもう一件小さな家が建っていた。

「ここが母さんの自慢のテイールーム自分の焼いたケーキでお茶をのんでもらいたいんだって」

 桐本は嬉しそうに扉を開けて中に入った。

「お父さんは?」

「まだアトリエ今日までに作る約束のグラスがあるの」

 おじさんはギャラリーを作りながらも注文の仕事もしているようだった。

「あ、こちら片山君」

 桐本が俺を紹介したから俺は真っ赤になって頭を下げた。

「こんにちは」

「いやあ、片山さんの息子さん?大きいのね。覚えてる。わけないか~こんなに小さい時会ったことあるわよ。十年くらい前かなあ~この娘と子供会でりんご狩りに行ってね。その時の紅玉があんまり美味しかったものだから、それからずっと毎年お母さんにお願いして持ってきてもらってるの」

 と桐本の母さんは一息にしゃべった。

 俺、桐本に子供の時会ったことあるのか。何か変な気持ちになっていると、

「ねえ、食べて。母さんの得意なアップルカスタードケーキ。母さん、このりんご片山君が作ってるんだって」

 桐本がお盆にのせて紅茶と一緒に持ってきてくれた。

「へえ~りんご作れるの?偉いんだねえ。このりんごはケーキには欠かせないよね。いつも箱で届けてもらって少し大きめのジャムにして瓶に詰めておくの。そうすると一年中使えるでしょ」

 と桐本の母さんは言った。何かおばさんのペースだ。俺は気を持ち直してケーキを食べた。ジャムやケーキを作ったのは桐本の母さん。でもりんごを作ったのは俺で美味しいと素直に言うのもちょっと照れる。けど本当に美味しい。『特別なりんご』か、と桐本の言ったのを思い出して生産者としては嬉しいかぎりだった。

「楽しかった。来て良かった。不思議なことばかりで、だけど、お前が変わってるのわかる気がする。少しだけどな……お前の場合、育った環境というより育った空間が違う。って感じだな」

「私が変わってる?」

「変わってるだろう、オルゴール職人になりたいとか言ってるし、森の中をふわふわステッキ持ってスキップしてるようなイメージあるよな」

「ふふ、変わってるって言われるの嫌いじゃないよ。正直言うと結構言われることあるから。父さんも母さんも私にちゃんとやれって言わないんだ。そのかわり好きにしろとも言わないけどね。だから困るときあるよ。困るときあるけど、一番やりたいことはなにかなあっていつも探してるんだ」

 桐本は風に吹かれるようにそんなことを言った。

「こんど家にも来ないか?もう少ししたらりんごの花咲くから、花を取って受粉のための花粉を集める仕事があるんだ。お前だったら楽しんでやりそうな気がするな」

そう言って俺は桐本を誘った。桐本はりんごの木の下や、森の中が絶対似合う奴だと思った。

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