第3話 畑の土
毎朝、学校に行く前に畑で作業をする。
「悟、急がないと学校に遅れるよ」
あんまり遅くなると母さんが声を掛けにやってくる。
「おう、今行く。これだけやったら」
四月も中旬を過ぎ、りんごの木に堆肥をまく毎日。友達の安弘の家は牛を飼っている。いい堆肥を探すのもりんごを育てるのには大切な要素だと小さな頃から父さんが言っていた。この辺りの農家はどこも昔から安弘の家から運んでもらっている。トラック一杯に積んだ堆肥を安弘と二人で畑に下ろして、朝からクタクタになっていた。
「サンキュウ、助かった。また学校でな」
「おう、またな」
「おじさん、ありがとう」
安弘の親父さんの陽に焼けた顔はしぶい。憧れだ。大規模なフリーストールを備え付けた牛舎にホルスタインを飼っている。
悟はスコップを片付けて急いで家に帰ると、作業服を脱ぎ捨て、シャワーをサッと浴びて、髪も濡れたまま朝ご飯をかき込んで学校に出かけた。
「おはよう、片山君」
「おす!」
「クラブ?」
「ああ」
校門を入るとクラスの女子に声をかけられ気のない返事をした。
「オッス」
「おお、安木。きついな、ここんとこ仕事忙しいし」
「おまえんとこ畑多いからな。おじさん一人じゃとってもやってらんないよな」
安木が寄ってきて一緒に歩いた。安木の家の果樹畑は一面平らで、大型の耕作機械を使うことが出来る。家の畑はあちこち散らばっていて、おまけに傾斜地なのを仕事がしづらいとよく親父がこぼしている。
「今年、紅玉の木の植え替えをして、一個所に集めてもらったんだ。ばらけてると中々まとまった仕事が出来ないだろう。今年は、収量はその分減るけど、この頃紅玉人気だし、うれしいよ」
「家は、親父さんが自分用のワインを作るとかで、今年それ用のぶどうが採れるんだ。俺はあんまり味もわからんしなんとも思わないけど、親父は楽しみにしてる。これからも新しいワインどんどん作るらしくてほかの果樹も増やしてるんだ」
「お互い朝は忙しいからクラブに出るのしんどいな」
「でも、慣れだな。小さいときから畑ん中走り回ってるから、やらなきゃやらないで体がむずむずするだろう」
「それはあるな」
「野球部のレギュラーが実は、リンゴ作ってたり、ぶどう作ってたり、中々いいと思うよ俺は、個性的でさ、甲子園で紹介してほしい〜」
「それは…万年予選落ちには夢だな〜」
「体力には自信あるんだけどな」
「まあな、体力作りにはもってこいだしな」
「それそれ、まったく野球部の筋トレより筋肉つくぞ」
そう言われて昨日の筋トレを思い出していた。そう言って余裕な顔をしているところを見るとしんどいと思っていたのは悟一人だったらしい。
「ちがいねえ」
そう同調して悟はごまかした。
家が商売をやってる奴は多かった。農業をやってる家の子供は、比較的、朝、家の仕事を手伝って学校に来ていた。牛糞の匂いを気にする奴もいるけど、みんな同じ匂いがすると悟は笑って気にしなかった。
彼らのように、その後、朝練のある奴はそういないけれど、それはそれでおもしろいと楽しんでやれる余裕はあった。
高校も、二年になるとはっきりしてくる。勉強真面目にやってる奴と、遊んでばっかりいる奴と、クラブに燃える奴と。おれはどれかなあ~勉強よかやっぱりクラブだな。友達と遊ぶのも好きだけど、サイクリングで遠出したり、川遊びしたり。
おしゃれしたり、洋服選んだりするのは、勘弁してって感じだった。ぼたんの付いてる服も苦手だったし。色のついてるGパンも駄目って感じで、毎日同じものをとっかえひっかえ着ていた。作業服よりちょっときれいな物を着てるとホッとして安心だった。
そういう悟の趣味とも言えない好みは母親泣かせだった。
「あーあ、またどっかで引っかけて穴が空いてるよ。もう捨てようか、これ」
またいつもの話だ。
「いいよ、繕っておいて、せっかくなじんできたところだから、捨てるなよ!」
飽きるほどやり取りしているこのセリフ。
「もっと違うの着ればいいのに。同じものばっかり着て、買い物も大変なんだよ。なんでも良いって訳にいかないし、流行りのものは一杯あるけどそんなの着ないし」
母親のその手の話に付き合うのはしんどい。
「悪い、悪い。だから、ちょちょっと繕ってくれればそれでいいって」
「はい、はい、繕いなんて今日びしないよ。みんなおしゃれなもの着てるのに」
と、最後も同じセリフで締めくくって裁縫箱を出してくる。
「あ、俺今度セカンドに変わったんだ。新しい背番号もらったから、ついでに付け直して」
「ヘえ、今度はセカンド。前よりボール飛んでくる?」
「当たり前だよ。二塁だぜ。二塁。忙しいとこだよ。まったく、たまには応援にこいよ」
「はい、はい、甲子園にでも行ったらね」
うちの学校が甲子園になんか行かないと思って、一生来ない気でいるなと思った。ま、いいさ。ピッカピカの背番号4、今年は張り切ってやるぞと気分を引き締めた。
しかし、毎年初戦敗退の我が野球部は、このとうり身内からでさえ期待をかけられることも無い。寂しい限りだった。
次の日学校へ行くと、朝のホームルームでいきなり先生から席替えの話しがあった。
「来週の火曜日は遠足です。今日は席替えをして、一学期間のグループづくりと、委 員を決めます。体制がはっきりしてくると教室の雰囲気も落ち着いてくるからね」
明るくそう言う担任は英語の担当だった。
「え~席替え。いいよこのままで」
いきなりブーイング。
「先生、好きな子どうしにしよ」
「やったー授業がつぶれる」
口々に言い始めた。
あっちこっちから飛んでくる意見に躊躇することもなくみんなの言いたいことを適当に丸めながら。先生は一人席替えの方法を考えている。
「くじ引きは」
誰かの意見を上手く引き取って。
「そうだね。それじゃあ、こうしよう。果物のアンケートをとって、同じ物を書いた人でグループ作るってどう?」
突然思いついたのか、先生の意表をついた提案にみんな不服そうな反応を示した。
「果物。だっせー」
「グループ作るほど色々出ないよ」
色々な反応の中、先生はその気になってニヤニヤしながら紙を配り始めた。
「やってみよう、紙配るね」
「ほんとにそれやるの」
「ちゃんと考えて真剣に書くのよ」
先生はみんなの声を笑って受け流しながら、どんどん進めていった。
第一回の席替えは、そういうことで先生のやる気にはまってグループづくりをすることになった。
それぞれ自分の好きな果物の名前を書いていく。これがけっこう頭をひねってみんな真剣だった。先生の机の上に集まったカードをやりたい奴が出てまとめて発表した。
好きな果物なんて言ったって、そんなに色んな物が出るもんじゃないと思っていたら、それが中々たくさんあって、予想外の盛り上がり。
「何々が好きな子は…」
とか言って果物占いする奴とか、きゃあ、きゃあ大騒ぎして書いた。マンゴーとかパッションフルーツとか書いた奴は南国フルーツ縛りで一括りにされるのを不服がった。
悟はやっぱりこれしかないなと思って『紅玉』と書いた。グループは五人で他のみんなはりんごと書いたけど一人だけ、たった一人だけ『紅玉』と書いた奴がいた。それがあの、桐本あずさだった。
悟が、こうなる少し前から一方的に意識していた桐本あずさ。あずさの印象の中に俺が入ったのはこの時が最初だったんだろうな。 『紅玉』とりんごの名前まで指定して書いた悟達は、みんなから押されて班長と副班長になった。
これが本当の二人の最初の出会いだった……
「あの、片山君て言ったっけ?」
「ああ、班長と副班長だって信じられねえよな、まったく」
「あの、紅玉好きなの?」
「俺の家りんご農家なんだ」
「ああ、それで、びっくりしたね」
「ま、よろしくな」
意識してた桐本との記念すべき初めての会話はこれだった。
「あずさ!」
「ああ、私クラブ行くね。遠足のこと明日でも良いかな?」
「俺も朝も帰りもクラブあるから……放課の間に決めような」
「うん、じゃあね」
桐本は別れるとき手のひらを胸元で小さく振った。その手を見て悟は珍しいものでも見たような気がして、可愛いなあと思った。
桐本を近くで感じるようになって以来、妙に毎日が楽しくなった。あいつがどういう奴なのかよくわからないけど一言、二言話しをするだけで心がほっとした。
放課の間に遠足のこととか色々決めるために何度か話しをした。
「お昼は別れて食べてもいいよね」
と言う真田の意見を、
「グループの親睦を深めるために一緒に食べる」
と、悟が一人勝手に押し切ってみんなのヒンシュクをかった。悟にしてみれば折角のこの機会を逃す手はない。と、かなり守りに入っていた。
桐本はいつもにこにこと機嫌良さそうに人の話しをよく聞いた。女は自分勝手だと思い込んでいた先入観が、桐本に出会ってからずいぶん変わった。
「お前変わってるよな」
「何が?」
「いつも明るいだろう。だからって出しゃばりでもないし、足早いくせに陸上とかやらないみたいだし」
「ああ、あれ?誰かに聞いたの?毎日走るなんてだめよ。そんなに丈夫じゃないの。それにやりたいことあるし」
ほんの少しの休み時間も隣の席を良いことに桐本を独占していた。話す機会は増えたが何を話せばいいのか、なかなか思いつかなかった。
「あ、何部だっけ?隼人の誘い断ったって前に聞いたことあったけど」
悟は数少ない記憶をたどりながら桐本との時間を引き延ばす。
「オルゴール同好会」
「オルゴール?そんな部活あるの?」
オルゴール。ピンとこない部活の名前に悟は頭をひねった。失礼な悟の言いぐさに腹も立てず桐本は明るく言った。
「うん、あの音好きなの。ポロンポロンていう、今は穴開け式のオルゴールにはまってて毎日パンチで穴を開けてるの」
「穴?」
「そう、オルゴールって爪ではじくタイプだけじゃないの。今度聞かせて上げるね……あ、希実ちゃん!じゃあ行くね」
「ああ、オルゴールか……あ、バスの中の出し物なにか考えてこいよ」
「うん」
悟はそういって走り去る桐本に声をかけた。
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