第2話 部活

 授業が終わった後。立ち上がって帰り支度をしていると教室の片隅で桐本が他のクラスの女子と話しをていた。

「あずさ今日クラブは?」

 中学の時一緒のクラスになったことのある中田がそばにいる。

「行くよ。今、新しい譜面写し始めたんだ」

 桐本は応えると鞄の中に赤いペンケースをしまった。

「そう、新入部員は?」

 机の上のノートや下敷きが鞄の中に吸い取られていく。

「それが入ってくれたのよ~駅前の郵便局の亜紀ちゃん。これで三人になったんだよ。うちのクラブ部員」

「良かったね。あずさの先生、オルゴールの権威だから、先生一人居るだけでも心強いけど、部員少ないと寂しいよね」

「これでも伝統あるらしいんだよ。今は三人だけど」

「うちは部員は結構居るんだけど、先生そんなに興味ある訳じゃないから、顧問ってだけ。独学でやっていかないとね」

「大丈夫よ、希実ちゃん熱心だから、信じられないほど凄い魔法使いとか作るじゃない」

「この前の?あれ自信作。一度くらい、ちゃんと人形揃えて、劇やってみたいよ」

 中田は口をとがらせて不満げな顔をする。

「一度、合同でやりたいね。私達が音とか効果音とか担当して」

「いいな〜それやりたい」

「帰りに寄るよそっちに」

「うん、待ってる」

 女が話しをしていると声が高いから悟の頭には金属音のようにキンキン、カンカン響く。話している中身より、言葉が行き交うイントネーションやテンポにかき消されて、注意深く耳を傾けていても中身は…専門用語も飛び出しそうで、あいつらの話はちんぷんかんぷんでよく解らない。と思った。

「おい、悟、クラブ行くぞ」

 良幸が半分気の抜けた悟をせき立てようと、教室に飛び込んできて肩をたたいた。

「あ、ああ。なあ、桐本って何部?」

「桐本って?ああ、あいつか?たしか文化部だぜ。前に陸上の隼人が熱心に陸上部入れって勧誘してたけど駄目って断られてたな」

「へえ、文化部か~」

「桐本がどうかした?」

「いや、別に」

 悟は未練たらしく桐本を気にしながら良幸とクラブに向かった。

 県立の歴史だけはあるこの学校は、敷地がやたら広く、校舎とクラブハウスの間に長い渡り廊下がある。良幸と悟はそこを歩きながらふざけあっていた。

「今日はグランド整備でトレーニングだな」

 良幸の声は弾んでいる。

「一年、しごくの俺やだよ」

 悟が情けない声を出すと。

「俺は、好きなんだよ。この時期が一番。野球部は部員多すぎるからしっかりしごいて調整しないとな。まあ、毎年恒例だ」

 良幸は楽しそうにそう言う。

「俺はそういうのあんまり好きじゃないな」

 しつこく嫌がる悟をグイグイ引っ張って、

「つべこべ言わんと急ぐぞ!」

 と小走りになった。

 悟がぐずぐずしていたせいで着替えに手間取り部室を飛び出した頃には、バックネットの前で早々と一年が並んで待っていた。

 今年は一年が沢山入った。この頃はスポーツ少年団とか、中学校でも野球部が盛んな学校が多い。高校一年といっても馬鹿にできないくらい野球の上手いのが揃っている。

 良幸が言うように、簡単にしごいて調整できる時代でも無くなって、返って一年の方が気合が入っているだけ二年、三年に比べて体力がある。それをしごくにはこっちにも相当な覚悟が必要で、骨の折れることだった。まったく根性だけではやってられない。

 当分マラソン、体力トレーニングでこっちが先に根を上げないように先輩としての威厳が試される毎日だった。

 良幸は根っからのトレーニング好きで子供の頃から暇さえあれば腹筋をしている。多分、一年をしごくのが好きと言うのは勘違いで本当は自分をしごくのが好きというところだろう。今日はいつにも増して張り切っている。この時期の練習は良幸の独壇場だった。


「先生これ」

「すごいね。あずささん根気いいからかなり難しい曲でもドンドン進んじゃって」

「待ち遠しくて。この一つ一つの穴がどんな音になるのかなって先生一度試しにやってみて」

「よーし。このオルゴールは手巻き式だから割に扱いは簡単なんだよ。簡単だけど同じリズムで回すのが難しいってとこね。私が一度やってみるから、その後あずささんやってみて。少しづつ慣れていくといいから。じゃあやるね…」

 静かにオルゴールの音が流れる。

「いい音、夢みたい。感動」

「この手巻き式はどんな長い曲でも大丈夫だから」

「ほんと?」

「そうよ。普通の鍵盤楽器と変わらない曲づくりが出来るからすごいんだよ」

「先輩、これがオルゴールなんて嘘みたいです」

「そうでしょ。誰でも出来るんだよ。一つ一つ確実に穴を開けていくとね」

「私にも出来ますか?」

「もちろん、ね、先生!」

「うん、うん」

「先生、人形劇同好会の希実ちゃんと、合同で人形劇やりたいって話してるんだけど出来るかなあ」

「そりゃあ、やる気出してやれば、何だって出来るよ。楽しみだね…もっと色んな事やってみたいよね。長い曲がやれるようになったら、可能性が広がるから…」

「亜紀ちゃん、張り切ろうね!」

「はーい」

 遠い校舎の中から、不思議な音色が風に乗ってとぎれとぎれコトコトと流れてきた。それが桐本あずさが操るオルゴールの音だとその時はわからなかった。

 

 そして…悟は随分先になってそのことを知ることになる。


 クラブが終わって一年生が引き上げるとベンチに座り込んで良幸が言った。

「疲れたな。一年生をしごいてるんだか、こっちがしごかれてるんだかよく解らないよ」

 体中ぐっしょりと汗に濡れている。

「だろう、だから言ったんだよ。自分で自分をしごいてるみたいでくたくただよ」

 毎年春になるとこの感想を漏らしているような気がする。

「でも、終わった後の気分がいいんだ。この時期の限界を超えるほどの筋肉トレーニングは気持ち良いよな」

 悟は良幸を振り返って笑った。

「やっぱ、そう言うだろうと思った。お前にとっての限界はもっと限りなく上だと思う。おれはもうへとへとだ…」

「よく言うよ。早く帰って飯食わないと倒れそうだ」

 悟は正直音を上げていた。

「よし、早く着替えて帰ろうぜ」

 さすがにトレーニング好きの良幸は悟に付き合って音を上げるだけで時間が少し経てばもう立ち直っている。まったく超人だと悟るは日頃から思っていた。

 部室からすきっ腹を抱えて飛び出すと、ちょうど目の前を楽しそうに話をしながら桐本達が通り過ぎて行った。

 意識し初めてからなぜかよく会う。こんなことは今までの悟の生活にはなかったことだった。

「おい良幸、声かけろ、一緒に帰ろうとか言って」

「やだよ、言いたきゃお前言え」

 と、突然馬鹿なことを言った悟を、不気味なモノでも見るような目つきで睨んで良幸が言った。部室の前でごちゃごちゃやっているうちに二人はすたすたと目の前を通り過ぎていく。俺達を気にもせず話しに夢中になっていた。


「希実ちゃん、昼間の話、先生にしたらね。ほら、人形劇の話。先生やれるんじゃないかって言ってくれたの。ねえ今度考えようよ。難しいのじゃ無くていいから、夏休みに老人ホームとか、子ども会とかでやらせてもらおうよ。秋の文化祭、合同でやれたらいいと思うしさ」

「キャー、あずさ積極的だね。文化祭なら見てもらえるかも」

 桐本の横で中田が声を上げる。

「一年やって少し自信ついたし、オルゴールの音、みんなに聞いてもらえたら最高って思うんだ」

「私、がんばって人形作ろう」

「どんな話にするかよく考えようね。あんまり難しいと駄目だな〜」

「うん」

 耳をかすめるあいつらの声が心地よく心に響いた。女のキンキンする声は嫌いだったくせに…

 母親に言われてからというもの。桐本のことが気になる自分が、我ながら不可解と言うか、女の事を始終考えている自分をちょっと情け無く思う。こういうのが高じるとそのうち変にぎくしゃくして、あいつの前でへまをしたり、こけたりするんじゃないかと心配はつのるが、あれ以来桐本のことが気になって仕方がない毎日だった。


 教室の席、あずさは悟の斜め前で、真剣に勉強している顔を目だけ動かしてチラッと見たり出来る。背の順で並ぶ朝会の時などはあずさは前過ぎて人垣に埋もれて何とか見ようと列をはずれても、様子を見ることはできない。お昼のお弁当の時はいつもの三人で寄って食べている。あずさの髪は少し癖毛で耳の下で柔らかく巻いていた。

「ナンダヨ、ぼーっとして、お前この頃変じゃない?」

 良幸が気にしている。

「な、なにが?」

「お前ちょっとおかしくないか?」

 クラブをしていても桐本を見かけたりするとボーッと立ちつくしているらしい。

 しかし、今のところそれが桐本のせいだとまでは気づかれていない。

「そんなことないって」

 そんなんじゃなくて、何か…

 もっと知りたい事があるような気がした。自分の周りにあるいろんな事をもっと知りたい気がした。学校に来てクラブやってそれだけの毎日から少し脱皮したい気がしていた。それが何かはわからないけど、もっと違う自分を知りたいと思っていた。


 

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