ガラスのりんご

@wakumo

第1話 飛行機雲

 四月だというのに、信州安曇野の春はまだ遅い。畑の脇にようやく白い花をつけ始めた梅の木。日当たりの良い土手に所々かたまって咲く黄水仙。桜の蕾は未だ硬く、全体に薄紅色のまま河原を見下ろして、ゆっくりと来る時期まで待機している。

 タラの芽、芹、ゼンマイ、フキノトウ、畑の隅に芽を出し始める。

 もう直ぐ此処にも…本格的な春がやってくる…

 悟は、茶の間で爪を切りながら、台所から聞こえる母親の暢気な鼻歌を聞くとはなしに聴いている。ふと目を止めると、長野テレビの画面が、真っ白に雪をかぶった穂高連峰を大写しにした後、諏訪大社、春宮の勇壮な木落とし、御柱の神事を画面いっぱいに繰り広げ始めた。

 勢い良く落ちる大木に群がる男衆の姿。その迫力に顔をしかめながら見入っていると。肩に力が入ってもう少しで深爪しそうになった。

「悟!今年は何組になったのよ?」

 と、いきなり母親の声が聞こえた。鼻歌はとっくに終わっていたらしい。

「え?、三組、今年は材木屋の耕治と一緒だ〜」

 上の空で応えながら材木屋の耕治と言ったとたん、この前親父さんに、色あせた黒に背を赤の真田紋で抜いたハッピを見せてもらったのを思い出した。

「そういえば、あいつの親父、御柱に燃えてるからテレビに写ってるかもな…」

 悟は画面に張り付いて耕治の親父を捜した。ちょうど母親も鍋を持ってやってきて悟の横に膝をついた。

「死人が出る時もあるって言う御柱神事だよね〜。なんかテレビ見てるだけでもぞっとするよ」

 母親はこのてのものに弱い。顔がゆがんで嫌そうな表情になる。

「良かったな。うちの父さん、こういうの好きじゃ無くて」

 鍋の筍に手を伸ばしながら、目は画面を追っている。

「本当だよ。敬ちゃんも可哀想だ、その度にハラハラしてるなんてね。

 あ~そういえば三組だったらお前、桐本さんのお嬢さんと一緒だよ。今日もマーケットで会ったんだ。あそこは両親とも忙しくしてるからね。あずさちゃん夕食の買い物に来てたよ。マメな良い子だよね」

「桐本?親じゃなくて本人が…桐本あずさ……」

 同じ組。そんな奴いたかな、記憶にない。と教室を思い浮かべる。

「女の子だからお前はどうせ知らないよ。今まで一緒の組になったことも無いしね」

 自分の性格をよくわかってるなと頭をかいた。それにしてもそんな同級生を、

「なんで母さんは知ってるんだよ」

 不思議に思って聞くと。

「あそこは十年来の紅玉のお客さんなんだよ、毎年箱で買ってもらってるからね。お前は知らなくても母さんのコンピューターにはちゃんと入ってるのさ」

 と、米噛みを突きながら得意げに言った。

「桐本…ふ~ん家からりんごを買ってるのか」

 それがあずさの名前を知った最初だった。桐本あずさ…悟は、学校で女と話すことなんて母親が言うようにまず無かった。男の中にいるほうが気楽だったし、はっきり言って今まで一緒のクラスになった女子だって、ろくに口をきいたことも無い。

 みんなおしゃべりで相手してるときりがなくて面倒くさい。そんな愛想の悪い奴だった。

  元々女には縁が無い。悟の家は男ばかりの三人兄弟。三つづつ離れて下に二人の弟がいる。代々この辺りに多いりんご農家。 裏山には、つがる、ジョナゴールド、ふじ、そして、最近作る家も少なくなった紅玉を作っている。 食べやすさ、保存のし易さでいけばふじがダントツだけど、ケーキを作ったりジャムを作ったりする家は、 好んで紅玉を買っていく。あずさの家もそういう家と聞いてその時、強く印象に残った。

 裏の農園にある五十本近い紅玉の木は、昨年親父から任されて、悟が世話をしている品種だったから……

 自分で言うのも照れるが、自慢の甘酸っぱい、最近人気を盛り返してきた真っ赤なりんごらしいりんごをとても気に入っていた…


二年になって、新校舎が出来て教室の窓から見える外の景色が変わった。出来上がった新しい校舎はグランドに面している。いつも元気に走り回り、大声を出している他のクラスの奴らの顔が悟の席から良く見えた。

 時折低い音を立てて飛んでいく飛行機から二本の白い飛行機雲が伸びる。窓際一列め、前から三番目に座っている桐本の横顔の向こうに、スッと線を描いて飛び続けている。

 桐本あずさ、こいつだ。

 母親が昨日得意げに言っていた紅玉のお客って奴が、本当に、同じクラスにいた。

 朝の挨拶の時、クラスが替わったばかりでまだ全員の顔がわからない担任が、名前をおぼえるために、一人、一人立たせて返事を聞いていく。

 その時、筆箱をいじっていた悟は、

「桐本あずささん」

 と呼ぶ声に手を留めて上目ずかいに教室を見回して桐本あずさがそいつだと、確認した。

 あずさの印象は一口で言えば真面目な大人しそうなイメージかな。150センチそこそこ悟から見ればそうとうなチビ。

 でも、ちょっとどこか不思議な感じのする奴だった。

 二限の体育の時間。授業は春恒例の能力テストとなっていた。社会の安田先生から呼び出しを受けて職員室に寄っていた悟が、遅れて始業ぎりぎり、体操服に着替えて校庭に飛び出すと外は快晴。遠い山まで青空が広がっていた。

 藤棚の近くにかたまる男子に近寄る。隣のクラスには中学の頃からの野球仲間がいる。その安木に声を掛けて二人で座り込んで話をしていた。安木の新しいクラスは四組。朝からきげんが悪くブチブチ言っている。何の話かと思えば担任が新任の若い女ですぐ怒るらしい。

「だけど、まだ学校始まっていくらも経って無いだろう」

と、聞くと、

「優しかったのは最初の二日だけだ。新任とは思えないぜ。俺達のが早くから此処にいるのによ」

 と小石を地面にぶつけながらいつまでも気が治まらないらしい。直ぐ女の肩を持つとか、またひとしきり愚痴。安木もそうだけど、我がままな奴が多いから、若い女の先生じゃ大変だろうと思った。

「お前のクラスの桐本あずさ去年一緒だった。あいつ足がめっちゃ早いぞ。前のクラスでもダントツだったからな」

 桐本が?そうかあいつ足が早いんだ。遠くにいる女子の群の中の小柄な桐本の姿をなんとなく見つけた。

 隣の女子と話をしながら身振り手振り話をしている。グランドの景色が明るい。今まで見たこともない色のついた景色を感じた。


「お、先生来たぞ!」

誰かから声がかかる。

「じゃあ、やるか」

みんなバラバラと立ち上がって鉄棒の前に集まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年7月9日 17:00
2024年7月14日 17:00

ガラスのりんご @wakumo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ