< 第二章 > - 凍結 -


 桜雲星の景色は地球の景色とはまるで違う。

 緑が溢れ、エメラルド色の海が広がり、灼熱の砂漠や極寒の極地があるものの、穏やかな気候と生命に溢れ、人間が暮らす星、それが地球である。

 それに対し、荒涼とした岩石や砂地が広がり、海は荒れ、濁り、荒れ狂う大気と大量の雨、そしてとどまることを知らない火山活動。とても生命に溢れた星とは言えないのが桜雲星である。


 この対称的な二つの星ではあるが、空の景色もまったく異なっている。

 地球では、空に見えるのは昼間に太陽、夜には月と満天の星々である。一方桜雲星では、昼間は天照が地上を照らし、夜には二つの月と四本の環、そして満天の星々が、不思議で美しい景色を見せてくれる。


 二つの月とは那岐と那美、四本の環とはげんすいへきしょうの四環である。

 しかしながら、これらの美しい景色を作り出す天体が、地上に与える影響は少なくなく、潮汐を始め、火山活動や地震活動にも少なからず影響を与えているのだ。


 地球では月一つでも潮汐に対し大きな影響があるのだから、月二つに環が四本もあれば、潮汐に対するその影響力は計り知れない。

 四本の環によって全方向から引っ張られる海水が、更に那岐と那美にも引っ張られるのだから、海が荒れまくるのも頷ける。


 更に、地球では火山活動や地震活動に対する月の影響は、ほぼないと言われるほど軽微だが、桜雲星においては、これだけの天体が周回しているのだから、軽微で済む訳がない。

 特に那岐と那美が直列になった時は、火山の噴火や地震が大小問わず頻発していた。


 元々溶岩惑星だった桜雲星に、海洋ができてほぼ全面を覆い、その海水によって冷え固まった溶岩が海底を覆い尽くし地殻となる。すると行き場を失ったマグマが地殻の隙間を縫って海底から吹き出すようになり、これが海底火山となる。


 マグマとは、マントルが高温高圧下で液状になったもので、地殻まで上昇して来るとマグマ溜りを形成する。このマグマ溜りが更なる上昇圧力によって、地殻の隙間を通り抜けて地上に噴出するのが噴火であり、噴出したマグマを溶岩と呼ぶ。

 このようにマグマは粘度が高いが液状であるため、那岐や那美の引力の影響を非常に受けやすく、マグマ自体の上昇圧力と相まって、マグマの噴出を促しているのである。

 

 マントル内のマグマが次々と噴出すると、地殻付近のマントルは冷やされ、マントルの対流を促す。マントルが対流を始めると、その上にある地殻も対流を始め、マントルが上昇している場所では地殻が隆起し、マントルが下降している場所では地殻が沈降する。それぞれに火山帯ができあがり、そこからマントル内部のマグマが噴出する。それにより更にマントルの対流が加速する。


 火山活動が活発になり、噴出物が堆積すると、海底火山が徐々に海中から頭を出し、火山島を形成する。火山島の噴出物が更に堆積すると、陸地ができあがる。

 こうしてできた陸地が、地殻の隆起と対流により更に広がると、大陸へと成長していく。


 地球における大陸の定義は曖昧であるが、様々な定義の中に「オーストラリア大陸よりも大きい陸地」というのが一つある。この定義を桜雲星に当てはめるとしたら、今のところ十五以上の大陸が存在することになる。

 なにせ桜雲星の直径は地球の倍はあるのだから、当然表面積は地球の十六倍と言うことになる。簡単に言ってしまえば、地球の大陸すべてを十六個並べても十分入る大きさなのだ。

 オーストラリア大陸は日本列島のおよそ二十七倍なので、言うなれば日本列島の半分ぐらいが大陸ですよ、と言っているようなスケール感になる。


 逆にオーストラリア大陸を十六倍にしたスケール感を、桜雲星の大陸に当てはめると、六大陸ぐらいになる。

 その中で一番大きな大陸は南半球に存在していて、その大きさは桜雲星の表面積を六分の一ほど占めており、目測ではあるが、ユーラシア大陸の三十倍ぐらいはあると思われる。

 この大陸は、隆起した陸地が集まってできあがったもので、言わば集合体のような大陸であるため、今後プレートテクトニクスの影響によって、この大陸も解体されてしまうのだろうが、今のところ大きな存在感を呈している。


 このように桜雲星には、巨大な大陸から小さな火山島まで、様々な陸地ができあがり、その陸地には二万m級の山が聳えていたり、海洋かと思うような巨大な淡水湖があったり、地球では考えられないような自然環境が広がっていた。

 

 このような自然環境の下、桜雲星の生物たちは着実に進化していた。

 水中の生物は、植物が作り出す酸素を利用して巨大化し、食物連鎖の頂点に立つ動物を中心に、生態ピラミッドが形成されていった。そして、この食物連鎖の関係はピラミッド型やリンク型ではなく、網の目状に広がった、食うか食われるかという関係で、今や異微から動植物に至るまで、この網の目状の「食物網」に依存しない生物は存在しなくなった


 しかし、この食物網から逃げ出したものたちがいたのだ。それが異微特殊部隊である。

 陸に上がった異微特殊部隊は、陸上環境に適応することで、この食物網から逃れ、独自の世界を作り出していたのである。

 活動を終えて死を迎えた異微特殊部隊は、別の異微特殊部隊がその死骸を分解する。分解された死骸は有機物を多く含んだ土壌として岩石の隙間や砂の上に堆積していく。こうして堆積したものを「腐植ふしょく」と呼び、この腐植が、岩石や砂の風化でできた細かな粒子と混ざることで、土となっていくのである。

 この「土」が、異微特殊部隊たちが築いた独自の世界であり、彼らが求めた安住の地なのである。


 この異微特殊部隊の安住の地に進出してきたものたちがいた。それが植物である。植物と言っても、「蔚蘚類いせんるい」と私が呼ぶ植物だけで、異微特殊部隊から遅れること十数億年、相当な年月をかけてようやく上陸に漕ぎ着けたのである。

 なぜこれだけの年月がかかったのか、その理由はあまり定かではないが、端的に言えば、陸上環境に適応するための進化に、時間がかかったと言うことだろう。 


 上陸というのをどう定義するかにもよるが、完全に水中から脱した状態であると定義するならば、「蔚蘚類」は水の多い水辺や湿地に生息し、時には水中に沈むことがあったとしても、水中でなくても完全に生存できる。しかし、蔚蘚類の前身である「原蘚類げんせんるい」も水中から出てしまうことがあるが、短時間であれば生き延びることはできる、だが、それが長時間に及ぶと乾燥し死滅してしまう。

 従って、蔚蘚類は上陸したと言えるが、原蘚類は上陸したとは言えない。

 これが「原蘚類」と「蔚蘚類」の違いであり、この形質を獲得するために「蔚蘚類」は長い年月をかけて進化をしたのだ。


 異微特殊部隊が浅瀬から打ち上げられて、陸上環境に適応しなければと足掻いていた頃、当然植物や動物たちも数多く打ち上げられていた。しかし、そのすべてが死滅してしまい、生き残る者はまったくいなかったのである。死屍累々とはまさにこのことで、この死屍が異微特殊部隊たちの生存に寄与したことは、彼らにとっては僥倖であり、彼らが早くから陸上環境に適応できたのも、この死屍のお陰でもあると言える。


 異微特殊部隊は早くから陸上環境に適応し、水中にいなくても生き延びる事ができるようになった一方、植物や動物たちはそうもいかず、時間をかける必要があった。

 しかし、それでもようやく上陸に漕ぎ着けたのが「蔚蘚類」であり、そのなかで先陣を切ったのが「岸蘚がんせん」と私が呼ぶ、岩礁や湖川の岩場などに付着して生息し、身体全体が平べったく、地面を匍匐して伸びる葉状体はじょうたいの植物である。この岸蘚は、見た目が地衣類に似ているが、苔類のような性質を備えた植物で、「胞筴ほうきょう」と私が呼ぶ生殖細胞で繁殖する。

 ちなみに、胞筴というのは生殖細胞の一種で、植物が生殖細胞生成器官によって生成し、単独で発芽し新たな個体を作り出す細胞である。また、胞筴は無性生殖の生殖細胞で、放出後条件が揃うと、有性生殖を単独でおこない子孫を残す。

 

 これが岸蘚と言う植物である。植物としては高度な構造を持ち合わせているが、小さな多細胞生物であり、陸上環境にも適応したばかりで、地球の水辺などでよく見かける苔類や藻類などに比べたら、その構造はまだまだ拙い感じであった。

 上陸したばかりで、いまだ進化の途上であるために、未熟で拙いことは当然なのだが、そんな拙い彼らでも、植物としての役割はきっちりと果たしたのである。


 その役割というのが、酸素の供給による環境変革である。これを環境破壊と呼ぶか、環境改善と呼ぶかは、それぞれの生物によって異なるので、私は敢えて「環境変革」と呼ぶことにするが、この環境変革によって、大気中の酸素が徐々に増え、やがてオゾン層が形成される。


 オゾンとは酸素原子が三個でできた気体で、成層圏に層状で存在して、太陽からの有害な紫外線を吸収しブロックする役目を担う。生物たちにとってはとても重要な気体で、生命活動にとってなくてはならない存在である。

 このオゾンが、成層圏に層を形成したことで、生物たちにとって特に有害な紫外線などをシャットアウトできるようになったのだ。大気や磁場、電離層などによって守られていた桜雲星は、ようやく最後の鎧を手に入れることができたのである。


 植物が上陸したら、次は動物の番である。動物が上陸するにはまだまだ時間がかかるが、こうして、動物が上陸できる準備は整ったのだ。動物が上陸を果たせば、地上にも生物が繁栄することになり、食物網が地上にもできあがることになるのだ。

 異微特殊部隊や植物たちにとっては迷惑な話だろうが、私にとっては非常に楽しみで、動物たちが上陸すれば、恐竜誕生までは間もなくとなるのだから、期待するなと言われても無理である。


 ここまでくれば、あとは動物の上陸を待つだけである。

 そう、待つだけのはずだった。


 何かがおかしいと感じたのは、オゾン層ができるほどに、大気中の酸素濃度が上がった時だった。それまで極地や高山にしか存在しなかった永久氷結が、徐々にその範囲を広げていたのだ。

 

 そう、桜雲星の気温が徐々に下がっていたのだ。原因はおそらく二酸化炭素の減少で、温室効果が薄れたためだと思われる。

 大学でもスノーボールアース現象として学んだし、地球でも同様の事がこの時代に発生したと言われているのだ。学説ではその原因が、二酸化炭素の減少だけでなく、大陸の形成や太陽光の減少、はたまた超新星爆発による影響など、有りそうな話から、荒唐無稽な説まで、様々な説が称えられていた。

 だが、実際は目の前で起こっていることがすべてなのだろう。岸蘚が二酸化炭素を吸収し、酸素を排出する、そして二酸化炭素が減った大気は、温室効果が薄れ、大気温度は下がる。

 もちろん、これだけが要因ではないだろうが、結局桜雲星もスノーボール化、全球凍結をしてしまった。

 

 折角多種多様な生物が誕生したのに、桜雲星が全球凍結してしまったため、その多くが死滅してしまった。動物上陸も間近だったのに、ホントに悔しい。これで、恐竜誕生は延期となったのだ。悔しさも倍増する。


 しかし、災いは幸運の始まりでもある。この災いに打ち勝ち、生き残ったものがいたのだ。

 実は、全球が凍ったとは言え、そのすべてが凍ってしまった訳ではない。深海の奥底や、熱水噴出孔付近、火山帯の付近や間欠泉の奥底には、生物が生存できる場所がまだまだ多く存在していたのだ。


 過酷な環境下でも、互いに共生関係を築き、必要な物資を融通し合うことで、過酷な環境に耐え、多くの生物が生き延びていたのだ。

 共生関係だけではない、環境耐性の獲得も果たしていた。身体を寒冷地仕様に生まれ変わらせ、極寒の環境下においても活動できる身体を手に入れたものたちが、その命を繋いでいたのである。


 彼らが命をかろうじて繋いである間にも、私はこの凍結の時代を終わらせるべく奮闘して……はいなかった。私が奮闘していたのではなくて、桜雲星の自然が奮闘していたのだ。

 まず一番大きな要因は、火山活動による二酸化炭素の放出である。二酸化炭素を利用する植物が劇的に減ったことで、放出された二酸化炭素は減ることなく、徐々に大気中に溜まっていったのだ。


 更にもう一つの要因がメタンガスである。メタンガスは有機物が分解される時に放出されるガスであるが、異微たちが死骸を分解する際に放出されていたメタンガスが、徐々に大気中に溜まり、二酸化炭素と併せて温室効果を徐々に復活させていたのである。何千万年もかけて。


 こうして、凍結の時代はその夜明けを迎えようとしていた。

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