< 第二章 > - 循環 -


 「生命が自ら選んで進化したのではなく、自然界が無数の生命の中から必要な生命を選択した」、水井先生が言ったこの言葉、実は進化論の中では当たり前のように語られる概念で、英語では「セレクション」と呼ばれ、日本語では「自然選択」あるいは「自然選別」、もしくは「自然淘汰」などと訳される概念である。


 もちろん、自然界が必要としているかどうかなんてことは進化とはまったく関係なく、たまたま環境に適合したものだけが生き残る様をみて、あたかも自然界が選別しているかのように見えると言うだけの話である。


 この「セレクション」すなわち「自然選択」とは、進化論でおなじみのダーウィンとウォレスが提唱した、生物の進化を説明する概念であり、

 ・生物には、突然変異によって様々な形質が生まれる。

 ・自然環境は、適応度の高い形質を持つ生物を優先して生き残らせる。

 ・生き残った生物は、その形質を遺伝子によって子孫に伝える。

 と言うメカニズムを説明した概念である。


 例えば、同じ虫の中に「茶色」「薄茶」「白色」の三色がいた場合。鳥に見つかりやすい「白色」の虫は食べられやすく、鳥に見つかりにくい「茶色」の虫は食べられにくいとすると、「茶色」の虫は「白色」の虫よりも多く生き残り、多くの子孫を残し、その子孫も「茶色」の形質を受け継ぐことになる。このようにして、「茶色」の虫が増えて、「白色」の虫が減っていく。これが「自然選択」である。

 詳しいことは、ダーウィンとウォレスの論文に委ねるが、これが私の知っている進化論の「自然選択」であり、水井先生の挨拶の元ネタでもある。

 

 進化の話をする時、他人ひとは大抵ダーウィンやウォレスを思い浮かべるだろうが、私はまず水井先生のあの言葉、「選択するのではない、選択されるのだ」を思い出してしまう。

 進化とは自然界が選択するのではなく、ただ生き残ったものが得られる「称号」にしか過ぎないのだ。と、そんなことは重々承知している。しかし、頭が理解しても心がそれを拒むのだ。この「選択するのではない、選択されるのだ」と言う言葉が私の心に刻まれた呪いである限り。


 生き残ると言うことがいかに難しく、どれほどの困難を伴うか。何世代にもわたり少しずつ変化をし続けて、ようやく手に入れることができる称号、それが「進化」なのである。彼らの絶え間ない努力が実を結ぶのが進化であるはずなのだ。しかしそれが私にはどうしても、そこに神の手が介入していると思ってしまうのだ。


 大好きだった恐竜や彼らが生きた時代を学びたくて、大学は地球科学科に進学した。ちょうど私の入学年度にこの学科が新設された大学があり、新設学科一期生として入学することができた。

 今思っても何でそんな無謀なことをしたのか、もっと就職に有利な経済学とか語学とか、建築なんかに行かなかったのか。

 興味がなかったと言うこともあるが、やはり好きなことを学びたいと言う思いが強く、地球科学科を選んだのだ。


 しかし、当然のごとく、古生物学を学ぶことは、進化論にも深く入り込むことを意味していた。進化とは、種々の生物が時間をかけて変化し、適応し、進歩していく過程を指す。この進化論を学ぶにつれ、私のトラウマは更に深刻化していったのだ。


 大学での講義や研究室で学ぶことは、進化の証拠や遺伝子の研究、古代の生態系について深掘りしていくものだった。私は無数の論文や化石の図説に没頭し、論理的な議論に耳を傾け、進化に関する様々な学説に触れていったのだ。しかし、その過程で、生物の進化とは非常に複雑で、時には残酷なものであることを痛感したのである。


 進化論の教えは、生物が環境に適応するために、数世代にわたり無数の変異を経験し、競り合い、生き残る必要があることを示唆している。私はその現実を直視することが難しく、心の中で進化が持つ厳しさに怯えたのだ。生物たちは、生き残るために数億年もの歳月をかけて進化し、それでも多くの種が絶滅したのだ。この過程が、私には神秘的であると同時に、恐ろしいものとして心に刻まれたのである。


 学友たちは、私の情熱に感心し、時には賞賛をしてくれることもあったが、進化の神髄に近づこうとする私自身の努力が、私にとっては心の闇を深めるばかりで、学友の賞賛も外面だけで、内心では奇異の目で見ているのではないかとか、私を蹴落とす切っ掛けを探しているのではないかとか、社会の選択に漏れてしまわないかとか、疑心暗鬼と不安に苛まれ、その恐怖から逃げるようにして学習と研究に没頭していったのだ。


 結局、そんな努力も虚しく、このトラウマを学生時代のうちに克服することはできなかった。そして社会人になっても引きずってしまい、まさか惑星になってまで引きずることになるとは思わなかったが、いまだに「選択するのではない、選択されるのだ」と言う言葉はトラウマのままである。


 しかし、学生時代に学んだことが無駄になった訳ではなく、こうして役に立っているのは本当にありがたい。もしかして私に先見の明があったのか、はたまた神の御業なのか、まぁ偶然なんだろうけど。それともこれも選択されたというのか?


 ともかく、進化の話から今の私は逃れることができないので、学生時代のようにまたトラウマと戦う日々がこれからも永遠に続くのかと思うと気が重い。

 ただ、生物たちの進化を目の当たりにできることは、何物にも代えがたい幸運であることは、間違いないので、心は苦しいが、この幸運を存分に味わおうと思う。


 ところで、こんなトラウマを抱える進化の話を、どうしてまた始めたかというと、生物を長期間、そう、何億年も観察していると、避けては通れないと言うことももちろんあるが、いよいよ誕生した多細胞生物のその先について語る必要があるからだ。


 地球では単細胞たちが群体を形成し、やがて役割分担にあわせて細胞が分化して、多細胞生物に進化したと言うのが、一般的な説だった。

 ここ桜雲星でも、単細胞生物がコミュニティを作り、やがて群体を作ったところまでは、地球と同じ進化を辿った。

 しかし、結局彼らはその先への進化、つまり群体となった細胞たちが分化すると言うことをせず、個々の細胞が独立して分裂し、自ら分化して多細胞になると言う道を歩むことにしたのだ。

 つまり多細胞生物になったことは同じだが、その辿った道は異なっていたのだ。


 桜雲星が辿る進化の道が、教科書や定説どおりではないと言うことが、この「惑星生」の醍醐味でもあり、トラウマで重くなる気持ちを差し引いても、一応おつりが来る。少しは心の負荷も和らぐというものだ。


 とにかく、多細胞生物が誕生したことで、この星の生物の多様化が飛躍的に進んだことは確かで、特筆すべきは、やはり真核泡生物超界の注目株である、特別な異微を取り込んだ二種類の真核泡細胞だ。

 

 その特別な異微と言うのが「用酸素異微」と「作酸素異微」で、真核泡生物超界の注目株というのが「動物性真核泡細胞」と「植物性真核泡細胞」である。


 以前にも登場して、すでにご存じだとは思うが、一応ここでも説明しておくと、「用酸素異微」は酸素を用いてエネルギーの元となる有機物を作り、その結果二酸化炭素を排出する異微であり、また「作酸素異微」は、光エネルギーを用いて、水と二酸化炭素を反応させ、酸素と有機物を生成する異微である。

 そして、「動物性真核泡細胞」は用酸素異微を取り込んで共生している細胞で、「植物性真核泡細胞」は用酸素異微と作酸素異微の両方を取り込んで共生している細胞のことである。

 彼らが誕生したことで、桜雲星において、酸素と二酸化炭素の循環の主体が、自然界の化学反応から生物による化学反応に取って代わられることとなったのだ。そして、その循環量は飛躍的に増えていったのである。


 循環と言えば、彼ら生物を育むための循環はまだ他にもある。水循環や塩循環、そして酸素と二酸化炭素の循環同様、最も重要なのが硫黄循環である。

 

 水循環から説明すると、海洋などから蒸発した水が、上空で雲を形成し、陸上で雨となり、河川を形成し海洋に流れ込む循環を水循環と呼ぶ。

 この循環の過程で、大気中の有害物質や塵埃じんあい塵芥じんかいを洗い流し、山岳地帯の岩石やミネラル、栄養分を下流に運び、海洋に砂浜を形成したり、生物たちが必要なミネラルや栄養分を供給する。


 塩循環とは、水循環で形成された砂浜などに海水が打ち寄せ、その海水から水だけが蒸発し、塩が堆積することで、塩田が形成される。そして、この塩田が長い年月を経て岩塩となり、この岩塩が風雨の浸食によって、再び海洋へと流れ込んでいくと言う循環のことを言う。

 この塩にはミネラル分が多く含まれており、生物にとっても必要なミネラルであるため、多くの生物が体内に取り込み、生命維持活動に活用している。 


 もう一つ生物にとって需要なのは、硫黄である。この硫黄の循環が生命維持活動に大きく関わっていることは、言うまでもないが、植物性真核泡細胞が供給している酸素が、この硫黄を生物が利用しやすいようにしたことも、生物が台頭する上で重要な役割を果たしたことは間違いない。

 ちなみに、この硫黄循環とは、

 1、地球内部から火山活動、地熱活動、熱水噴出孔などによって、様々な硫黄化合物が供給される。

 2、供給された硫黄化合物は酸素と反応して硫酸イオンに変換される。

 3、硫酸イオンは生物の体内でさまざまな反応に利用される。

  一部の生物は硫化水素を生成し、エネルギー源として利用するか、排出する。

  他の生物は硫化物を生成し、有機物合成に利用し、不要な代謝産物を排出する。

 4、生物から排出された硫化水素や硫化物は、再び酸素と反応して硫酸イオンに戻り、循環が維持される。

 以上のプロセスを言う。


 酸素の供給が桜雲星の環境を大きく変え、生態系の大変革を促したことは間違いないし、この生態系の大変革が、多細胞生物への進化を促し、「第一次生物爆発時代」へと突入する切っ掛けになったことも、もちろん間違いない。


 ところで、以前は全然分からなかった物質の名称だが、最近は少しずつではあるが分かるようになってきたのだ。酸素とか二酸化炭素とか硫黄とか、いくつかの有機物や、「水兵リーベ僕の船」って覚えた基本元素ぐらいまでだけど、物質と名称が繋がってきたのはありがたい。これも波動の情報を理解できているお陰なのだろうか。


 そうそう、何でも記録する記録装置の話を以前したと思うが、この記録装置も波動によるものだろうと、なんとなく推測している。と言うのも、記録装置から情報を引き出す時、やはり波動の情報として受け取るからである。どこから発せられる波動なのかは、まだよく分からないが、どこかに波動の情報として蓄積しているのだと言うことは、何となく分かった。

 この波動についても、また少しずつ解明したいので、また何か分かったら、報告したいと思う。


 こうして、誕生した多細胞生物たちであるが、次回多細胞生物たちの進化について話すことにする。

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