< 第一章 > - 進歩 -


「はじめまして。これから三年間、皆さんの理科を担当する水井です。

 今日は皆さんとの初顔合わせでもあるので、理科の授業を始める前に、少し特別なお話をさせていただきます。


 生命が地球に誕生してから数十億年が経ち、私たちは今、人類として進化しました。しかしこの先、進化の継続も、絶滅の可能性も両方あり得るのです。今後私たちの地球はどうなるか分かりませんが、一つだけ断言できることがあります。


 それは、『生命が自ら選んで進化したのではなく、自然界が無数の生命の中から必要な生命を選んだ』のです。皆さんがここにいるのも、自然界が皆さんを選んだからです。お父さんやお母さんの愛情によって育まれた皆さんは、自然界にとって必要な存在だと判断されたからこそ、ここにいるのです。しかし、これからは中学生として大人になるための準備をする時期です。


 皆さんは中学卒業後、義務教育が終わり、社会人として新たなステージに進みます。この社会という舞台では、自然界とは異なる選択基準があります。ですが、一つだけ共通することがあるのです。それは、皆さんが社会に選ばれるのです。


 進化とは普遍の原則です。社会の進化は『進歩』と呼ばれますが、原則は変わりません。『選ぶのではなく、選ばれる』のです。つまり、皆さんはその進歩の一翼を担う存在として、社会に選ばれるのです。


 皆さんは既に自然界の祝福を受けました。自然界の進化において必要不可欠な存在として選ばれたのです。

 しかし、これから生きていくためには、社会においても選ばれなくてはなりません。もし選ばれなければ、恐竜のように絶滅の危機に瀕するかもしれません。


 皆さんは社会においても選ばれるために、成長が必要です。技術や知識、スポーツや芸術、社交性や親切心など、どの分野でも皆さんが選ばれる力を身につけることができます。この中学三年間は、そのための準備期間なのです。知識を深め、スキルを向上し、人間性を磨いて、社会に選ばれる人間になってください。


 私は理科の先生ですから、人生経験と理科の知識は教えることができます。理科は社会において、役立たないと言われることも多々ありますが、それは違います。今皆さんにお話した、人生の指標となる進化の話は、理科の話です。

 学んだ知識に無駄なものは一つもありません。どう活かすかが重要なのです。知識が無駄なのではありません、知識を無駄にしているだけなのです。


 皆さんは、これから将来のために大いに学び、三年間の中学生活を大いに楽しんでください。

 質問や疑問はいつでも受け付けます。私の話は以上です。」


 この話は、水井先生が、最初の授業で、中学生になったばかりの私たちにした挨拶である。

 桜雲星に生命が誕生し、感動に包まれ、これから先どんな進化をするのか楽しみだなぁと思いを馳せていたら、ふとこの話をまた思い出してしまった。


 ことあるたびに思い出す、この記憶の疵瑕しかは、封印しても封印しても解かれてしまう。やはりこの記憶の疵瑕からは逃れられないのかもしれない。

 以前話したように、水井先生が私に掛けた呪いについては、話さないつもりでいた。思い出したくもないし、思い出すだけで嫌な気分になるからだ。


 しかし、このままこの話をせずに、私の桜雲星としての「惑星生」を語ることはできないと思う。

 良くも悪くも彼が私に与えた知識が、この「惑星生」を生きていくためには必要不可欠な知識なのだから。彼を思い出すことは、逃れられないのかもしれない。

 いや、逃れられないのではない。逃してくれないのだ。選択をしているのは自分ではないのだから。

 ならば、きちんと向き合って、ここで話をしておくべきだと思う。社会が、自然界が、私を選択するのなら、その選択に真正面から向き合い、選択されるしかないのだから。


 さて、この水井先生の挨拶は、私が中学時代に授業で聞いたものである。この挨拶を聞いたのは、一年の最初と、三年の最後だけだった。

 どうやら、水井先生の十八番のようで、毎年一年生と三年生に同じ言葉を送っているようなのだ。まったく余計なことして!


 この言葉を初めて聞いた中学一年生の時は、私も頑張って勉強して、社会に選ばれる大人になろうと、素直に誓ったのだ。多分水井先生も皆がそう言う想いを持つことを期待して、この挨拶をしたんだとは思う。

 しかし、この言葉を言った水井先生と言う人が、超難問を出す恐怖の大魔王だと分かったあの中間考査の日から、ずっと私にとっては呪いの言葉になってしまったのだ。


 最初の中間考査で35点をとってしまったとき、悔しくて涙したあの日、この挨拶に込められた本当の意味を悟り、恐怖を感じてしまったのだ。

 つまり、「できない人間は、社会が不要とする」と言うこと。すなわち、「絶滅しろ」と言う恐怖である。


 それなりに良い点数をとって、通知表には五段階評価で良とか優が並ぶ、自分で言うのもなんだけど、そこそこ優秀な小学生だった私が、中学という社会に入って、いきなりダメ出しをされたのだから、このままでは社会に選ばれなくなってしまうと言う恐怖心、成績の優秀な者は社会が選ぶが、私のような出来損ないは、社会が葬り去るのだという恐怖心が芽生えてしまったのだ。


 泣き明かしたあの晩、悲しくて、辛くて、悔しくて泣いたのはもちろんだが、泣き明かした一番の理由は、社会からの見えない怒りや憎しみと言う恐怖、お前なんて社会にはいらないぞと言う恐怖、に苛まれたからだった。


 それでも、あの日からは、この恐怖心に打ち勝つべく、超難問を傾向と対策で乗り切り、それなりに優秀な成績をとった。そして、こんな恐怖は見かけ倒しで、葬り去られるなんてことには、絶対ならないんだと言う風に、恐怖心を克服したのだ。


 しかし、克服できたと思っていた矢先、いよいよ中学を卒業すると言うまさにその時、理科の最後の授業で、呪いの言葉をもう一度聞かされたのだ。「選択するのではない。選択されるのだ」と言う言葉を。


 恐怖を克服していたかに見えた私の心は、実は恐怖を克服などしていなかったのだ。恐怖を別の物で覆い隠し、紛らわしていたに過ぎなかったのである。そして再び私は恐怖におびえることになった。それも永続的に、転星した後の今でも。


 その後も、高校入試の時もしかり、大学入試の時もしかり、就職活動の時もしかり、人生の節目節目で、自分が選ばれないのではないかという恐怖、恐竜たちと同じように絶滅する運命にあるのではないかという恐怖。これらがずっと私の頭から離れなくなり、この「選択するのではない、選択されるのだ」と言う言葉は、まさに私にとって呪いの言葉となってしまったのだ。


 特に、就職活動の時は最悪だった。

 当時バブル崩壊後の不景気真っ只中であり、後に「失われた三十年」とか言われる時代に突入してから、大分経った頃でもあったので、私のように平凡な、何の取り柄もない、どこにでもいるような女子大生にとっての就職は、困難を極めていた。

 それでも、社会に選ばれなきゃと言う恐怖心から、無謀にも狭き門である本物の「総合職」に挑んだのだ。


 当時、時代の波なのか、表向きは男女差別撤廃の御旗として、おそらく本音は不景気による男性の就職難解消のため、女性のみに許されていた「一般職」も男性が受けられるようにするべきだとして、「一般職」と言う物は法律上無くなった。

 しかし、それでも、そう簡単に企業側の意識が変わったわけではないし、実際、女性の受け入れ先として「準総合職」とか「限定総合職」とか言って、手を替え品を替えて、実質「一般職」が根強く残っていたのだ。


 これまでの女性の就職は二種類に分かれていた。つまりそれが「総合職」と「一般職」である。

 この二つが、女性たちをいまだに苦しめている、そもそもの元凶であるのだが、その話は今は取り敢えず置いておこう。


 まず「総合職」とは、当時、キャリアウーマンの花形であり、バリバリキャリアを積んで男性を物ともせず、職場という戦場でまさにジャンヌダルクのごとく、先陣を切って、24時間戦っていた女性たちの職場だった。


 それに対し「一般職」とは、そんな戦場どこ吹く風のOLであり、職場の花としてチヤホヤされ、話題と言えば色恋、グルメ、旅行に美容、そして噂話であり、小難しい社会情勢なんて知ったこっちゃ無く、仕事と言えば、コピー、お茶汲み、何でもござれ、丁稚奉公もかくやという雑用ばかり。それでも、会社とは永久就職先の良い男を品定めする場所であり、結婚までの腰掛けなのだ、とする女性たちの溜まり場になっていたのである。ある意味、こちらも女性たちによる男性争奪の戦場ではあったのだが。

 

 まだまだそんな印象が強い時代だったから、一般職や一般職擬きに就職するなんてことは、私にとっては絶対あり得なかった。水井先生の「皆さんが社会を選ぶのではない、社会が皆さんを選ぶのだ」と言うあの言葉の恐怖、社会に選ばれなければ、つまり良い就職をしなければ、葬り去られると言う恐怖も、ある意味後押ししたのかもしれない。


 結局、この恐怖に耐えられず、私は「総合職」への無謀な挑戦を続けたのだ。

 それこそ応募した会社は百社を超え、何日も何日もエントリーシートを記入するだけの日々を送っていた。恐怖心に背中を押されながら。それでも、結果はすべて撃沈。

 面接まで辿り着いたところも一応はあったが、結局一社も引っかかることなく、ペラ紙一枚が送られてきただけだった。


 意気消沈していた私を見かねて、いつも相談に乗ってくれていた大学の就職担当者が、

「ここ最近女性の就職は特に厳しいからね、そんなに落ち込まないで。日に日に顔色が悪くなってるから、就職活動も大事だけど、体調には十分気をつけてね。もし、新卒に拘らず柔軟に考える余裕が少しでもあるなら、回り道をする方法もあるから、そっちも検討してみて。」

 と、仕事をしながら資格を取るなりして、キャリアアップしてから、「総合職」に転職する方法があることを教えてくれた。敗者復活戦の道である。

 このままでは、社会に淘汰されて、葬り去られてしまうと言う恐怖から、渋々とは言え、急がば回れの精神で、「総合職」での就職を諦め、「一般職」でまだ空きのあった会社に就職したのだ。

 それが私が四十七歳に転星するまで二十数年勤めていた会社なのである。


 会社に勤めた後も、色々資格を取ったりしたが、結局回り道をして「総合職」への転職をすることはなかった。選ばれないのではないかという恐怖と、出遅れてしまったという恐怖を拭えず、この会社にしがみつくことを選択したのだ。いや選択したのではない。この会社が私を選択したのだ。


 これが、あの挨拶を聞いてからの、私の顛末である。就職してからも、何かあるたびに、この「選択するのではない、選択されるのだ」と言う言葉は、ずっとつきまとい、ことあるたびに私を苦しめた。

 そして、私にとって、選ばれないかもしれないと言う恐怖は、死への恐怖よりも恐ろしい物になってしまったのだ。これを呪いと言わずして、なんと言えば良いのか。

 社会という世界の中で、私は独りずっと怯えていたのかもしれない。


 しかし、結局私は子孫を残すこともなく事故に遭い、「あの世」、いや「この世」に旅立って「来て」しまった。惑星となって。

 私は前世で社会の進歩に少しでも貢献できたのだろうか。

 結局貢献できなかったがために、社会に排除されたのではないのだろうか。文字通り前世では葬り去られてしまったのだから。

 私は、選択されるという呪いから逃れることは、もうできないのかもしれない。

 惑星となった今でも、いつこの世界から淘汰され、私の惑星生が終了するかと言う恐怖が、いつまでも私につきまとっている。


 しかし幸いにも、今のところは淘汰されずに、何とか惑星として生き残っているのだ。

 そんな私に生命が誕生した。泡細胞たちである。

 まだまだ小さな生まれたばかりの生命だが、彼らは私に依存し、これから進化をすることになり、私と同様、「選ばれる」恐怖が訪れるのである。

 しかし、彼らにとっては、「選ばれる」と言うのは、チャンスでもあるのだ。

 確かに、私にとっては恐怖の言葉だったが、彼らにとっては希望の言葉なのだ。私がいつまでもこの恐怖に怯えていれば、もしかしたら、彼らにもその恐怖が伝わるかもしれない。たとえ伝わらないとしても、彼らにとって良い影響を及ぼすとはとても思えない。であれば、いつまでも私がこの恐怖に怯えているわけにはいかないのだ。

 彼らを見守ることしかできない私だが、彼らにとって、この私という存在がもたらすものが、彼らの進化に良い影響を与え、彼らの希望となること、そして彼らの未来がよりよい方向へと進化することを願うばかりである。

 私もいつかこの恐怖を克服することを、ここに改めて誓おう。

 社会ではない、この私が進歩するために。

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