第11話

 バックヤードはロの字状の回遊導線になっている。出入口は2つ。食材庫から出てまっすぐ進み、左に曲がれば出入口があるはずだ。

 かおるは跳ねる心臓を宥めながら歩みを進めた。子供は死んだように静かだった。


 頼むから泣き出さないで。

 かおるは初めて神に祈った。無事に出入口にたどり着き、ドアに手を伸ばした。


「そこの人!どこに行くの!?」


 急に声をかけられ、かおるは飛び上がった。恐る恐る振り向くと、年配の女性が立っていた。格好からしてウエイトレスのようだ。

「は、はい。何か…?」

「そっちはお客様がいるからダメよ。あら、見ない顔ね。新人さん?」

「はい」

 ウエイトレスは「ふーん」と言って顎を掻いた。

「それなら知らないか。ゴミ捨てるの?ゴミはゴミ庫に溜めといて、開店前か閉店後にまとめて捨てるんだよ」

「あ、そうだったんですか。すみません」

 そういうルールだったのか、危ないところだった。かおるは適当なことを言ったウエイターを少し恨みながらも、すんでのところでミスを犯さずに済んだ幸運に感謝した。

「ゴミ庫はそこ、右よ。見える?」

 ウエイトレスの指差す暗がりに部屋の入り口のようなものが見えた。

「はい、分かりました。ありがとうございます」

「どういたしまして、ついでにこれ、捨ててきて」

 ウエイトレスは台車に小さなビニール袋をポンと置いた。

 かおるはヒヤリとしたがどうやら気付かれなかったようだ。ウエイトレスはどこかへ行ってしまった。ウエイトレスの姿が完全に見えなくなったのを確認し、かおるはゴミ庫に移動した。


 手早く作業着を脱ぎ捨て、私服に戻った。ゴミ袋を持ってお客のフロアには出られない。それなら客のふりをして外に出るしかない。

 ゴミの山を漁り、紺のロングコートを見つけた。ソースかスープを盛大に溢したようで派手にシミが出来ていたが、構わず拾い上げ、ゴミ袋から子供を出した。


「後もう少しで外に出られるから、私の言うことを聞いてね。今からバックヤードから出るから、このコートの影に隠れて歩いて。それと絶対声を出しちゃダメ。出来る?」

「うん」

「良い子ね。じゃあ付いてきて」


 かおるはコートを腕にかけ子供が見えないよう隠しながら出入口まで移動した。

 マジックミラーから外の様子を伺う。ステージでは煌びやかな衣装に身を包んだダンサーが踊っている。

 周囲に従業員が居なくなったタイミングを見計らってかおるはフロアに出た。すぐ隣に客用のトイレがあったので一旦そこに身を隠した。


 鏡でボサボサになった髪を整え、コートの汚れをはたき落とし、再び客のふりをして外に出た。エレベーターの扉はもうすぐそこに見える位置にある。フロアのステージは最高の盛り上がりを見せ、客はダンサーに釘付けだった。行くなら今しかない。

 歓声のさなか、かおるはエレベーターにたどり着き、地上に出るボタンを押した。気持ちは焦るがそんな事情は機械には通じない。1分が10分にも感じられた。


 エレベーターのインジケーターが順番に点滅していく。


 あともう少し。お願いだから早くきて。

 かおるの祈りが通じてか、エレベーターは途中下車で止まることなくスムーズに下降していった。


 が、その時、かおるの切羽詰まった様子に何かを感じてか、ウェイターが近寄り話しかけてきた。

「お客様、どちらへ行かれますか」

 こんな時に限って、とかおるはぎくりとしながらも、平静を装って言い訳を探した。背中を冷たい汗が流れた。


「すみません、電話がしたいのですけど、電波が届かないみたいで、一旦外に出ても良いですか?」

 子供をコートで隠しながらかおるは苦し紛れの言い訳をした。

「ええ、そういうことでしたら構いませんけども」

 ウェイターは納得したらしく遠ざかっていった。どうにか誤魔化せてかおるはほっと胸を撫で下ろした。チン、と音がしてようやくエレベーターの扉が開いた。かおるは子供の背を押して足早に乗り込み、『閉』のボタンを押した。ドアは静かに閉まり、上昇を始めた。

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