第6話
翌日、かおるは東京の新宿駅にいた。『ピーターソン』は臨時休業だ。
鞄から名刺を取り出し、裏面の地図を頼りに進んでいく。駅からさほど遠くないはずだ。慣れない都会の道に翻弄されながらもかおるは住所にたどり着いた。が、『レストラン ソニー&ビーン』らしき建物や看板は見あたらなかった。
かおるはスマートフォンを取り出し名刺に載ってる番号に電話をかけた。3コールで黒木が電話に出た。
「はい、黒木です」
「もしもし、水田です。今、名刺の住所にいるんですが、お店はどこですか」
「店は表からは見えない造りになってます。なので今から迎えに行きます。そこで待っていてください」
言われた通りその場でじっとしていると、15分位経ったころに何処からか黒木が現れた。今日はレストランの支配人らしく黒の三つ揃いのスーツ姿 だった。見るからに上等な物だった。
「お待たせしました。迷わないで来られましたか?」
「はい。なんとか」
かおるの表情に疲労が滲んでいるのを見て、黒木は察したようだった。可笑しそうにクスリと笑った。
「東京は魔窟ですから。駅から案内すれば良かったのに気が利かなくてすみません。では付いてきてください」
黒木は繁華街の奥、人気のない路地裏をどんどん進んでいった。かおるがなけなしの土地勘を完全に失った頃、寂れた雑居ビルの裏口で立ち止まり、ドア横のインターホンを押した。
「はい」
スピーカーから女性の声が応対した。
黒木はインターホンのカメラに顔が写るように身を屈めて返事をした。
「総支配人の黒木です」
「お帰りなさいませ。パスワードをお願いいたします」
インターホン横の金属製の扉がカチリと鳴ってスライドした。アルファベットと数字がランダムに表示されたタッチパネルが現れた。黒木は目にも止まらぬ速さでパスワードを入力した。
画面に「yes」の文字が表示され、ガチャンと言う音と共にドアの鍵が開いた。
黒木はかおるを先に通し、ドアを閉めた。閉めると同時にドアの鍵が自動で閉まった。
中は2人でも狭いくらいの小さな部屋で、エレベーターがあるだけだった。開閉ボタンのランプは消えており、ボタンの上に謎の黒いセンサーがあった。黒木はセンサーに右手の親指を押し付けた。すると開閉ボタンが点灯し、エレベーターが動き出す音がした。
「厳重なんですね」
かおるが思わずそう言うと、黒木は神妙な顔で頷いた。
「ええ。インターホンで顔をチェックし、10桁のパスワードを入力後、予め登録してある指紋をセンサーに認証させてようやく入店できます。総支配人の私もこの手順をクリアしない限り店内に入れません」
「パスワード10桁もあるんですか」
「長いでしょう。しかも定期的に変更してます。入力しないと入店できないので絶対に忘れないでください」
煩雑な入店マニュアルにかおるは早くも不安が湧いてきたが、なるべく深く考えないようにと自分に言い聞かせた。
「お店は何階ですか」
「地下3階です。そろそろ着きます」
その言葉通り、ガコン、と音がしてエレベーターの扉が開いた。
エレベーターは店内に直結していた。フロアは臙脂色のカーペットが敷き詰められ、真っ白なテーブルクロスが掛かったテーブル、テーブルの真ん中には百合の花と金の燭台に乗った長いロウソク(を模したLEDランプ)がテーブルをボンヤリと照らしていた。白いジャガード織りのクッションのついた椅子に、煌びやかなシャンデリアが2つ。前方奥にステージがあり、弦楽器の五重奏でサン=サーンスの《白鳥》を演奏していた。薄汚い路地裏の雑居ビルからは想像も出来ない豪奢な空間だった。だが同時に何とも言えない禍々しさも漂っていた。
「『ソニー&ビーン』にようこそ。驚いたでしょう?」
「はい。すごく高級そうなレストランですね」
かおるの率直な感想に、黒木は謙遜で答えた。
「そうでもないですよ。お客様は選んでいますがね。完全会員制で、信頼のおける人にしか入店は許可していません。早速持ち場を紹介しましょう。こっちです」
黒木の後を追いながら、本当にこの人に付いてきて大丈夫だったのだろうかと再び不安が込み上げてきた。だがここまできて引き返す訳には行かない。かおるは渦巻く心に蓋をして『ソニー&ビーン』のバックヤードに足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます