第5話
テレビで取り上げて貰ったお陰で『ピーターソン』は大盛況だった。とても1人では捌ききれず、やむを得ずかおるは『ピーターソン』を完全予約制にした。そうするのは心苦しかったが仕方のないことだった。
デザートを持っていくと、有閑マダム風の女性が嬉しそうに話しかけてきた。
「テレビで観てずっと気になってて、今日やっとこれたの。本当にどのお料理も美味しいわね」
かおるはマダムに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「特に『本日のジビエ』のお肉がとっても美味しかったわ。これはなんの肉だったかしら」
「『熊肉のトマト煮込み』です」
マダムは手をポンと叩いて言った。
「そうそう。そうだったわね。すごく気に入ったわ。でもいつもある訳じゃないのよね」
かおるは眉を下げて申し訳なさそうに言った。
「はい。熊はなかなか捕るのが難しいので…」
「そうよねえ。熊は怖いものね。でもまた来るからいいわ。次はオススメしてたスープカレーにしようかしら」
「ありがとうございます。腕に寄りをかけてお待ちしています」
大満足の様子のマダムはまだまだかおると話したそうだったが、夫に促され、会計を済ませると笑顔で手を振りながら帰っていった。
夜20時、最後のお客を送り出し、『ピーターソン』は営業を終えた。テーブルの後片付けをしていると、ドアを開けて誰かが入ってきた。
かおるが驚いて顔を上げると、そこにはハットにトレンチコート、三つ揃いのスーツを来た初老の男性が立っていた。髭を蓄え、手にはステッキが握られている。どことなく英国紳士風の出で立ちだった。特徴的な風貌だったため、かおるはすぐ存在を思い出した。
「お昼にいらっしゃったお客様ですね。申し訳ありません、営業はもう終わっているのですが…」
かおるの言葉を遮って紳士は言った。
「知っています。『本日のジビエ』について少々お話したいことがあって戻ってきたのです」
かおるの胸がドキリとなった。動揺を悟られぬよう注意してこう言った。
「なんでしょう」
紳士は静かな口調で切り出した。
「単刀直入に言います。あれは熊肉ではなく、人肉ですよね」
何故それを、と言いかけたのを飲み込んで、かおるはキッパリ否定した。
「いえ、熊肉です」
「とぼけなくてもよろしい。これが証拠です」
紳士はスマートフォンの画面をかおるに見せた。
そこに写っていたのは『ピーターソン』の中にある肉の下処理室だった。かおる以外誰も入らないので、処分に困っていた頭部や髪の毛など冷凍庫に入れっぱなしにしていた。それが写真に言い逃れは不可能な程はっきりと写っていた。
「いつの間にこれを…」
かおるはショックで目が回りそうだった。紳士はしれっとした表情で、
「普通に裏口から入りました。お忙しくて気付かなかったようですけど」
と事も無げに言った。
この人はなぜ人肉だと気づいたのだろう?かおるはパニック状態になった。一体この人は何者なのか?何か言わなくては。かおるは必死に言葉を続けた。
「貴方は警察ですか」
紳士は手を振って否定した。
「いえ。違います。別に貴方を捕まえにきたわけじゃありませんよ」
「何が目的ですか」
紳士は微笑んで答えた。
「貴方をスカウトしに来たのです」
かおるは一瞬理解できず、思わず
「…どういうことでしょう」
と聞き返した。紳士は穏やかな口調でかおるにこう提案した。
「私のレストランで働きませんか?無論ただのレストランではありません。ゲテモノ食材専門レストランです。そこで貴方に人肉を担当して頂きたいのです」
かなり怪しげな誘いだ。警戒心をあらわにかおるは
「断る、と言ったら?」
と探りを入れた。
紳士は笑顔を消して言った。
「貴方を警察につき出します。貴方は大人気ジビエシェフから一転、猟奇的殺人犯としてマスコミにセンセーショナルに取り上げられるでしょう。もう2度と料理は出来ないどころか、死刑になる可能性もある」
かおるは観念した。目を伏せて力なく紳士にこう言った。
「分かりました。貴方の言う通りにします」
紳士は再び微笑んで、懐から名刺を出してかおるに差し出した。
「では明日、この名刺にある住所に来てください。着いたらこの電話番号に連絡を入れて下さい。私が迎えに行きます」
かおるは紳士が差し出した名刺を受け取った。上質な紙で出来ており、金色のデザイン文字で『レストラン ソニー&ビーン』、その下に優雅な明朝体で『総支配人 黒木啓一郎』と印字されていた。裏には住所と簡単な地図、電話番号が記載されていた。
「ではお待ちしています」
そういい残し、黒木は帰っていった。かおるは名刺をテーブルに置き、椅子に座って頬杖をついて物憂げに名刺を見続けた。かおるの心に、確信に満ちた悪い予感が雷を孕んだ黒く重たい雲のようにどろどろと広がっていった。
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