第2話

 水田かおるは天から類いまれなる料理の才能を与えられていた。


 どんなものも、かおるの手に掛かれば素晴らしく美味しい料理になった。かおるにとってこの世の物はすべて食材だった。ありとあらゆるものを調理しなければならぬ。それがいつしかかおるの信条となった。


 若くしてその才能を認められ、フランスの料理学校に特待生として入学した。言葉の壁はあったものの、そこでもかおるの才能は周りを圧倒した。


 素晴らしい成績を修め、料理学校を卒業した後、フランスでも名の知れた老舗レストラン『バッティスト』に就職し、料理人として修行に明け暮れた。


 そんなある日、久しぶりに母校を訪ねたかおるは、新しいレストランが出来ていることに気付いた。木彫りの看板には『ジビエ専門店 アテネ』と記してあった。何となく気になり、今日のランチはそこで食べることにした。それがかおるがジビエ料理に目覚めるきっかけとなった。


 店に入ると、山小屋のような素朴な内装のレストランだった。つるりとした頭でメガネをかけた中年の男性が注文を聞きにやって来た。メニューを開き、『鹿肉のステーキ』を注文した。鹿肉は授業でも扱ったことがある。かおるの好きな食材の1つだ。


 やがて熱々の鉄板に乗せられた鹿肉が運ばれてきた。分厚い肉はジュウジュウと良い音を立てていた。一口食べてみると、肉汁と共に森の木々と草と木の実の味が風のように口一杯に広がった。

 なんだこれは。かおるは衝撃を受けた。夢中になって食べていると、先ほどのメガネをかけた男がテーブルにやって来た。


「いかがですか、マドモアゼル」

 かおるは心の底から賛辞した。

「とっても美味しいです。これは貴方が作ったのですか」

男は笑顔で頷いた。

「そうです。その鹿肉も私が森で捕ってきたものです」

「ご自分で?」

「はい。狩猟が趣味で、それが高じてレストランを開いてしまいました。鹿だけでなく、森には余り知られていない美味しい食材が沢山あるのです。それを皆さんに知って欲しくて『アテネ』を開いたのです」


 そう聞いて、かおるは好奇心がムクムクと湧いてくるのを感じた。まだ見ぬ食材を求めて森を駆け回る自分を想像すると胸が高鳴った。


「そうだったんですか…。すごく良いお話ですね。貴方のお名前は?」

「フレデリック·ピーターソンです。お邪魔してすみませんでした、マドモアゼル。どうぞ食事を楽しんで」

 そういうとフレデリックはにっこり笑って厨房へ戻っていった。


 翌日、かおるは『バッティスト』を辞職した。周りは必死に引き止めたがかおるの決意は揺らがなかった。その足で『アテネ』に向かい、フレデリックに弟子にしてくれと頼み込んだ。フレデリックは戸惑い、初めは断ったものの、かおるの熱意に押されとうとう見習いシェフとしてかおるを雇うことになった。


 フレデリックはかおるに狩猟のイロハを教え込んだ。猟銃の扱い方、獲物の捕り方、猟犬の世話や躾、獲物の処理の仕方…かおるはそれらの知識を驚くべきスピードで吸収していった。1年もするとかおるの狩猟の腕前はフレデリックと肩を並べるほどになった。


「今日はキツネと山鳥と牡鹿を1頭か。素晴らしい。かおるはハンティングの天才だな」

地面に並べた獲物をフレデリックは満足げに眺めた。かおるは猟銃に残った弾を抜きながら礼を言った。

「ありがとう。いつか日本に帰って、フレデリックみたいにジビエレストランを開きたいんだ」

そう言われ、フレデリックは嬉しそうに笑った。

「かおるなら出来るさ。料理も天才的だし。でもかおるに辞められたらうちのレストランはガラガラになっちゃうかもな」

かおるとフレデリックは大笑いした。

「もしかおるがレストランを開いたら絶対食べに行くよ。楽しみだなあ」

「うん。絶対ね。約束だよ」


 それから数か月後、フレデリックはアメリカへハンティングをしに行き、森でグリズリーに襲われ亡くなった。遺体はめちゃくちゃに喰われ、見るも無惨な姿になっていた。

 オーナーを失った『アテネ』も閉店となった。深い悲しみと失意を胸にかおるは日本に帰国した。そしてフレデリックを偲び、念願だった自分のレストランをオープンした。こうして山奥に『ピーターソン』が誕生したのだった。

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