わたしはあなたがきらい

 若井チサは鏡と対面していた。

 自分とうり二つにも思えてしまう人物と、――草鹿華子を前にしている。実際、容姿が似ているというわけではない。しかし、若井チサの目には、同一人物のように見えてしまった。

 草鹿華子と館崎亮介が付き合い始めた事実は若井チサに強い影響を与えた。生活リズムが狂い、よく眠れなくなった。ヤケを起こすことが増えた。自分でも気づかないうちに、自分というものを保てなくなっている。

 そんな中、ぎりぎりのところで保っていた理性がある予感を告げた。――これは、何か裏があるのではないか。

 普通に考えて、草鹿華子と館崎亮介が交際するはずがない。今でこそ、草鹿華子の容姿は変わった。一部では学校一の美少女と言われていることもあるらしい。――馬鹿馬鹿しい。若井チサは見抜いている。草鹿華子の本質は、もっと醜いはずだ。

「……あんた、あたしの真似をしてるよね?」

 草鹿華子は首を傾げた。

「どういうこと?」

 この首の傾げ方も、計算されている。吐き気がするほど完璧めいている。

「とぼけるなよ」

 苛立ちは声になって現れていた。草鹿華子の表情は揺るがない。自信にあふれる様子だった。しかし、若井チサは知っている。それは仮面に過ぎない。草鹿華子は、偽物なのだ。

「リョウを誑かして。あんた、なにしたわけ?」

「……よく、わからないけど?」

「あんたが、リョウに告白されるわけないだろ?」

 そこで、草鹿華子は小さく微笑む。だが、若井チサの目には、鼻で笑ったような、嘲笑されたように思えた。

「なにか、誤解してるんじゃないかな?」

「してねえよ。あたしは、知ってる。リョウのことを、あんたよりずっと知ってるんだ。だから、あんたみたいな気持ち悪い女と付き合うはずがない」

「ひどいなぁ。目の前で言われているから、いっそ清々しい気分ではあるけど。それにさ」

 それまで受け身であった草鹿華子は、ついに牙を剥き始める。

「りょうくんと別れてるよね? 若井さんは」

「そうだよ。別れてる」

「なら、関係ないんじゃない?」

「ある」

 あるのだ。

 自分にとって、館崎亮介との記憶は絶対的なものだった。惨めで、醜くて、暗くて。そんな自分の人生に光が差したのだ。今の自分がいるのは、間違いなく館崎亮介がいたからだ。

「あたしは、あいつに幸せになってもらいたから。あんたはきっと、あいつを不幸にする」


  *


 ――なんだ、この女は。

 先程から、好きに言わせておけば、言いたい放題で……。華子は若井チサに苛立ちを覚えていた。表情を押し殺すが、感情は沸々と煮えたぎっている。

 館崎亮介を、不幸にする? 自分が?

 ――違うよ。それは、違う。

 わたしは、幸せになるんだ。これから、館崎亮介とともに。不幸になるはずなんてない。なぜなら、館崎亮介こそが、自分を幸せにしてくれるから。

「あんたは、何かがおかしい。おかしいことがわかる。だから、別れて。リョウと別れて」

 馬鹿げた話だ。

 そもそも、既に自分は若井チサよりも数段上をいっている。その事実に若井チサが気づかないはずがない。

「それは嫌だよ」

 ここは、強く出る。

「わたしは、りょうくんの彼女だから。あなたの言うことなんて聞けない」

 若井チサはなおも続けた。

「聞くとか、聞かないとか。……あたしの真似しかできないやつが、自分のことしか考えられないようなやつが、リョウに近づくんじゃねえよ」

「……はぁ?」

 そこで、若井チサは引き攣った笑みを返した。華子は自分が嘲笑されている気分になった。

「図星なんだろ? あんた自身は、空っぽなんだよ。プライドだけが高くて、気持ち悪い。気持ち悪い」


 ――壊してやろうか。


 華子の怒りは頂点に達した。それはある種の冷静さを手に入れた。この女を潰す。徹底的に、陥れる。最も効率的で、若井チサを潰す言葉を、華子は知っている。

「ねえ、若井さん。あなたの知らないこと、わたし、知ってるよ?」


  *


 その笑みにゾクリとした。

 草鹿華子の異様な雰囲気に圧されそうになった。ハッタリだ。そうに決まっている。

「――男子の中だけで流行っている遊びを、あなたは知らない?」

「急に、何を――」

 知らない。頭の中ではそう答えている。

「罰ゲームだよ。何かをして、ビリの人が罰ゲームをすること。それが、流行っているんだって。罰ゲームの内容はそれこそ色々。――好きでもない人に、罰ゲームをすることだって、ある」

 息が止まったような気がした。

 草鹿華子は嗤う。


「あなたの恋人関係は、罰ゲームなんだよ? ――ねえ、知ってた?」


 何かが、弾けた。

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