会心の一撃

 昼食辺りから、華子は見覚えのある顔に気づいた。遠くからではあるが、確かにわかる。……あの人物は、若井チサだ。

 なぜ、若井チサがこの場所にいるのだろうか。華子の思考は没頭していく。しかし、明確な答えが見つかることはなかった。何かしらの偶然が引き起こしたのかもしれない。

 若井チサはどうやら、自分たちの後をつけてきているようだ。

 ――ちょうどいいかもしれない。華子はこれを好機と見た。一応、若井チサは館崎亮介にとってだった。ここで格の違いを見せつけておく必要がある。できれば、今後干渉することがないように、徹底に。

 館崎亮介が若井チサに未練があるようには思えない。……百パーセント言い切れないのが苦痛だ。小さな芽は潰しておくに越したことはない。

 既に、既成事実となる証拠写真は握っている。伊坂優太の力を借りる必要もないだろう。後は、若井チサに証明する手立てを考えなければ……。

「何見てるんだ?」

 館崎亮介の言葉に華子はびくりと肩を震わせた。

「いえ」

 華子は視線をもとに戻した。あまり不自然に思われてはいけない。既に洋服屋で失態を繰り返しているのだ。これまで以上に、行動には慎重にならなければ。

 華子には、気になっていることがあった。

 試着室で着替え終えた後、モデルのポスターについて触れた。

 ――まあ、好みではあるな

 どうやら、館崎亮介はああいったタイプの外見が好みのようだ。華子の容姿とはかけ離れたタイプだ。悔しいが、あのモデルは実際に美しかった。

 華子は自分の前髪を見る。瞳を隠すために伸ばしている髪を。どうせなら、館崎亮介に合う女性像を作り上げたい。あのモデルを参考とする必要がある。……どうやって?

 自分一人では太刀打ちできない問題に華子は頭を悩ませた。そうしている間に、デートそのものの空気も微妙になってきた。華子と館崎亮介の関係は非常にぎくしゃくしている。

 これは、恋人ではない。

 さらにいえば、デートですらない。

 自分の経験不足が生み出しているのか。口下手のせいなのか。相手の責任なのか。華子にもワケがわからなくなっていた。

 館崎亮介からも、終わりのムードが漂い始めている。華子はまだ館崎亮介と一緒にいたかった。後をついている若井チサに見せつけるほどには。

「……これから、どうしま……どうする?」

 珍しく、華子の方から話す。敬語は慣れなかった。

「そうだな……」

「この時間だと……、映画でも見るか?」

「映画……」

 アニメやドラマは久しく見ていない。

 自分から逃げてしまった。

「ぐるっと店を見るのもいいし」

「ぐるっと……」

 そんな曖昧でもいいのか?

 目的がなくても、いいのか――?

「買い食いでもするもよし」

「買い、食い……」

 提案してくれても、わからない。

 どうすればいいのか、わからない。

 館崎亮介は作り笑いを浮かべた。おそらく、華子に呆れている。それがありありと伝わる。

「まあ、最初だから疲れたろ? 今日は帰るか」

「……はい」

 こんなものを、自分は求めていない。

 けれど、求めているものすら、容易に手に入れることができない。


  *


 何かが違う。

 自分が恋人になれきれていないのを自覚する。華子は自分の振る舞いに苦痛を感じる。ただただ、苛立つ。

「――館崎君は、どうしてわたしに告白してくれた……の?」

 試すような台詞が洩れ出た。言った後に、自分は試しているのだとわかる。館崎亮介からうっと声が聞こえた。……なんだよ、うっ、て。

「……前から、気になってたんだよ」

 ――嘘つき。

「前って……、若井さんと付き合っていたときから?」

「……は?」

 若井チサといるときの館崎亮介は楽しそうだった。きっと、こんなデートをしていなかった。館崎亮介らしい振る舞いをしていたはずだ。自分は、若井チサのように振る舞えていたのか。あんな女に、負けていたのか。

「前からだな」

 ――嘘つき。嘘つき。

「そう、なんだ……」

 ――嘘つき。嘘つき。嘘つき。

「草鹿は? 俺のこと、いつから?」

「えっ?」

「告白受けたってことは、そうなんだろ?」

 ――わからないのか。

 知らないのか。自分がどれだけ焦がれて。

「……前から、だよ」

「若井よりも?」

「ずっと、ずっと、前から」

 華子は笑みを浮かべたつもりだった。しかし、館崎亮介は自分から視線を外した。何か、拒絶をされたように思えた。笑みを、引っ込めている。

「今日ので……デート、とても楽しかったです」

 ――嘘つき……

「そりゃあ良かった」

 華子は館崎亮介から視線をそらした。 

「わたし、これまで、誰かと遊んだことがなかったから、ほんとうに、楽しかった」

 洩れ出る感情を必死に抑えた。

「わたし……、恋人っぽかったですか?」


 ――嘘つきッ!


「もちろん。多少硬かったけどな」

 華子は館崎亮介から背を向けた。もういい。今はいい。とにかく離れたい。

 しかし、その寸前、華子は若井チサの姿を目撃してしまった。その瞬間、華子は己の目的を思い出した。自分は、若井チサが嫌いだ。この女にだけは、負けたくなかった。

 この女に、見せつけないと。

 華子はくるりと立ち回り、亮介の方へ駆け寄ってきた。館崎亮介は目を丸くする。まさに会心の一撃だった。華子は勢いのままに、館崎亮介の顔に近寄る。――唇に。

 触れた。

 華子はすぐさま逃げ出す。茫然と立つ館崎亮介を置いて。遅れて、振り向いた。同じく茫然と立っていた若井チサを見て、華子は満面の笑みを作ってみせた。


  *


 唇の感触は忘れた。

 ただ、ざらついていた気がする。自分の衝動的な行いを振り返り、頬が熱くなる。身体全体が、熱くなる。

 見せつけてやった。自分は、見せつけたのだ。そう、強く言い聞かせている。

「――ねえ、草鹿さん」

 そこで、声がかかる。

 華子は反射的に振り向いていた。

 その人物を見て、頬を引き攣らせた。その後ろに、伊坂優太がいた。彼は申し訳なさそうに頭を下げていた。

「こんばんは、少し、いい?」

 古崎美恵が、華子に言った。

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