物語かよ
想像力だけは豊かだった。
ちょっとした妄想。ふと、館崎亮介を思い出すと、華子は妄想の世界に入り込んでしまう。自分が館崎亮介の隣にいる。手をつなぎ、笑い合い、絡み合う瞬間まで。自分がひどくロマンチックで、傲慢深い人間であると、そのとき初めて知った。
中学三年生に上がったが、華子に好きな人ができることはなかった。周りの人たちが付き合っている様子を見かける機会が増えた。それを見るたびに、妙に心がざわつく。もしかしたら。自分には一生縁のない話なのかもしれない。そう思うとゾッとする。あの母ですら、恋人を作ったたことも、キスをしたことも、身体を重ねたことも。――そんな、甘い記憶がある。自分はそれができないかもしれない。自分だけが。
……ただ、自分に合う人間がいないだけだ。館崎亮介のような、そんな男こそが自分に合っているはずなのだ。頭によぎる恐怖が訪れるごとに、華子はそう思うようになっていた。
華子は表面上、自分はそんな俗世には気にしないふりをしている。自分には関係ない。関係がないのだと。ある意味、それは特別性を有していた。華子だけが、他の人と違う。自分はお前たちとは違うのだと。そんな自尊心を育てることでしか、華子は自分を保つことができなかった。
そして、表面上、華子と同類とされる男子と、華子はともに過ごす時間が増えていた。
「草鹿さんは高校どこに行くか決めたの?」
伊坂優太が華子に尋ねてくる。特別、伊坂優太が華子のことが気になっているからの質問、ということはない。彼にとって、それぐらいしか話題が浮かばなかっただけだ。
「……S高校」
華子がそっけなく答えると、伊坂優太は安心したように頷いた。
「そっか。僕もなんだよ」
「近いしね」
「偏差値もまあまあだし」
とても安直な考えだった。母の話によると、高校に入学する直前に引っ越すことを考えているらしい。今度は母がやらかしたわかではない。単純な物件に不満を覚えていたためだ。当時、華子が暮らしていたアパートは日当たりが悪く、冬はとにかく寒い。ひどいときは、家の中なのに白い息が出ることがある。母は極度の寒がりだ。不満は膨らみ、引っ越しが決意された。
新しく引っ越す予定の場所は、入学予定の高校からほど近い。むしろ、華子にとって引っ越しは移動時間的に都合が良かった。
「知り合いがいて、良かったよ」
「……そうだね」
華子は伊坂優太の顔を覗き見た。
華子は、彼に対して、
伊坂優太との会話を終えて、華子は帰りの準備をした。手早く済ませてしまう。華子には友人というものが存在しない。そのため、誰かを待つ、ということはない。
華子は校門をくぐり、帰宅する。いつも通り、華子の一日は終わる予定であった。
「――ねえ」
不意に、華子に呼びかける声。華子は思わず立ち止まった。振り向く先にいた人物に目を丸くした。そこにいたのは、
古崎美恵は正面から見ても、高嶺の花らしく、超然としているように見えた。美しく、凛としている。その表情は険しく、雰囲気は悪かった。華子に用があるのは明白。問題は、その内容である。
「……なん、ですか?」
伊坂優太以外、華子の声はつっかえになる。自分でも変えたいと思いつつも、どうしてもできない欠点。古崎美恵は華子の口調など気にしていなかった。
「ちょっと、聞いていい?」
古崎美恵は前置きをせず、尋ねていた。
「草鹿さんと伊坂くんは付き合ってるの?」
――
「……つ、付き合って、ないけど」
「……そう」
古崎美恵は訝しげな視線を隠さなかった。華子は内心嗤っている。自分の直感は正しかった。すぐさま、逃げるように立ち去ろうとする。しかし、呼び止められていた。草鹿さん。その声は強い魔力を帯びていて、華子は動きを止めていた。
「――今の質問、忘れてね」
忘れてやるものか。
華子は頷きながら、古崎美恵から離れていった。
*
あの高嶺の花が、伊坂優太を好いているのではないか、と気づいたのはずっと前のことである。人間観察の末、華子は古崎美恵が時折、ずっと強く、深い視線を伊坂優太に向けていることに気づいたのだ。
意外な話だ。なぜ、高嶺の花ともあろう人が、伊坂優太のような人間を好きになるのか。同時に、こうも思っている。まるで、館崎亮介と、華子のようだと。館崎亮介が華子を好きになる風景はきっと、伊坂優太と古崎美恵の関係のように見えるのだろう。
二人の関係性は可笑しく見えた。とても、対等には見えなかった。伊坂優太を見ていると、不思議に思う。この男と、あの女が付き合う未来があり得るかもしれない。世迷い言か何かの間違いに思えた。
「――ねえ、伊坂くん」
「へ、え?」
伊坂優太は挙動不審に反応する。――ほら、この反応。実に、
「伊坂くんって、古崎さんのこと好きでしょう?」
「な、なっ……」
伊坂優太は顔を赤くした。慌てて、俯かせて、首を振るおうとする。――やがて、諦めたように小さく頷いていた。
どうして、彼らは理想的になれて、自分はなれないのだろう。どうして、自分の目の前にあるのは、どこまでも現実なのだろう。
――物語かよ。華子は激しく嫉妬する。
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