少女の欲

 中学に上がる直前、母が

 ここ数年、母はある男と上手くいっていた――ように見えた。少なくとも珍しい事例ではあった。

 ゆえに、華子は油断した。母の交際相手が勤務先の上司であり、妻子のある男であると知った瞬間、破綻した。これで何度目にあるのか、母は同じ過ちを繰り返した。結果、母は勤務先を自主的に辞めることになった。この土地を一時離れて、隣町の中学校に進学することになった。

 華子は、館崎亮介との記憶を大切しながらも、会おうとするつもりはなかった。再会は求めていたものにはならず、とても現実的だった。当たり前といえば当たり前。向こうは偶然居合わせた人間を助けただけであって、見返りを求めていたわけではない。

 代わりに、華子はサブカルチャーもの……、ライトノベルやアニメ、漫画にハマった。特に好きなのは男性アイドルもののアニメである。その一人のユウヤ君が、館崎亮介にそっくりなのだ。華子はユウヤ・ファンとして、密かにグッズやライブを楽しみにするようになった。

 中学校生活は並々――。話すことが苦手な華子は人と話すことが突然上手くなるようなことはなく、いつも一人で過ごしていた。ユウヤが出てくるライトノベルを読みながら、時間を過ごす。

 小学校のときから、雰囲気もがらりと変わったように思える。特に、男子は頭の中身は子供のくせに、身体だけは大きくなっていく。女子に対しては、誰々が好きだの、この化粧がいいだの、会話が未知の領域に達しようとしている。華子が入り込む隙間はなかった。

 そんな中学校生活の中で、華子は人間観察をするようになった。時折、教室の空気を読んで、人の振る舞いを観察することがある。

 このクラスには、高嶺の花と呼ばれる女子が存在する。――古崎美恵。中学生であるにも関わらず、大人らしい身体つきと、整った顔立ちをした、美少女だ。彼女を中心にクラスは回っている。男子の大半は古崎美恵のことが好きだろう。

 結局、外面が全てなのだろう。華子は古崎美恵のような存在を見るたびに実感してしまう。綺麗なものに目を惹かれてしまう。意識を奪われてしまう。華子のような、醜い、パットしない容姿では、世界はとても生きにくくなる。

 館崎亮介もまた、古崎美恵のような存在が好きなのだろうか――……。不意に、そんなことを思う。中学生の男子は、良い意味でも悪い意味でも成長している。館崎亮介は格好よくなっているだろう。今の彼が、自分に振り向くことなんてあり得ない。

 ――草鹿って、ブスくね?

 ――あー、言うなって。

 ――めっちゃブスやん。せめて身体がいいとかあるけどよぉ。ぺったんだし。ほら

 ――わ、笑わせ……、ぶはっ

 華子のクラスへの評価はマチマチだ。良くはない。が、悪く思われるほど目立ってもいない。時折、自分の容姿がからかわれる話を耳にするだけ。

 馬鹿みたいだ。華子は思う。いくら男子に揶揄されようとも、何も思わない。館崎亮介以外の男子なんて、皆下卑た考えを持っているだけだ。――ユウヤや館崎亮介のような、そんな者たちに及ばない。

「――あ、あの。草鹿さん。し、仕事」

 声をかけられる。人間観察から意識をずらし、華子は顔を上げた。ぼさっとした、男子の中でも比較的ダサい風貌をしている。

 伊坂優太の言葉に華子は頷く。このみすぼらしい容姿の彼と華子は、同じ図書委員会に所属する、似た者同士だった。そして、華子が一番関心を寄せている人物でもあった。


  *


「ねえ、華子。中学は、その、どう?」

 母は話のきっかけを掴みたいのか、漠然とした話題を投げかけてきた。華子は首を振るう。

「……別に」

「そう、なんだぁ……」

 母は安堵しているのか、不安に思っているのか、よくわからない表情を浮かべていた。

「その、あれは? 好きな人とかは?」

「いないよ、そんな人」

「そう、なの? ほら、クラスに格好良い人とかいないの?」

 懲りずに恋愛モードに入っているのか。華子は母を訝しんだ。新しい職場に気になる男でもできたのか。華子は母から視線を逸らした。会話する気力も起きない。母は何か納得したように微笑んだ。

「……そっか。ハナは理想が高いもんね。あの部屋にある、マンガ? のポスターみたいな、カッコいい人が――」

 反射的に華子は立ち上がっていた。母を睨みつけている。母は華子が何に怒っているのか理解できず呆然としていた。華子は母の視線を振り抜いて、部屋に閉じこもった。部屋の壁にあったユウヤのポスター。母はこのポスターを見て、確かに嗤っていた。何が面白い。何が面白いんだ。

 自分の奥底を見透かされたような気がして、不快感が募った。


  *


 お気に入りのライトノベルを教室に置き忘れたことに気づいたのは校門をくぐった直後だった。華子は小さく息を吐くと、教室に戻った。足が重い。ここ数日、なんとなく憂鬱な気分だった。

 教室に踏みこむ寸前、誰かが自分の机の前にいるのに気づいた。ハッとして思わず隠れる。そこにいたのは華子の嫌いな、女子グループだ。声が大きくて、華子を内心で嗤うような、性格の悪い人たち。

 そっと教室の中を窺う。まさか、自分の机に悪戯でもしようとしているのか――。

 が、目の前に広がる光景に心臓が凍る思いがした。彼女らはライトノベルを見ていた。それを見て、笑っていた。

 ――目ぇ、でかっ。きっもっ。

 ――へぇ、こういうの読んでるんだ。草鹿さんって、理想高めなんだー(笑)

 ――『きみのことを奪ってやりたい』。きもっ。むりむりむりっ。きもいっ!

 ――あはははははっ

 身体の芯から冷えていく。自分の身体が震えていた。奥底が見られた。見られてしまった。それはきっと、誰よりも触れられたくないコンプレックスだった。彼女らが教室から立ち去るまで、華子は隠れていることしかできなかった。

 机にぽつんと置かれたライトノベルはページの角が折れていた。表紙にはユウヤが笑いかけている。

 ――……いや。あんた、だれ?

 ふっと沸いた怒り。華子はライトノベルを引き裂いていた。ページを破き破き破き。ひたすら、破って。

「……笑うな。……わたしを、笑うな」

 帰宅後、華子は自身の持っていたグッズ類を跡形もなく捨てた。

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