贖罪
若井チサが、なぜ
……死人に口無し。そうであれば、いくらでも取り繕える。だが、相手は
今、本当の意味で若井チサの件を知っているのは華子しかいない。同時に、亮介もまた、知ろうとしている。
初めて、若井チサと向き合おうとしていた。
若井チサが入院している病院は知っていた。亮介と華子は沈黙のまま、病院へ向かっていた。
病院は白く、どこまでも静寂に満ちていた。足を踏み入れた瞬間、自分は拒絶されたいるのだと、亮介は思った。受付に行き、手続きを取る。話によると、若井チサの両親が病院に来たのはほんの数回らしい。その内容もすべて事務的なものだった。――家庭内事情を聞いて、辟易とする。
その部屋まで亮介たちは歩いていた。職員は亮介たちと若井チサの関係性を疑っているようだったが、クラスメイトで押し切った。
部屋の前に立つ。そこに、若井チサという名前のプレートが貼られていた。亮介は小さく息を吐く。やがて、扉を開けた。
その先に、若井チサは
いわゆる、植物状態だった。屋上から飛び降りた若井チサは、ギリギリの中、一命を取り戻した。……ただし、目を覚ます保証はついていない。これを、生きていると判定するのが不思議に思えた。
話すことも、動くともない。ただ、そこにいるだけ。華子は若井チサを見下ろしていた。横目で彼女の顔を見る。窶れたような、どこか青ざめている表情だ。
視線を逸らし、若井チサの顔を見た。
「本当に、眠ってるみたいだな……」
華子の反応は見なかった。
若井チサは、いまだ眠るように、穏やかな表情だった。これで、目を覚まさないと。信じられない思いだ。若井チサとの思い出は湧くことはなかった。感情は揺れない。
――自分は、どれぐらい若井チサのことを知っていただろうか。両親との不和。実は、寂しがり屋。破天荒。不良娘。自己主張ができない輩が大嫌い……。
――罰ゲームで成り立っていた恋人関係なのに、りょうくんは、若井さんをちゃんと見ていたの?
見ていたさ。
今なら、言える。罰ゲームなんて関係なかった。亮介は若井チサに惹かれていた。間違いなく、認められる。
若井チサの飛び降りを駆り立てたのは、おそらく、自分なのだろう。直接的にせよ、間接的にせよ。この罪は、自分自身が背負わなければならない。ひっかりと、理解している。
「……華子。聞かせてくれよ。あの日、何があったのかを。お前の口から。はっきりと」
*
口の中に胃液が生まれた。ただ、吐き気がした。華子はそれを飲み込む。若井チサの顔を見下ろしていた。
彼女は、綺麗だった。とても、綺麗に見えた。自分はどう見えているだろうか。容姿を磨いた。この容姿はある意味、華子にとってのコンプレックスだった。美しくなった。誰よりも可愛らしい身の振る舞いを学んだ。……それでも、何かが違う。今の自分は眠る若井チサには到底及ばない。自分はひたすら、醜かった。
……駄目だ。吐き気が止まらない。気持ち悪くて仕方がない。この気持ち悪さの原因はなんだろうか。自分の醜悪さに、耐えきれないのだろうか。
「……わたしは、嫌いだよ。若井さんが」
亮介の言葉に正対した答えを返していたわけではなかった。亮介は目を細める。一度言葉にしてしまうと、止まらなかった。
「この女は……、あなたの彼女だった。この女がだよ? こんな、不良で、虐げて、何もかもが許されているって顔で歩いている女が、どうして、あなたと付き合えるの? どうして、わたしが付き合えないの。おかしいでしょう?」
「……」
「だから、壊してやったの。全部、ぜんぶ」
黙り込んでいた亮介は口を開いた。
「チサは……」
その呼び名で続けていいのか、逡巡する合間があった。しかし、首を振ると続けた。
「親がとんでもねえやつらしくてな。まあ、俺もろくでもねえし。……華子も、ひどいもんだけど」
母親の顔が浮かんだ。自分こそが真の被害者であると疑わない。あの、振る舞いを思い出した。
「俺たち、なんだかんだ、似た者同士なんだろうな」
亮介は苦笑する。
「親はひでえし。ひでえから、俺は誰かを信用しないと決めた。チサは、振る舞い方がわからなくなった。華子は――?」
「……わたし、は」
自信というものを、自分というものを、出せなかった。そう口にすると、亮介が頷く。
「俺たちは、親のせいにしている。親も悪いんだけどさ、結局のところ、その道に進んだのは、選んでしまったのは俺たちだろ? ……ああ、あいつが言ってたのって、そういうことか」
亮介は納得したように頷いていた。
この道を選んだ。……選んでしまった。華子は、華子たちは、ここにいる。選び抜いた場所が、ここだった。
本当は知っていた。自分も、若井チサも変わらないことを。本質的な意味では、大差ない。同じ罪と罰を共有している。ただ、振る舞い方の問題だった。
華子は小さく息を吐いた。ようやく、すっと気持ち悪さが解かれていく。未だに嘔吐感はある。しかし、薄らいでいた。そっと囁くように、彼女は告白した。自らの罪を。
亮介は最後まで聞いていた。語り合えると、何かが一つ、物語が終わった気がした。華子は若井チサに向けて、呟いていた。
「……ごめんね、若井さん」
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