失われた恋

 華子の顔から感情というものが失われていた。亮介はその様子を最初から最後まで見ていた。その反応を見て、納得してしまった。華子が、をしたのだ、と。

 亮介は一歩踏み込んだ。

「華子……、お前、何を知ってるんだ?」

「……」

 華子は答えない。ただ、亮介に視線を向けていた。その瞳を、不揃いの瞳に映る自分の顔はひどく歪んでいた。自分でも気づかないほどに、泣きそうになっていた。

「頼むから、教えろよ」

「……」

「答えろよッ!」

「……」

 華子は口を閉ざす。

 なあ、教えろよ。教えろよ。どうして、何かを言ってくれない。のだ。

 その思いに至り、亮介は愕然とした。

 ……ああ、自分は。自分はもう。


 ――草鹿華子を好いているのか。


 信じられなかった。

 亮介は噛み締めた。自分の想いにひれ伏したかった。亮介は華子を信頼したいのだ。その事実を認めたくないのだ。二つの相反する感情が衝突している。葛藤に苦しんでいる。

 華子の口から、ただ聞きたいのだ。否定の言葉を。真実ではなく、彼女の声を。

「――答えろよッッ!」


  *


 瓦解は一瞬だった。

 亮介の募る言葉に華子は口を開くことができなかった。何かを口にしなければならない。弁明だ。言い訳だ。亮介が納得できるような理由を、考えなければならない。

 ――思いつかない。華子は唇を噛みしめる。血の味がした。どれだけ言葉を募らせようとも、亮介には届かない。


 ――あなたをゆるさない


 その言葉が、華子の頭の中に浮かんだ。

 三ヶ月も経っているのに、まだ自分の中で蝕み続けるというのか。表情が引き攣る。自分はこの結末を望んでいない。こんな終わり方を求めていない。

 言っても無駄だ。華子の中にいるもう一人の自分が、そう達観している。今さら何かを言ったところで、亮介が納得できるはずがないだろう。もう看破されているのだ。

「答えろよッッ!」

 張り詰めるような声に華子は息を吐いた。

 答えろ、か。どう答えればいいのだろうか。どう答えるのが正解なのだろうか。本音を口にする? それが本当に正解? そんなはずがない。

 これが罪か。これが罰か。

「そうだよ、わたし、知ってたよ」


 もう、なんか、どうでもいいや。


  *


 言われた台詞に亮介は目を見開いた。

 今、彼女ははっきりと口にしてしまった。自分は知っていたと。――では、何故知っているのか。その問題が発生する。疑問は次々と湧き上がる。しかし、そのどれもから目を逸らしてしまいたくなる。

「だってもともと、あの遺書はわたしに書かれたものだから」

 華子は微笑すら浮かべていた。

 嘘だ。口元は動いていた。ただ、音にならなかった。それ以上の事実が、亮介を混乱させた。

 ――あなたをゆるさない。

 その『あなた』が、華子である?

 何か、致命的なミスをしている。これまでの価値観が崩れていく。では、なぜ、若井チサはあのような行為をしたのか。罰ゲームでなかったとしたら。自分ではないのだとしたら。

 考えるよりも早く、言葉は出ていた。

「――お前が、チサの飛び降りに、関係していたのか? ……お前が?」

「だから、そうだって言ってるじゃない」

 華子は笑う。

 その瞬間。その笑みを見た瞬間。亮介の感情は爆発していた。


「――ッ!」


 華子の表情に初めて感情らしいものが宿った。瞳は強く震わせた。しかし、それは直後に消え去る。変わらぬ嗤いを浮かべながら、言った。

「わたしが、若井チサを殺したんだよ」


  *


 なんで、怒ってるんだろう。

 嫌いなんだから、いいじゃない。

 別れられるんだから、それでいい。

 ずっと、それを望んでいたんでしょう?

 もう、いいじゃん。

 どうでもいい。

 もう、いい。

 わたしは、もう、どうなってもいい。

 りょうくんのことなんて。

 もう……

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