そのとき、彼女は

 罰ゲームの時がいつなのか、華子は判断しかねていた。ただ、自分が一人になる瞬間であることはわかった。そのため、告白の瞬間が訪れるまで、華子はソワソワした時間を過ごした。

 とても、気持ちの良い時間だった。

 自分にとって、その瞬間が訪れることを妄想していた。その妄想が現実になろうとしている。館崎亮介と、自分が恋人になる光景を思い浮かべる。華子の頬は緩んでいた。――ああ、早く告白してきてほしい。その瞬間よ、来い。

「――自分から恋愛はする派? しない派?」

 昼休みの時間帯、華子の耳にそんな話題が耳に入ってきた。石野奈緒と、その周りにいる女子数人が会話をしていた。

「わたしは断然する派」

「うわぁ、奈緒はそうでしょ?」

「というか、そうじゃない?」

 ――しない派。わたしの心はそう訴えていた。思考は慌てて石野奈緒たちの会話から切り離そうとする。しかし、心のどこかで、石野奈緒の言葉に引っかかりを覚えてしまう。

 石野奈緒は続ける。

「なんていうかさ、しない派ってぶっちゃけ怠慢じゃない?」

 ガツンとした衝撃を食らった気分を味わった。

「そりゃあ、告白されたことで恋愛が発生するのはともかくとしてさ。なにも自分で努力してないのに、告白できないとか、出会いがないとか、愚痴をこぼす奴見てるとイライラしてくるんだよねぇ」

 これさ、つまるところ、二種類に分かれてない? ……と、石野奈緒は続ける。

「一つは、努力してない怠慢。うーん、口だけだし、まあ、イラつくけど、まだマシって感じ」

「奈緒辛辣ぅ……」

「でも、もう一つはちょっと許しがたいっていうか。……ほら、自分に絶対的な自信を持っている、ロマンチスト(笑)」

 自分で動きもしないで、まるで自分は周りとは違うのだと一線を引いて。そんな、身の程を知らないような人間。そういう人間に限って、少女漫画も顔負けなロマンチックな妄想を抱えているのだ。――そう、石野奈緒は言い切った。実際、彼女の台詞はやや極端さが滲み出ていただろう。本人の嫌悪が全面に出された結果の言葉だ。

 しかし、偶然耳にしていた華子には、揺さぶられた。表情が引き攣っていた。席を立ち、石野奈緒たちから離れる。外から、笑い声が聞こえる。華子には、それが自分を笑っているような声に聞こえた。


  *


 放課後、華子は石野奈緒に掃除を押し付けられていた。だが、それでいい。できる限り、一人の時間を作ったほうがいい。石野奈緒に言い返せないわけではない。自分には正当な理由がある。――そう、自分に言い聞かせる。

 それにしても。館崎亮介はいつになったら告白をしてくるのだろうか。罰ゲームはそろそろ執行されてもおかしくないはずなのに。華子は首をひねる。まさか、躊躇っているのか。自分に告白したくないほどに、その罰ゲームは苦痛なのか。

 否、館崎亮介が罰ゲームを今さら変更することはないだろう。それはある種の男のルールに反する。華子のような女性とは異なる価値観、……男のプライドが許さないはずだ。華子の知る限り、館崎亮介にもそういったプライドは垣間見える。伊坂優太のような人間のほうが少人数なのだ。

 そう考えていたため、華子は館崎亮介が近づいていることに気づいていなかった。

「――草鹿、少しいいか?」

 あの、声。

「――ふぇっ?」

 華子は館崎亮介ほ声を聞いて、思わず箒を落とした。それほどまでに、華子は驚いた。これから始まることよりも、自分が声をかけられたことに思考が真っ白になる。

「館崎君、な、な、にかな?」

 身体が震えた。……ああ、始まるのだ。

 これから、自分は告白されるのだ。館崎亮介が華子を見ている。見てくれている。身体の芯から熱がこもっていく。

「お前、一人で掃除してるわけ?」

「う、……うん」

「他の奴らは?」

「用事があるからって。わたしは、暇だから……」

 そんなことはいいから。

 早く言って。それを口にして。

「用事って。嘘に決まってんだろ」

「で、でも。お祖母ちゃんが入院したって」

「そいつ、誰?」

 ……どうして、すぐに告白をしてくれないのだろうか。

 どうして、わたしがいるのに、他の女の名前を、口にしないといけないのだろうか。

 華子は内心、苛立った。しかし、館崎亮介の言葉に答えないわけにもいかない。わずかな逡巡の後、華子は答える。

「……石野さん」

「石野って」

 館崎亮介は華子の答えに、どこか呆れたような表情を見せた。

「たまには言い返せよ、普通さ」


 ――おまえもさぁ。ちゃんと言い返せよ


 いつか、言われた言葉。

 華子の瞳が揺れた。

 違う。違うのだ。言い返さないのではない。言い返せないのだ。館崎亮介や石野奈緒のように、あっけなく超えてしまうハードルを、華子は超えることができない。その苦痛を、彼らは知らない。

「で、でも……」

 言葉にできないもどかしさ。きっと、館崎亮介には伝わない。

 館崎亮介は首を振った。まるで、華子の想いを拒絶するように見えた。身体の芯から凍っていく。火照る熱は奪われていく。

「――草鹿」

 華子の名を、呼ぶ。

「はい?」

「――実は、お前のことが好きだったんだ。付き合ってくれ」


 ――……いや。あんた、だれ?


 どうしてだろうか。

 これは求めていたものだ。それなのに、華子の中に充足感も、満足感もない。尽きない嫌な感情。吐き気を催したくなるような、気持ち悪さ。こんなものを求めているわけではなかった。これはいったい、何なのだろうか。苦痛だ。激しく、苛立つ。


 ――なにも自分で努力してないのに、告白できないとか、出会いがないとか、愚痴をこぼす奴見てるとイライラしてくるんだよねぇ


「わ、わたしで、よければ……」

 そのとき、彼女は思う。

 これは、わたしにとっての罰ゲームだ。

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