昏惑の底
草鹿華子は変わった。
悪く言えば、たった一週間にて、クラスを掌握させた。それほど、草鹿華子の印象はガラリと変わってみせた。
「奈緒ちゃん、髪切った? すっごいかわいい」
「うわっ、ハナちゃん、よくわかったね〜! そうそう! 前髪切ったのー!」
あの石野奈緒でさえ、籠絡された。しかし、それも仕方ない。おどおどしていた草鹿華子はそこにはいない。堂々と、言いたいことを言えて、言いたくないことは言い換えることができる。立ち振る舞いが変わったことで、外面と内面が一致を始める。今や、草鹿華子=イモ女と呼ぶ者はいない。
「眼福もんじゃねえか……」
西尾が草鹿華子を眺めながら、ふと呟く。亮介に対して、じろりと睨みつけてきた。
「いいよなぁ、亮介はよぉ」
「お前、マジで言ってんのか?」
「もちのろんだろ。お前の方こそ、なんつうラッキーボーイなんだ……」
本気で悔しそうな顔を浮かべる西尾に亮介は困惑していた。この空気にも、西尾の態度にも、何より草鹿華子の変貌にも。まるで最初から草鹿華子は高嶺の花のごとく美少女であったかのように扱われている。亮介と草鹿華子を結んだはずの罰ゲームの存在が消えようとしている。
「お前は、変に思わないわけ?」
「なにが?」
西尾の答えが物語っている。
今、異常を感じているのは亮介だけなのかもしれない。そう思うと、困惑はより一層膨らむ。自分自身が間違えているのではないか、と思ってしまうほどに。
昼休みになると、草鹿華子は席を立ち、亮介の方に近寄ってきた。亮介と西尾はいつも通り、屋上で昼食を食べようとしていたため、思わず足を止めてしまう。
「りょうくん。お昼ご飯、一緒に食べよ」
言葉のニュアンスは提案ではなく、実行の意味が多く含まれていた。含有率高めの言葉に亮介ではなく、西尾が反応した。
「おっと、オレはお邪魔だな」
「おい、西尾――」
「楽しめよ、相棒」
西尾は要らない配慮を見せつけると、別の友人たちと混じって教室を出てしまう。亮介と草鹿華子の間に視線が集まるのを自覚した。男子からは微かな期待と嫉妬すら込められていた。――お前たちは、一週間までそんなことではなかっただろ。そう訴えたくなる。
「わかったよ」
亮介は敗北者のように頷いた。
*
「屋上、初めて来たよ。ここ普段から歩いてるの?」
「校則では禁止。セキュリティがガバガバだから、入ってるだけ。バレたらマズいかもな」
言外に、屋上に上がらなくてもいいんじゃないか、と伝えたかったが、草鹿華子の神経は図太かった。
「――りょうくん。ルールは破るためにあるんだよ?」
――リョウ。ルールなんてクソ喰らえ、だろ。破るためにあるようなもん。
重なる姿。亮介は微かに表情を歪ませた。
昼食の場所を屋上がいい、と口にしたのは草鹿華子だった。いつも亮介が食べている場所を自分も体験したいというのが草鹿華子の理由だ。亮介はそれを話半分で受け取った。今の状況に亮介は完全に受け入れられていないからだ。
屋上は亮介にとって憩いの場でもあった。本来は立入禁止の場所でもあるため、人の姿もない。だからこそ、ゆったりとした時間を過ごすことができる。が、今は隣に草鹿華子がいる。
草鹿華子は弁当を出した。亮介は草鹿華子から視線を外し、パンを口にする。
「りょうくん、いつもパンだよね? 栄養が偏るんじゃない?」
「気にならねえよ」
「だめだよ、しっかりつけないと」
草鹿華子はそう言うと、自分の弁当からプチトマトを差し出した。亮介は否定しようとする。しかし、草鹿華子の瞳が亮介の言葉を詰まらせた。蠱惑的な、視線。亮介が苦手と感じてしまう
渋々といった様子でプチトマトを受け取ろうとする。――のだが。
「――あーん」
亮介はプチトマトを前に固まった。非難の視線を草鹿華子に向けるが、彼女は物ともしない。亮介は諦観の息を吐くと、プチトマトを口に
草鹿華子は甲斐甲斐しく、弁当箱の蓋にハンバーグと野菜を乗せていく。それを亮介に渡した。
ハンバーグは悔しくも美味しかった。なぜ、自分が悔しいと思ったのかはわからない。それが、当然の反応ではなく、抵抗感から生まれているような気がした。
「……美味いな」
「ありがとう」
どうやら弁当の中身は草鹿華子自身が作ったらしい。嬉しそうに笑っている。それが亮介の中にある何かを増長させた。
しばらく昼食をともにする。ふと、草鹿華子が亮介に言った。
「あ、口元にソース、ついてるよ」
「え?」
亮介は自分の口元に触れた。
「違う違う、逆だよ」
草鹿華子はそう言いながら、指を近づけた。亮介が何かを思う暇もなかった。口元に草鹿華子の指がついた。拭う感覚。唇にわずかについた指先の跡。草鹿華子の指に絡みついたソースを、彼女は口に含めた。
魅力的な、淫美な様子に見えた。亮介は息を呑む。頰がやけに熱くなった。それを見た草鹿華子は言う。
「恥ずかしいの? りょうくん」
――意外とウブなんだなぁ、リョウは
ふふ、と笑う彼女に対して、亮介は上手く言葉を返すことができなかった。
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