羽化の刻

 亮介と草鹿華子はともに帰路を歩いていた。亮介の歩みは普段より早い。それを草鹿華子が速歩きでついてきている。

 登下校の様子を見せるのは、よろしくはない。が、既に情報が流布された状態とあっては、亮介も隠すのが馬鹿馬鹿しくなっていく。

 冷やかしの声は多かった。亮介はそのすべてを振り切った。唯一、同情らしい声掛けをしてくれたのは西尾だけだ。もとの始まりが罰ゲームであると考えると、正直、複雑な感情を抱いてしまう。

 亮介は横目で草鹿華子を窺った。

 改めて見ると、確かな変貌だ。化粧は一日で学んだのか。丁寧に薄くしている。髪型もまた、美少女然としたものを作り出していた。――厚い眼鏡が、その様相を壊す。

 草鹿華子は一日中、眼鏡について指摘されていた。外せばいいのに。コンタクトの方がいいって。草鹿華子はその言葉を笑って誤魔化していた。亮介には頑なに外したくない理由があるのではないか、と疑ってしまった。

 草鹿華子の亮介に視線を向けた。視線が交錯する。刹那の見つめ合う時間。亮介はドキリとする。恋愛的な意味合いでの鼓動ではない。見透かされたかのような、本能的な恐怖からだ。

 なぜ、自分は草鹿華子に対して、このような感情を持つのか。その理由が上手く説明できない。正体不明な何かを感じてしまう。

 草鹿華子は頬を赤くして目を逸らした。生じた恐怖心が嘘のように消えている。

「……なあ、草鹿は」

「……ん?」

「眼鏡、外さないのか?」

 亮介の言葉に草鹿華子は目を見開いた。それから、すっと顔を俯かせる。……ああ、これだ。思わせぶりのような、小さな身体に言いたいことを隠しこむような。この態度が亮介を苛立たせる。言いたいことは言えばいい。言えないのなら、言い換えて察しさせればいい。

 ――

「眼鏡は……、お守り、なの」

「お守り……?」

 草鹿華子は眼鏡を外す。一瞬にして生まれた美少女の姿に亮介はハッとする。しかし、草鹿華子はその様子に気づくことなく、亮介に眼鏡を渡した。亮介は困惑した表情で受け取る。――そこで、眼鏡に対する違和感に気づいた。

「……度が、入っていない?」

「実は、伊達メガネ」

 草鹿華子は自分の眼を指さした。

「館崎君は、この目、気づいてる?」

「……まあ」

 オッドアイだ。それぞれが違う目の色をしている。

「昔から気味悪がられてたから。人に見せるのが、嫌で。オッドの意味って、不揃いという意味があるの。不完全な感じがして、時折、わたし自身が欠けているんじゃないかって思って……」

 ぐるぐる考えていたら、誰にも見せられなくなっちゃった。そう草鹿華子は言い、にへらと笑った。その笑みを見た瞬間、亮介は衝動的に口にしていた。

「目じゃねえよ、きっと」

「えっ?」

「そういう、振る舞いに問題があったんじゃねえの?」

「えっ……、と」

 亮介は言った後に、口を噤んだ。衝動的にせよ、言うべきではなかった。草鹿華子は固まっていた。よほどショックを受けているのか。彼女自身が何を考えているのか、亮介にはわからなかった。

「……俺は、思うんだけど」

 奇妙な予防線の張り方だった。

「お前をどうこう言ってた奴は、お前が弱みを見せたからだよ。おどおどしてるから、ああ、こいつは虐めていいと思われる。目のことが直接的な原因じゃない。その目を、お前が弱点にしたんだ」

 そういう経験が亮介にもあった。

 というより、日常茶飯事ではないか。人の弱い部分をネタにして、笑いに変える。よりよき青春を送るために、亮介たちが学んだ処世術。

 草鹿華子は瞳を揺らせていた。恐ろしいほど、動揺していた。亮介は草鹿華子から目を逸らしそうになった。――それにな、と。亮介の口は動いていた。

「……その目は、不揃いでもねえよ。綺麗だ」

 息を呑む音がした。不意に訪れる沈黙。

 亮介は目を見開いていた。草鹿華子の目から涙が零れていたからだ。自分でも驚くほどに、亮介は狼狽えた。草鹿華子はハッとした様子で涙を拭う。が、次から次へと涙を零している。

 亮介は言葉を失い、ただ茫然としていた。


  *


 ――のが、昨日の出来事だ。

 亮介は涙を流していた草鹿華子を思い出していた。あのときだけ、亮介は自分でも素で困惑した。してしまった。自分の言動のどの部分が、草鹿華子を刺激させたのか。考えれば考えるほど、わからなくなる。

 そして、自分がここ数日、ひたすら草鹿華子について考えている事実を理解し、顔をしかめた。いつの間にか、自分は片足を沼に突っ込んでいる。

 亮介はその日、寝坊した。わざわざ慌てて学校に行くタイプの人間ではない。遅れるなら堂々と遅れてみせる。亮介は昨日の教室の様子に辟易しながらも、先を進む。

 教室に到着したとき、どこかどよめきの空気が流れているのを察した。足を踏み入れた瞬間、亮介に視線が注いだ。内心、動揺する。いったい、何が。

 教室の中心。そこが全ての元凶だった。の周りに人が集まる。しかし、その光景はいびつに見えた。なぜなら、彼女は人望のあるような存在ではなかったから。それがたった一日で一転する。

 彼女は立ち、亮介に近づく。

「――

 亮介がそのとき思い出した顔は、若井チサだった。幻想はかき消える。目の前にいたのは草鹿華子だった。眼鏡を外した、完璧に変貌を終えた彼女だった。

 不揃いな、綺麗な瞳が亮介を映していた。

 ――すげぇー綺麗じゃん。その目。

 いつだったのか。どこでだったのか。甦る記憶の欠片が垣間見え、数秒後に忘れた。

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