不意打ち

 若井わかいチサに対して告白をしたのは、一年ほど前の話だった。当時、若井チサは別の意味でのがあった。不良の中の不良とも言うべき、烙印を押された少女。亮介たちは彼女を目当てに罰ゲームを実行したことがあった。その相手が、亮介自身になるとは知らずに。

 意外にも、若井チサと亮介は気が合った。それは罰ゲームの執行期間、一ヶ月を超えた後でも、付き合うが続くような、どこか本気さが現れていた。

 亮介自身も、悪くないと思い始めていた。流石に罰ゲームから始まった恋人関係とは死んでも口にはできなかったが、このまま続けていいのではないか、と思ってもいた。

 ――若井チサが、中年の男と腕を組んだ写真が出回り始めたのは、まさにこの頃。

 亮介は首を傾げた。まさか、と一蹴したくなった。確かに、若井チサは不良だ。万引きや親の金を盗む、無断欠席、何でもありに見えた。しかし、一線は超えないと思っていた。それがたった一枚の写真だけで、崩れ去ろうとしていた。

 事の次第を尋ねた。若井チサはきっと笑って跳ね返すに違いない。これはコラ画像の一種だ、と。だからこそ、これは――

「――……ち、違うの」

 黒だ。真っ黒だ。動揺する若井チサに亮介は身体の芯が凍っていくのを自覚した。若井チサを首を振っている。

「ご、誤解なのっ! ワケがあって――」

「ワケがあったら、いいもんなのか、これって?」

 純粋な疑問として吐き出されていた。だが、若井チサは怒りとして受け取ったらしい。慌てた様子で口を回す。その様子を見て、亮介はどこか醒めていくのを実感した。

 その翌日、亮介は若井チサと別れた。深すぎる禍根を残して。

 以来、亮介は一線を守るようになった。その一線が何を示すのか、亮介自身にも判断がつかない。ただ見えない境界線があって、進むべきではないと思うと、進めなくなる。その先を見たくなくなる。そんな潜在的な恐怖心に襲われるようになった。

 

  *


 昼食を食べ終える。

 亮介はぼんやりと別方向に視線を向けていた草鹿華子に声をかけた。

「何見てるんだ?」

 草鹿華子はびくりと肩を揺らし、いえ、と視線をもとに戻した。亮介は訝しげな表情を浮かべつつも、こいつはこういうやつだった、と思いたくもなる。

 亮介と草鹿華子は移動を始めた。午後は何をするのか決めていなかった。が、もう帰ってもよいのではないか、とも考えていた。最初のデートにしては十分だろう、と。

 草鹿華子は口を開く。

「……これから、どうしま……どうする?」

「そうだな……」

 思った以上に目的を達成するのが早かった。……というより、草鹿華子について知るためのデートのはずが、亮介のみのエスコートに徹してしまっている。ご破算である。

「この時間だと……、映画でも見るか?」

「映画……」

「ぐるっと店を見るのもいいし」

「ぐるっと……」

「買い食いでもするもよし」

「買い、食い……」

 ――駄目だな、こいつ。亮介はため息を付いた。堪えきれない息だった。苦笑を作り、自然な流れで口にする。

「まあ、最初だから疲れたろ? 今日は帰るか」

「……はい」

 申し訳なさそうな草鹿華子から視線を外した。纏う居たたまれなさ。おどおどする様子はどこまでも痛々しく見えた。――西尾よ、俺は罰ゲームを守り切ることができるのか? ここにはいない悪友の助けが欲しくなった。


  *


 長い帰り道、不意を突くように、草鹿華子は尋ねていた。

「――館崎君は、どうしてわたしに告白してくれた……の?」

 うっ、と亮介は言葉に詰まった。思考は無意識に言うべき言葉を探し始めていた。いつか、言われるかもしれない。しかし、あえて考えないようにしていたこと。亮介は草鹿華子の顔を見た。どのような意図をもって、その質問したのか。

「……前から、気になってたんだよ」

「前って……、若井さんと付き合っていたときから?」

「……は?」

 亮介は一瞬、何を言われたのかわからなかった。草鹿華子は、いえ、と首を振っている。……そうか、草鹿華子は知っているのか。不思議な感覚だった。自分の作り上げる言い訳も、その瞬間だけ忘れた。

「前からだな」

「そう、なんだ……」

 微かな沈黙。亮介は沈黙を殺すために、口を動かしていた。

「草鹿は? 俺のこと、いつから?」

「えっ?」

「告白受けたってことは、そうなんだろ?」

 なんて野暮な質問だろう。自分で口にした質問の意味に辟易した。草鹿華子は顔を俯かせた。

「……前から、だよ」

「若井よりも?」

「ずっと、ずっと、前から」

 にへら、と草鹿華子は頬を歪ませた。その笑みから亮介は意識を逸らした。次こそ訪れる沈黙に亮介は身を委ねていた。

 駅が近づいてきた。亮介と草鹿華子は自然と足を止めていた。草鹿華子は言った。

「今日ので……デート、とても楽しかったです」

 ほんとうかよ、と声を洩らしたくなる。

「そりゃあ良かった」

 裏側にある感情を読み取るほど、草鹿華子は鋭くない。頬を染めながら頷く。

「わたし、これまで、誰かと遊んだことがなかったから、ほんとうに、楽しかった」

 ほんのわずかの間、草鹿華子は口を閉ざした。逡巡を振り切るように、声を出す。

「わたし……、恋人っぽかったですか?」

 ――正直に言えば、恋人と公言したくない。亮介は草鹿華子を見て、そう思った。周囲にとっても意外な組み合わせに見えているに違いない。外面よりも内面を重視しろ、と人は言う。しかし、その内面も結局のところ、外面を通して行われているものではないか。草鹿華子の外面と内面はだ。恋人っぽかったか問われれば、恋人らしく見えるはずがない。

「もちろん。多少硬かったけどな」

 草鹿華子は小さく微笑んだ。ここで一度別れる。草鹿華子は何度も頭を下げると、亮介から離れていく。

 と、次の瞬間。

 草鹿華子はくるりと立ち回り、亮介の方へ駆け寄ってきた。亮介は目を丸くする。まさに不意打ちだった。草鹿華子はそのまま亮介の顔に近寄ると――、唇を。

 顔が離れた後、草鹿華子は立ち去ってしまった。亮介は茫然と立ちつくしている。草鹿華子が完全にいなくなると、声を洩らした。

「……はぁっ!?」

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