無差別の怒り

 若井チサは珍しく外出していた。

 鬱蒼とした気分のもとやって来たのは五つも離れた場所にあるショッピングモールである。彼女は自分の姿が顔見知りに見られるのを嫌った。友人もいない若井チサにとって、誰もいないと思える場所だけが心安らぐ時間だった。

 両親の金をいくらかちょろまかし、若井チサは駅前で腰を下ろしていた。一度、何を勘違いしたのか、中年の男が若井チサに話しかけてくる。若井チサは無視して立ち上がると、中年の男を振り切った。――誰がお前みたいな汚いヤツに触るか。

 若井チサは以前まで、中年男から金を貰うことをしていた。しかし、それを辞めるきっかけもあった。それ以来、若井チサは誘われても相手にすることはなくなった。が、代わりに、激しい怒りを常に抱えるようになった。家に帰らない父親と、若井チサを怯える母親。あの家庭空間で若井チサの怒りは溜まりに溜まっていった。

 不意に、若井チサは足を止めた。見覚えのある顔。ありすぎる顔を、見てしまったからだ。

「……リョウ」

 館崎亮介。――元彼の姿に若井チサは身体が震えた。どうして彼がここにいるのだろうか。誰かと待ち合わせをしているのだろうか。わからない。わからないが、すぐに立ち去らないといけない。それなのに、足は動かなかった。

 やがて、待ち人は現れた。若井チサは目を見開いていた。

「……意味、わかんないんだけど」

 あのイモ女が、草鹿華子が亮介を見て、にへら、と微笑んだ。


  *

 

 亮介の方から告白をされたとき、内心、舞い上がっている自分がいた。

 自分は不良娘で、学校からはていて、誰とも向き合えない。淡い期待など、するだけで無駄だと。その衝動が代わりに、悪い方へ向いた。大人やおっさんと接するたびに、自分の中から何かを失っていく。バカらしくなっていく。誰かに誘われたらすぐについていった。それなりの痛い目も見た。しかし、どうでもよくなった。しょせん、自分なんて。そんな思いだけが募っていく。

 亮介は密かにモテていた。告白されたことで、自分の価値が上がったようにも思えた。良かったのは、実際に亮介とは相性が良かったことだ。精神的に救われていく。いつしか、若井チサは自分を肯定できるようになっていった。

 ――壊れたのは、ほんの一瞬。

 自分のかつての悪行が暴露されたことだ。

 今でも明確な理由はわからない。どうして、別れてしまったのかも。どうして、自分は手放さなければならなかったのかも。――唯一、若井チサにとっての救いは、亮介との時間が限りなく、自分にとっての輝かしい出来事だったことだけ。

 それなのに。

 亮介と手を繋ぐ、あの女は。

 ――を差し置いて。カッと燃え上がるような怒り。まさか、自分が別れたのは、あの女が原因なのではないか。あんなイモ女に自分は負けたのか。そう思うと、頭がおかしくなりそうだった。

 草鹿華子のことは知っている。別の意味で、知っていた。いつも挙動不審で、自信無さげで、愚図な女。むしろ、亮介が嫌いなタイプではないか。

 若井チサは彼らの跡をつけていた。良くないことだと頭では理解している。それ以上見るなと本能が叫んでいる。だが、止められない。

 微かに笑う亮介の姿を見ていると、涙が出そうになった。


  *


 自分は何をしているのだろうか。

 昼食をともにする彼らを、若井チサは監視している。あの様子は、やはり恋人なのだろうか。よく見ると、恋人らしく見えない。――。一度は着替えた草鹿華子はマシな服装になっているが、鼻で笑いたくなるほど滑稽な姿に見える。亮介に顔を向ける。懐かしさとかつての愛おしさがこみ上げそうになる。

 不意に。

 視線を感じた。

 ハッとしたように見る。草鹿華子が、若井チサを見ているように思えた。その方向へ視線を向けていた。ドキリとする。身体が動けなくなる。まさか。偶然だ。その思いに反して、顔を俯かせていた。草鹿華子に負けたような気分になり、苛立ちが増した。

 ――どうして、あたしがこんなことを。

 爆発しそうになる思いをよそに、亮介たちは立ち上がった。どうやら、このまま帰る流れらしい。若井チサも後ろからついて行く。この一日でどっと虚無感が襲う。自分のしていることの虚しさから目をそらしたかった。

 そして、決定的な場面を目撃してしまう。

 亮介と草鹿華子が別れる。その寸前、草鹿華子は亮介に駆け寄ってきた。なにを、と思う暇もなく、二人も顔が近づく。唇が重なる。それを映画のワンシーンのごとく、眺めていた。

 離れていく草鹿華子。茫然とする亮介。だからか、亮介は草鹿華子が振り向いていることに気づかなかった。その視線は本当に亮介に向いていたのか。ここにいる、若井チサに向いていたのではないか。

 彼女は、にへら、と嗤っていた。

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