第二部 罰
はじめまして
「――ねえ、ママ。わたしにはどうしてお父さんがいないの?」
華子の母は昔から、おどおどとした気質だった。幼い華子が尋ねた純粋な疑問。母はぎこちない笑みを浮かべながら答えた。
「一緒にいられなくてねえ……」
母はすべてを諦めたような、悲しい笑みを浮かべていた。華子は眉をひそめていた。一緒にいられない、とはどういうことなのだろう。必死に考えた結果、父は死んでしまったのだと思っていた。
もちろん、今はそのように考えない。華子はいつだったか、酔っ払っていた母の口から聞いてしまった。――妻子のある男と子供を作ってしまった挙げ句、捨てられたとのこと。泣き喚く母は次の日にはケロッとしていた。告白した内容なんて当然覚えていなかった。
とにかく、母は弱い人だった。流されやすい人だった。時にちょっとした悪口に精神を不安定にさせ、時に男に騙される。常に周りの視線を気にするような、そんな人間だった。
華子は、そんな人間に育てられた。
*
自分の目が嫌いだった。
不揃いな瞳の色。オッドアイという呼び方もある目をひたすら嫌悪していた。小学校に入学した当初、わたしは瞳の色をよくからかわれた。この瞳は華子にとっての傷口だった。
小学校中学年になると、その悪口はよりいっそう、ひどいものになった。華子に父がいないことがどこからか広まったのか、オッドアイに絡めた悪口が生まれた。
――知らん血を半分引き継いだ
――フケツだ
――キモチ悪い
華子はそれらの言葉を言い返すことができなかった。自分もおどおどとした性格になっていた。角が立つ。立ってしまう。そんなことできなかった。その思考が自己主張のできない自分を作り出した。
その日は悪いこと続きだった。きっと、その後に起きる良いことへの前置きだったのではないか、と今では考えることができる。それほど、華子にとって劇的な日だった。
財布に入っているお金が足りなかった。そのため、夕食を買うことができなかった。母は料理ができない。代わりに華子が担当していた。自分では何もすることができない母を、この時点で自分は養っていると思っていた。半額の惣菜を購入し、帳尻を合わせる。
その帰り道、クラスメイトに遭遇してしまった。――最悪だ。いつも華子を虐めるメンバーだった。引き攣る華子をよそに、男子はニヤニヤとした顔を浮かべる。
「うへ、クサコだ」
クサコとは、当時の華子のあだ名だった。草鹿華子を短くした。それ以外にも、『草』というのが人を笑らわれる意味を込めて、クサな子――……クサコができた。
華子は引き攣った笑みを浮かべた。こういうとき、華子は反射的に笑みを浮かべていた。母と同じように笑って誤魔化す、にへら、とした笑み。
男子はその笑みに不愉快そうに顔をしかめた。
「マジでキモい。キモチ悪いッ!」
「その笑みやめろよなぁ」
「つうか、なにしてるワケ?」
一人の男子が華子の持っている買い物袋を見た。その袋に手を伸ばす。華子は反応し、躱していた。反抗的な態度に見えたのか、男子は寄越せよ、と低い声をあげる。
「え、その、あ、っと……」
言葉が紡げない。嫌だ。嫌であるけれど、それをどうすれば向こうに通じるのか。クサコの言葉なんて誰も聞かない。自分の言葉なんて意味がない。ただ嫌だという言葉を伝えたいだけなのに、自分はそれすらできない。ずっと考え込んでしまう。
「――おい、なにしてんだよ」
そのとき、声が響いた。男子たちの後ろに、一人の少年がいた。見たところ、華子や男子たちと同年代にも見える。しかし、低い声に、纏う雰囲気が、上級生らしさを引き出していた。
「あッ? っ……あ?」
華子に囲っていた男子たちもその少年の威圧に怯んでいた。
「――寄って集って、なにしてんだ。ダッセェな」
ダッセェな、という言葉に一人の男子が苛立ちを顕にした。当時の男子にとって、ダサいという言葉はもっとも言われたくない言葉の一つだった。むっとした表情を浮かべた。が、まともに戦う相手ではないと打算的に判断した。男子たちは華子に強い視線をぶつけながら逃げていった。
少年は華子に視線を向けた。華子は少年の視線の強さにビクリと肩を揺らす。
「おまえもさぁ。ちゃんと言い返せよ」
少年は呆れた口調で言った。華子は言い返すことができず、顔を俯かせた。その様子に少年はさらに呆れる。
「なに、言いがかりをつけられていたわけ?」
「……目」
「……メ? メ……なんていった?」
「そ、その。目の、色」
「ああ、目ね……。ん? 色?」
少年は首を傾げて、華子の方に近寄ってきた。華子は顔を上げる。その瞬間、少年の顔がとても近い位置にあることに気づいた。華子は頬を赤くする。恥ずかしさに悶えそうになる。少年は、まさに華子の瞳を見ていた。
――気持ち悪く思われる。華子は恐怖心に駆けられた。
少年の口から一言。
「すげぇー綺麗じゃん。その目」
少年の言葉がすっと華子の心に響いた。目を見開き、少年の顔をよく見ようとした。しかし、少年は背中を向けると走り出してしまった。追いかけようとした。しかし、身体は動かなかった。
ただ、心臓の音だけが、うるさかった。
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