因果応報

 若井チサの一件は学校中で広まった。

 三日間、学校は急遽閉鎖した。その間、学校内では調査が行われたらしい。――わんさか湧いてくる噂の数々。そのすべての真偽があやふやで、正確とは言い難い。亮介は話半分にそれらを聞いていた。

 意外にもニュースになるほどの反響にはならなかった。その理由は、学校や世間が、いじめによるもの、と判断しなかったからだ。

 若井チサは夜遊びが頻繁にしており、家庭内での関係が冷めきっていたらしい。学校にもあまり来ることもない。徐々に孤立していった。それこそが、若井チサを借り出してしまったのではないか。学校や警察、専門家はそう考えた。遺書が無いのだ。いくらでも弁は立つ。

 その遺書を、若井チサが残した言葉を、亮介だけが持っている。亮介は自分の部屋で、その紙を広げていた。

 ――あなたをゆるさない

 亮介は小さく息を吐く。これは、自分に向けたメッセージだと。若井チサは、亮介を恨んでいた。なぜ、恨んでいたのだろうか。あの恋人であった時期が関わっているのか。わからない。わからないが、恐ろしい感覚だけが自分にこびりついていた。

 

 直接的ではないにせよ、間接的には関わっている。関わりすぎている。亮介は首を振った。それを受け入れることはできなかった。まともに一蹴できるほど、亮介の心は強くなかった。言い訳が欲しい。自分ではない理由がほしい。

 なぜ、若井チサは、あのような行為をしたのか。彼女と過ごした記憶を思い出し、その痛みに悶えた。


  *


 登校が再開して一週間。

 学校は不自然なまでに口を閉ざしていた。もともと、若井チサという存在が学校では受け入れづらいものとしてあった。誰もが、それを口にすべきではない。空気を読み、無かったこととして振る舞っている。亮介自身も、内心はそう振る舞い続けた。そう振る舞うごとに、自分の中の何かが削れていくのを実感した。

「昼食中にスマホをいじるのはだめだよ」

 草鹿華子がそう言った。教室での出来事である。屋上は閉鎖された。当然の成り行きだった。昼食の行き場所を失った亮介は教室で腰を落ち着けることになった。いまや、亮介と草鹿華子の仲は、周知の事実と化し始めている。――亮介自身、その事実を強制的に受け入れさせられていた。しかし、同時に諦めてもいた。

 どうせ、残り一週間で別れるのだ。

 だからこそ、問題のない話だ。いくら周りがそう認知しようとも、草鹿華子が変わったとしても。亮介は揺らがない。それほどのことで、信じることはない。期待しないのが亮介の芯であるから。

 草鹿華子は亮介の持っているスマートフォンを軽口で注意していた。亮介は悪いな、と呟きつつ、ポケットにしまった。――画面上では一瞬、若井チサに関する裏サイトが映し出されていた。

「どう、今日はこの唐揚げがよくできたと思

うんだけどな」

「ああ、美味いよ」

「……ふふ、ありがと」

 傍から見れば、甘いムードを漂わせる雰囲気を発していただろう。西尾は甘党のオレでも胸焼けすんぞッ、と叫び散らす。

 この光景も慣れた。慣れている自分の恐怖心も薄れていた。心の何処かで、亮介は感じている。感じてしまっている。案外、草鹿華子と一緒にいる自分も悪くないのではないか。

 それこそが、一番の恐怖であることに亮介は気づかないでいる。

 昼食が終わる頃、弁当箱を片付けていると、草鹿華子が亮介を手招きした。亮介は目を丸くする。なんだろうかと眉をひそめつつ、近寄る。草鹿華子は耳元に口を近寄り、呟いた。

「――若井さんのこと、気になる?」

 亮介は反射的に草鹿華子から離れていた。耳元を手で押さえる。その息遣いが、耳に残る。目を見開きながら、彼女を見ていた。草鹿華子はふっ、と微笑む。

「――わたし、心当たりがあるよ」

 聞きたい?

 そう問いかける彼女は、悪魔の囁きのようにも思えた。誘われるように亮介は頷いていた。


  *


 ――教えてあげる代わりに、わたしの家に来て。

 そう条件を出した草鹿華子に内心苛立ちのようなものを覚えなくもなかった。もしかすると、草鹿華子は若井チサがあのようなことをした原因を知らないのではないか。家に招くことこそが目的だったのではないか。そう邪推してしまう。

 亮介は草鹿華子に連れられて、家に向かう。ポケットに入っているスマートフォンの存在を思い起こした。

 ――こいつ、ヤンチャしてたみたいだな

 ――自業自得

 ――因果応報(笑)

 裏サイトに湧いた悪意の言葉。怒りの感情と、自分も同じ立場に立っているかもしれない後ろめたさが同時に生まれている。これは義憤なのかもしれない。偽善なのかもしれない。嘘の感情に振り回されている自分が嫌になる。

「――ここだよ」

 そうして着いた家は、ボロいアパートだった。亮介は目を丸くした。

「汚いでしょ?」

「……いや」

 流石に肯定できない。

 草鹿華子に招かれて、家の中に足を踏み入れる。ボロい外装とは異なり、内装は清潔だった。ただ、狭い。玄関に入ってすぐ、居間がある。その隣に隔てているのが、草鹿華子の部屋だった。

 草鹿華子の部屋は古めかしさを感じる、素朴なイメージがあった。小さな本棚。丸いテーブル。揃えられた参考書。メイク道具一式。女の子らしいと言えばらしく見える、普通の部屋だ。ベッドが片隅に置かれている。草鹿華子はベッドに座り込んだ。亮介を隣に招く。亮介は一瞬躊躇した。が、それでは教えてもらえないかもしれない可能性もあった。仕方なく、隣に座った。

「……親御さんは?」

「いないの。家に寄り付く人じゃないから」

「……あっそ」

 聞きづらいことに踏み込んでしまった後悔が生まれた。草鹿華子は亮介の手を握ってきた。亮介は草鹿華子を見た。手は振り払いこそしなかったが、雰囲気を出すつもりはなかった。

「……それで、知っていることって?」

「急がなくてもいいでしょ?」

 草鹿華子は笑う。自分は焦らされているのだと、感じた。

「――実はね、若井さんからわたし。相談を受けていたの?」

「は? ……草鹿に?」

「そう、りょうくんのことで」

 困惑する。なぜ、自分のことで草鹿華子に相談するのだろうか。

「りょうくんと若井さんは、昔付き合ってたことがあるでしょ?」

「……そうだな」

「若井さんね、未練があるんだって」

 言葉が詰まった。。はっきりとした動揺。

「でも、若井さん。ある話を聞いて。わからなくなって、わたしに相談してきたの」

「ある、話って……?」

「それは、りょうくんが……」

 草鹿華子は言いづらそうに表情を微かに歪ませた。亮介は急かした。自分が、なんだ?

 草鹿華子ははっきりと告げた。

「りょうくんが、若井さんと付き合っていたのは罰ゲームであって、本気じゃないって」

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