第41話 セオドアを失うかもしれないのに

「……マリーシャ」


 秘かな声で呼びかけられ、私はのろのろと目をあけた。あたりは暗くなっていて、ソファに横になっていた。あのまま寝てしまっていたようだ。


 セオドアは私と目があうと、私の口を素早くふさいだ。


「声を出すな。……侵入者がいる」


「……っ」


 緊迫した口調に慌てて気配を探ると、窓の外に一人居るのがわかった。


 油断だ。


 黒聖女と呼ばれたころは、こんな風に油断して寝てしまう事なんてなかったのに。

 それでも相手はかなりの手練れだろう。探索用に魔力を広げても、かなりわかりにくい。


「窓の外に一人だと思う。マリーシャはここにいてくれ」


「良くわかったわね……魔術も使えないのに」


 実際気配を探ると言っても、魔術を使うのが一般的だ。セオドアは呪いによって魔術は使えない。


「……長年の経験ってやつかな」


 自嘲気味に笑って、セオドアは私の頭をそっと撫でた。


 ずっと彼は、警戒している。

 戦争中の前世の私のように。この優しい人は、それほど過酷な環境にいるのだ。


 その事に思い当たって、私は涙が出そうになるのをぐっとこらえた。


「大丈夫だ。ここで待っていてくれ。見てくるだけだから」


 そう言い残して、温かな体温は私から離れていった。

 驚くほど素早く部屋から出て行ったセオドアの事を、私は呆然と見送った。


「……気を付けて」


 さっきまで一緒にくるまっていたらしい毛布をかぶり、私は震える身体を自分で抱きしめた。


 暗闇の中に一人、セオドアのベッドでじっとしていると、不安ばかりが浮かんでくる。


 見てくるだけ、と言っていたけれどもし相手に見つかってしまったら。

 セオドアは無力だ。なんといっても呪われてしまっているのだから。

 魔術が使える相手に対して、武力だけでの対抗はあまりにも厳しい。


 セオドア様子を見に行っただけ。

 落ち着いて、と自分に言い聞かせるが、心臓がどきどきと大きく鳴り響く。


 ……相手が呪いを使ったら。

 突然浮かんだその考えに、目の前がぐらりと揺れる。


 もう一度呪いを使われたら、セオドアの呪いは彼の命を奪うだろう。


 息苦しさに襲われながら、私は彼の気配を探る。

 隣の部屋に居るようだが、侵入者もそれに気が付いたのかそちらに移動している。


 二人の距離は、近い。


 私は居てもたってもいられずに、廊下に出る。


 このまま中に入るか、それとも気が付かれないように倒すか。

 どっちにしろ、セオドアにかなり強力な魔術が使えると教える事となる。セオドアは魔術に明るい。

 私の魔術が特別だと、気付くだろう。


 彼には、彼にだけは便利な物のように見られたくない。


 しあわせな時間を知ってしまった今、その恐怖心が私を支配していた。

 涙が溢れてくる。呼吸が早く浅くなり息が苦しく、身体が強張っている。やらなければいけない事はわかっているのに、身体がついていかない。


 このまま何も起きないで欲しい。


 何か起きた時に、私は……。

 自分が信じられなくて、苦しい。


 吸って、吐いて、吸って。

 先程のセオドアの言葉を思い出しながら、呼吸に集中する。


「……どうしたらいいの……」


 息をひそめて自分の行動に迷っていると、中でセオドアが動いた気配がした。


「セオドア様!」


 どうするのか決められないまま、私は咄嗟に部屋の中に入った。中では侵入者とセオドアが対峙していた。彼はいつの間にか剣を手にしている。

 左の腕の部分の服が切れていて、どうやら怪我もしているようだ。


「マリーシャ! 何故来たんだ!」


 セオドアの慌てたような声が聞こえ、それを隙だと捉えた侵入者は、セオドアに向かって炎の魔術を放った。駄目だ、セオドアは防御の魔術を使えない。


 とっさに私は彼を庇うように間に入った。


 私なら、攻撃を受けても無効に出来るとわかっていた。

 実際、防御の魔術は展開されていた。


 それなのに。


「……セオドア様……?」


 セオドアは、侵入者にむけて魔術を放っていた。相殺された炎は、大きな音をたてて消えた。


 セオドアはゆっくりと倒れる。


 まるで遅延の魔術をかけたかのように、倒れていくセオドアが私の目にはっきりと映った。

 私は慌てて彼のもとへ近づき、身体抱きとめた。魔術を使ったセオドアの顔色は悪い。


 呪いが進行したのだ。


 信じられない。


 私を助けるために、魔術を使うだなんて。


「セオドア様! ……もしかして、魔術を……」


 音を聞きつけたのか、ラジュールやフィニララたちが入ってくるのが見えた

 人が集まってきてしまった。いつの間にか、侵入者は消えている。


 倒れているセオドアを見て、皆顔を青くしている。部屋の惨状を見ればここで魔術が使われたのは明らかだ。


 ……セオドア様を、早く、治してあげないと。もう迷っている場合ではない事は明らかだ。


 このままではセオドアが。


 こんな時なのに、まだ魔術を使うのがこわい。


 早くしなければと思っているのに、身体が震え息苦しくて魔力が思うように動かない。魔力が、自分の言うことを聞かない。こんな。


 これでは構成を作ることもできない。


 気持ちばかりが焦り、心臓の音が耳元で煩い。セオドアの血の気を失った顔色だけがやけにはっきりと見える。


 こんな、こんな事。

 助けたいのに。本当なのに。


 魔術を使う事なんてこわくなんてない、セオドアを失う方がよっぽどこわい。


 わかっているのに、どうして身体がいう事を聞かないのか。


「やだ、やだ……どうしてなの、はやく、セオドア様が……はやくしないと、いけないのにっ! どうして」


 混乱しながらも魔力を編むが、どうしても霧散してしまう。


 形が全然作れない。

 どうしようもない絶望が襲う。


「マリーシャ」


 魔力をどんどん無駄にしていると、ふいに名前を呼ばれはっとする。

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