第40話 どうしても
「そんな……」
「今は気が付かなかったふりをして、泳がせている」
「このままではガランドはずっと戦地ですね……」
ガランドは隣国の辺境伯の領地に隣接しているが、何度も攻め入られている。
ずっと戦場となっていたこの地を、街まで発展させたのがセオドアだ。
「戦地でいるだけでは済まなくなるかもしれない。ガランドに隣接しているバロウズ辺境伯領は戦力が高い。放っておけば力を貯め、一気に攻められる可能性が高い。この地は相当魅力的だからな……。更に言うなら、ここを取られるとかなり軍事的に我が国が不利になる。場所もだが魔鉱石を奪われたら一気に形勢逆転だ」
「それは……間違いありませんね」
魔鉱石はかなり貴重な資源だ。魔物から採れる魔石よりもかなり多くの魔力が含まれている。採掘される場所は殆どない。
「たぶん近いうちに戦争となる。情報が洩れているなら、より急がなくてはいけない。先手を取る事が一番確実だったのだが……。マリーシャは安全な所に居てくれると嬉しい。教師も置いておくので、好きに学んでくれ。俺が居なくなっても、マリーシャはどうか気にしないでほしい」
俺が居なくなっても、の言葉を伝えたセオドアの目があまりにも真剣で、心臓が急にどきどきとしてくる。
息の吸い方を忘れしまったように苦しくなり、身体全身がこわばっていく。
「……居なくなってもだなんて」
「俺が居なくなったらマリーシャは寂しいもんな。まあ、万が一だ、そんな不安な顔しなくて大丈夫だ」
必死に言葉を紡ぐと、セオドアはおどけたように笑って私の額をつついた。
セオドアは優しい。
魔術が使えない私を、何も聞かずに居てくれる。呪いにしても、私にもっと聞きたいことがあるはずなのに、何も言わない。
戦争が始まるのなら、セオドアが呪われていることはかなりのマイナスだ。
魔術が使えない。
セオドアは忙しいのに時間を作って、一緒に食事をとることの楽しさを、教えてくれた。
私がここに居ていいのだと、態度で示してくれる。
ガランドの優しさで、私はすっかりこの地とこの地に住む皆を好きになった。
地位については興味がないと笑うセオドアに、ともかく彼のためになりたいと思った。
私は確かにセオドアとガランドの幸せを願っている。
役に立つのは今だろう。
私はそう決めて勇気を出して彼を見つめた。
「私、あなたの役に立ちたいと思うわ」
「……マリーシャ」
そこまではきちんと言えたのに、私の後の言葉は全然違うものしか出てこなかった。
「それは本当の気持ちなの。ここが好きだし、あなたと一緒に居るのも楽しいわ、セオドア様。だから……なのに」
思った言葉は出てこないし、声が震え息もつまったようになる。
フィニララには言えたのに。
……セオドアは人間だから、信じられないの?
苦しい。
ハインリヒの冷たい目が思い出され、ガタガタと手が震える。
目の前が霞んでいく。
ハインリヒとは、愛情かはわからないものの一緒に居ていい関係になれると思っていた。
しかし魔術が使えないと言った私を、彼は躊躇なく捨てた。
髪の毛を掴み、魔術が使えない私を価値がないと言った。
家族も、婚約者候補でいたからあの場所に居ることが許されていただけだった。
前世でもそうだった。
聖女だった私は皆の役に立ちたくて、それだけだった。
孤児だったから、戦っている間の仲間とのやりとりがとても温かな関係だと思えて嬉しかった。王太子殿下は私の事を黒聖女と蔑んでいたけれど、それでも仲間だと思っていた。
でも結局、利用され殺された。
セオドアを信じている。信じたい。
裏切られたって、彼の事を助けたいと思っている。
それなのに。
どうしても傷つくのがこわくて、涙が溢れてくる。
息が苦しくて、声を出そうとしているのにひゅーひゅーという抜けた音しか出てこない。
どうしてなの。
私は自分の腕に爪を立てる。
血が出てくるまで爪を食い込ませても、全然声が出てこない。
弱い自分に悔しくなって、涙がどんどん出てくる。
好きな人の為に、こんなこともできない。
セオドアが、好きなのに。
傷ついてもいいって、思ってるのに、出来ない。
出来ない。
「大丈夫だ」
どうしようもなく感情にのまれて冷えていく。
その時、温かな柔らかさに私は包まれた。
「大丈夫だから、息を吸え。呼吸に集中するんだ。ゆっくり、ゆっくり。吸って、吐く。それで大丈夫だ」
セオドアが私の事をぎゅうぎゅうと抱きしめてくれていた。
爪を立てている手を、ぐっと離される。
優しく温かな声が、ゆっくりと耳元でささやく。
その声に集中して、息を、吸って、吐く。
吸って、吐く。
徐々に息が整って、暗くなりぼやけていた視界がはっきりとしてくる。
「マリーシャ。無理をしないでくれ。そうして欲しくないんだ」
きっぱりと響いたセオドアの言葉に、私は彼の顔を見た。
涙でぼやけて見える彼の顔は、私と同じぐらい悲しそうで悔しそうだった。
「どうしてセオドア様がそんな顔を……?」
彼は私の涙を、乱暴にハンカチで拭きとった。
「マリーシャ、君が人生は危険で信用できないことばかりだとずっと思ってきたことは知っている。実際その通りだったとも」
「それはそう……。でも、私、本当にあなたの役に立ちたいと思っているわ。それなのに……勇気が出ない。どうしてなの?」
「いいんだ。そんな事が考えなくていいんだマリーシャ。君にそんな無理をさせるためにガランドに呼んだわけじゃない」
「セオドア様……」
「そもそも呪いの進行を遅くしてもらっているだけで、相当役に立っている」
「そんなのは当然です。ガランドに連れてきてもらったんですから」
「当然じゃない。マリーシャが決意をもってそう言ってくれたことを知っている。わかっているんだマリーシャ」
セオドアの言葉は力強く、甘く響く。
優しさに甘えてしまうだけの自分が悲しい。
それでもまだ、どうしても駄目だ。
「マリーシャ、いいんだ。……俺は君に、力をもらったから。君が大事なんだ。君がいてくれれば、それだけでいいんだ」
弱すぎる私に何も聞かずに、セオドアはただ私の頭を撫で続けてくれた。
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