第38話 力になれない

「……マリーシャ」


 優しい声がして、まだぼんやりとした頭でそちらに顔を向けた。

 ベッドの上で、私とセオドアは向かい合って横になっていた。


 びっくりするぐらい近い距離にセオドアの顔があり、慌てて飛び退く。


「わわわわわ」


「……そんなに避けるとベッドから落ちるぞ」


「本当だ危ないわ!」


 今度は慌てて逆側に戻ると、セオドアがふわりと私の事を抱きしめた。


「お嬢様が戻ってきた。嬉しいな」


「わわわわわ」


 抱きとめる腕は優しいのに、全く動けなくて今度はただ暴れただけになってしまった。

 恥ずかしい。


「落ち着け落ち着け。暴れないでくれ」


「あ、は、はい」


 私が我に返ったことに気が付いたセオドアが、やっと腕を緩める。


「そんなパニックになる事あるか? ちょっと傷つくな」


「あ、あまりにも顔が近かったので……!」


「寝てた時はもっと近かったんだぞ。寝顔も見れたし大分役得だった。目が覚めて君の顔が目に入った時、本当に嬉しかったんだ。……昨日は一緒に居てくれたんだな。心配をかけてごめんな。ありがとう」


 その言葉で、やっと昨日の事を思い出した。


 セオドアはまだ昨日のポーションの影響から抜け出せていないのか、ちょっとぼんやりした顔をしている。


「そうだったわ!」


 セオドアの腕をどけるとぐっとセオドアの顔を両手で挟み、顔色を確認する。近づいて目の色も確認する。

 おでことおでこをくっつけても、体温は問題ない。


 ひんやりした手が怖かったけれど、手を取るとちゃんと温かい。


 ぎゅっと握ると、大きくてごつごつした手だ。

 戦っている人の、手だと思う。


「……ちゃんと治っているみたいで、良かったわ」


 本当はもっと色々身体に魔力を通して全体を見たいけれど、そこまでやるとばれてしまうので諦める。とりあえずは問題なさそうでほっとする。


「ちょ……ちょっと、マリーシャ」


「あら? ちょっと熱いかしら」


 顔が赤い気がして、じっとセオドアを見ると彼は目を逸らして私の手をそっと外した。


「もう、大丈夫だから」


「昨日は熱があって身体が冷えていて怖かった。……大怪我だったのね、心配した」


 頬は暖かく、腕も力強い。

 私が治してあげれば、この人はこんな風にならずに済んだ。


 ……ガランドはあまりにも居心地がいいので、心が揺らぐ。

 信じていいのだろうか。


「ええ良かったわ。じゃあ、私は戻るわね」


 私は迷いを飲み込んでにっこりと微笑んで、すぐに自室に戻る事にした。立ち上がって、振り返らないようにドアを開ける。


「マリーシャ……?」


 突然の行動に不思議そうな声は聞こえてきたけれど、セオドアは後を追っては来なかった。


「それはそうよね、怪我人だもの」


 廊下でひとり、馬鹿みたいに呟いた。その声は廊下に思ったよりも大きく響き、ため息をついた。


 自分から部屋を出たのに、置いて行かれたみたいだ。


「あんな無防備に寝られると危ない……」


 一人部屋に残されたセオドアのつぶやきは、当然私の耳に届くことはなかった。



「鳥手紙……?」


 その夜。


 自室のベッドでぼんやりしていると、いつの間にか目の前に白い鳥の姿があり、私は自分の指を差し出した。

 鳥はすいっと指にとまるとそのまま手紙になった。


 差出人を見て、ぎょっとする。


 グリアーダ・ライガルド。

 私の、父の名だ。


 自分がすっかりガランドに馴染んでしまった事を知った。父の名に婚約破棄した日の気持ちを思いだす。


 誰も信じない気持ちできたのに、あの日々と全然違う今。


 現実に引き戻されたような気持ちになって、私は何故だか涙が出そうになった。ぐいっと乱暴に目を拭う。


 手紙には簡潔に用件だけが書かれていた。


『まだ内密だが、もうすぐ隣国との本格的な戦争が始まる。お前が捕らわれているにしても、ガランド公爵が戦場に出て混乱となるだろう。その時に情報を集め、報告するように』


 鳥手紙は読み終わるとともに消える。私は慌てて保存をかけた。


 消滅する鳥手紙だからと、何の警戒もなく父の直筆だ。名前の入った直筆の手紙は、証拠となり得る。


 固定の魔法は前世の私だけのものだ。当然私以外誰も知らないし使えない。だから、気にも留めなかったのだろう。


 ……でも、もしこれを証拠として使うのであれば、私が魔術をかなり使えると言わなければならないだろう。固定魔術は、簡単な魔術ではない。


 場合によっては黒聖女だとも。


 ……契約婚だとしても、私はガランドに責任がある。だけど。


 この手紙をどうするかは決められないまま、私は手紙を机にしまった。

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