第37話 ポーションの効果
セオドアは市井に対する勉強も手配してくれていた。
元貴族で、以前は王城でも働いていたというおじいちゃん先生は何度もガランドは特別だから、と言いながら私に金銭感覚と街での過ごし方を教えてくれた。
執務も間をみて手伝っている。
「本当に、本当に、本当にマリーシャ様が事務仕事ができることに感謝しています」
私のことは未だに警戒していそうなラジュールも、書類を片付けていると私のことを神様かのように敬ってくれる。どうやら役に立てているようで、ほっとする。
そして、セオドアは時間を作ってたびたび街へ連れ出してくれた。
数カ月もすると、私はすっかり屋台での買い物も問題なくできるようになった。
街での金銭感覚は大分養われたと思う。これでぼったくりにはあわない。
「働いていないから、なかなかその辺の勉強にはならないけどな」
「ふふ、そうね。でも市井の人がどういう風に暮らしてどういう収入を得ているかどんどんわかってきたわ」
私は食べなれてきた串焼きを見せた。狩られた魔物の売買だって、何度か見ている。
「流石マリーシャだ」
セオドアに褒められ、私は誇らしい気持ちになった。もし離婚してもきっと、私はこの地に残るような気がしている。
大きな争いは今は起きていないけれど怪我人も多い。
黒聖女だとばれたくないので魔術師として回復を行うのは難しいだろうが、薬として売るのはいいかもと思う。
争いがなくなったとしても、この地に魔物が多いのは間違いない。
……私は離婚したいのかな。まだ結婚も正式にしていないけれど。
その時、視界の隅に白い鳥が見えた。
「鳥手紙だわ」
「ああ……俺だな」
鳥手紙はふわりとセオドアの指にとまり、そのまま手紙になった。
手紙を読むセオドアの顔はみるみるとこわばり、繋いだままだった手が離れた。
「残念。デートはここまでだ。……また一緒に来よう」
「とっても楽しかったです。次回のエスコートに期待ですね」
本当に残念そうに眉を下げるセオドアに、私は強気に笑ってみせた。
「絶対に次は名物のブルーベリーチーズパイを食べに行こう。何度か来ているのになかなか食べれないなんて」
「屋台が美味しいですからね……」
「苦いお茶に慣れてきただろう。これじゃ罰にならないな」
「えっ。あれって罰だったんですか?」
「効くのも本当だ。じゃあ、また次回な」
そう言い残して、セオドアは私の頭をするりと撫でた。
……本当は、とても寂しくなってしまった。
*****
「申し訳ありません、マリーシャ様。セオドア様は食事には来れません」
本を読みながら夕食を待っていると、セオドアではなくラジュールが部屋を訪ねてきた。
「えっ。彼に何かあったの!?」
「いえ、大きな問題ではないですが、怪我をしたのです。その為、ポーションを使用したので一緒に食事をとれないだけです。明日には是非との言伝です」
「ポーションを……そうなの」
ポーションは非常に高価だが、怪我には効果がある。ただ、無条件に回復させる魔術の回復とは違い、本人の体力を使用して回復させている。
直接来ないということは、セオドアは意識を失ってしまっているか動けない状態なのだろう。それだけの大怪我だったということだ。
鳥手紙は、戦地に何かあったという事だったのかもしれない。なんでもないように笑って去ったセオドアが思い浮かんだ。
途端に落ち着かない気持ちになる。
どうしても彼の顔を見たい。
「ええ。食事はどちらにお持ちしますか?」
「……セオドア様の部屋で」
セオドアの怪我が心配だ。
私の言葉にラジュールは一瞬戸惑うように視線を動かしたが、そのまま頭を下げた。
「かしこまりました。そのように、手配を」
ラジュールが手配してくれた食事は、改めて手配したのか食べやすいようにサンドウィッチやフルーツを盛り合わせたものだった。
彼は準備を終えると静かに部屋から出て行ったので、部屋にはセオドアと二人になった。セオドアはベッドに横になっている。
私は食事には手を付けず、セオドアのベッドに腰かけた。
「……顔色が悪いわ」
魔力を流してみるが、呪いはまだほとんど進行していない。魔術は使わなかったのだろう。
セオドアのまぶたは閉じられており、顔色は土気色だ。さらりとしたブルーグレーの髪が目にかかっていて、それを撫でて払った。
熱があるようで、その額は熱い。怪我は治っていると言っていたけれど、身体への負担は相当だ。やっぱり、ひどい怪我だったのだろう。
そのまま頬に手を当てた。
「ここは、戦場だものね……」
ガランドの地は価値が高い。
政治的にも重要な地域の為ずっと戦地となっていて活用されていなかったが、この地には魔鉱石が眠っている事が分かっているのだ。
この地を手に入れたセオドアの力は強い。
公爵にふさわしい、何もかもを持っている。
見目も素晴らしく高位の彼は引く手あまたで、本来なら魔術が使えないなどと言う私と結婚していい人ではないのだ。
こんな風に弱って寝ていると、セオドアもただの人間だとわかる。
……死んでしまうことだって、ある。
私が彼の怪我を回復させればいい。そうすればこんな風に体力を使う必要はない。ポーションは命を削っている、という言葉を聞いたことがある。
私は魔術が使える、そう言えばいいだけ。
フィニララに伝えたように、ただ。
それなのに。
「……まだ、勇気が出ないわ。ごめんなさい、セオドアさま……」
言葉にしたとたん、私の目からは涙がこぼれた。
私はきっとずっと、セオドアを信じたい。
セオドアは本当に私の事を尊重してくれている。
セオドアが大事にしている人たちは皆優しく温かだ。フィニララも、魔術について何も言ってこない。ただただ、会えば嬉しそうに話しかけてくれる。
冗談を交えながら、私のことを自然にその一部にしてくれようとしている。
それに応えられないことが、苦しい。
前世の私も今生の私も、周りの人は誰も私のことを気にかけていなかった。私がどう役に立つかだけだった。
セオドアだって、私が呪いに対処できるから置いているだけかもしれない。
私の中の傷が、正直に話すことを拒んでいる。
セオドアの手を握る。その手はひんやりとしていて、思わず手を放してしまう。
「……今は、これぐらい」
セオドアのお腹に手を当て、回復と唱える。
ポーションでは回復しきれなかった分の、ほんの少しの回復。
もう一度彼の手を取り、両手で包み込む。
少しでも早く、彼に温かくなってほしくて。
私はそのまま、いつの間にか眠りについていた。
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